「姫さんはいまごろバッシュとイヴァンの家かあー」ヒマを持て余すように、休憩室の椅子にもたれかかってギコギコとそれで遊んだりしてみる。姫君がいなくてもまあ、それなりに仕事はあるのだけど、その仕事はいま主任に任せてあるからヒマと言えばヒマだ。さっきからヒマヒマって単語がいくつか見えるけど、こう見えてもお兄さんの料理は定評があるんだからね!「そうはいっても、やっぱりがいないと退屈だなあーこのままじゃお兄さん、寂しさとホコリの中に埋もれちゃうよ」「…なに言ってんですか、フランシスさん。それから休憩の時間は少し前に終わりましたよ」「そうなんだけどねー、がいないと…って?」「仮にも地球国の姫君に対して、それはずいぶんごあいさつじゃあありませんかね?フランシスさん?」もっともだ、と名前を呼ばれた張本人、フランシスは降参のポーズを示す。 「 ただいま戻りました、フランシスさん 」 「 おかえりーちゃん!待ってたんだよー! さて、そんな姫様のご要望はなにかな?フランス料理のフルコース?それとも和食? 」 「 …とりあえず、デザートが食べたいです。甘いモノ 」 「 ええ?帰って来たばかりでまだ何も食べてないんだろう? 」 「 はは、当り前じゃないですか。でもなによりもいまは、甘いものがたくさん食べたいんです 」 「 …身体に良くないよー? 」 「 分かってはいるんですけどね… では、頼みましたよフランシスさん 」 「 …はいはーい。夜食は俺が持っていくよー 」 「 はぁ…お好きなように。あと何度も言いますが言葉使い! 」 キッと、少し前までは緩んでいた表情が引き締められる。言うときは言う、そんな彼女の厳しい姿勢が感じられて、フランシスは「分かりましたよ、オヒメサマ」とおたま片手に調理場へ向かう。はそんな彼の背中をため息交じりに見送り、厨房をあとにした。そうしてものの一時間もしないうちに、の自室にテーブルいっぱいのスイーツが届けられた。「流石はフランシスさん、仕事に手は抜きませんね…」「様…フランシスさんのおっしゃっていたように残しても構いませんから…」「ええ、分かっています。エリザベスさんもいかがです?」「では、お夜食用にひとつだけ」エリザベータはそう言って自分の近くにあったショコラを装い、隣の部屋に姿を消した。この執務室の隣には、業務用と常用を兼用出来る彼女の部屋がある。エリザベータはそこで、情報収集や手紙の分別などを行っている。 「 なかなか、忙しい方ですよね… 」 そう言っている自分も決してヒマなわけではないが、エリザベータのおかげもあってその仕事量も半減しているのだ。労働時間的にはまあ、大差はないのだけれども。こんなことを考えていたら、先ほどまでおいしくスムーズに食べられていたスイーツにも、なかなかフォークが伸びなくなる。紅茶をすすり、時計を見上げる ―――― 午後10時、そろそろフランシスが夜食を持ってくる時間だ。まだ手のつけていないスイーツを冷蔵庫の中に入れ、テーブルを片づけていると、コンコンと部屋がノックされた。「はい」「フランシスのお兄さんだよー」「…はぁ。どうぞ」このごろどうも、フランシスの間の抜けた声を聞くと、力が抜けてしまう。だから着かれていると余計に「あなたは陽気で良いですね…」なんて嫌味が口から出そうになる。 「 あれっ?あんまり減ってないね 」 「 なんだか止まっちゃったんですよ、手がね。折角つくってくださったのに、すみません 」 「 が謝ることないよー、少しでも食べてもらえたらそれでお兄さんは満足なのさー 」 「 はは…そうですか。それより今夜は? 」 「 、あんまり食べられないと思ってね、和食にしてみたよー 」 「 わあ…懐かしいですねー、菊さんのところの料理 」 「 でしょ?菊の家に行っていろいろ教えてもらったんだから!がんばったんだよーお兄さん 」 「 … 」 「 …? 」 不意にのすすり泣くような声が聞こえて、フランシスは一瞬ドキッとした。またなにか、まずいことを言ってしまったんだろうかとも思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。「すみません、なんだかとても懐かしくて…」「」フランシスに名前を呼ばれた途端に、体中が暖かくなったような気がした。まさか、そんな ―――― 自分がいま、フランシスに抱きしめられているだなんて、いったいどうして想像出来るだろう?「疲れがたまってたんだね…泣いたらいいよ。お兄さんずっとこうしてるから」「な、なに言って…」「言っておくけどこれはサービスだからね?バッシュに通報とかお兄さん勘弁だよ」冗談まがいの言葉に、なぜだか笑みがこぼれる。安心する。 「 ありがとう…ございます、フランシスさん… 」 「 良いってことよ!だから通報、しないでねー? 」 「 分かってます…くどいですよ、フランシスさん 」 「 あはははーその台詞はもう聞きあきちゃったよ 」 フランシスの言葉はもう、耳には入らない。ただただ、感情の許すままに涙を流し続けた。馬鹿みたいに。子どもみたいに。こんなふうに泣いたのは、もう何年ぶりくらいだろう。両親が死んでから、もうずっと泣いていないように思う。幼かった自分には、あまりにも残酷だった現実。思い出すだけで、足もとがぐらついてしまいそうになるけれど、そんな自分を支えてくれたのはこのお城にいるみんなや、国家統一に力を貸してくれたみんなのおかげだ。だからこそその恩返しがしたいと、いま血反吐が出そうなほどの労働時間を費やしているのだが、まさかそれが仇になるとはいったいあのときの自分に想像出来ただろうか。答えは否だ。現にいま、疲労によって泣き崩れ動揺と困惑を繰り返している自分がいる。いいえ、きっと違いますね ――― フランシスさんの腕があまりにも優しすぎたから、心が震えているだけなのかもしれません。そうですよね、フランシスさん。 「 ああ、きっとそうだよ! お兄さんだって、姫様にいまみたいなことされたらきっと歓喜のあまり泣き出すかもしれない 」 「 ふふ…フランシスさんらしいですね 」 「 冗談じゃないよ!ほんとうなんだってば 」 「 分かっていますよ、フランシスさんは感激屋なんですよね−。さて、折角のお夜食をいただくとしましょうか 」 「 う−む、いまいち釈然としないなあ…まあ良いや! 冷めちゃう前に食べておくれよ!俺の汗と涙の結晶だよ、!さあさあ 」 「 フランシスさんは少し、静かにしていてくださいませんか… 」 はあ、とうんざりしたようなため息がこぼれてしまう。だけど、さっきまでの憂鬱としたものとは少し、勝手が違うみたいだということには、確かに気付いていた。それもこれも、目の前で心底嬉しそうに笑みを浮かべているフランシスのおかげなのかもしれないと思うと、なんとも複雑な心境になるのだった。「?あれっ…寝てる…」食べ終えたらしい。あたりが静寂に包まれていることに気付いたフランシスは、ふとのいるデスクを見下ろしてみるとすやすやとまるで子どものように規則正しい寝息を立てて眠っている彼女の姿が目に入った。「疲れてたのはほんとうだったみたいだねー、おやすみー」言って紺碧の髪を、優しく撫でてみる。こんなところ、誰かに見られでもしたらきっととんでもない騒ぎになるかもしれない。ひとの沢山いる昼間なら、なおさらだ。「ふう…夜しかこんなふうに出来ないなんてねーお兄さんア−サ−の気持ちが分からなくもないかもー」呟いてみて、眉間にしわを寄せる。折角ふたりきりのときなのにこんなときにまで介入してくるなんて、なんてやつだと夜をひと睨みして、更けていく夜にまた、フランシスは深くため息を吐いた。 ひだまりでは愛せない |