「イヴァンさん!」ぱたぱたと駆け寄ってくる少女の姿を見つけ、応接間に向かおうとしていたイヴァン ――― 名前を呼ばれた相手は振り返り、驚いて目を瞬いた。「?いまから行こうと思ってたのに、どうしたの?」「少しでも早く、イヴァンさんにお会いしたかったんです。お元気そうですね!」息も声も弾ませて、それが全部自分のためなのだと思うと、嬉しくなって自然と表情が緩む。しかし隣にいる彼女のボディ・ガード、バッシュの表情を盗み見ると、イヴァンはさっとその笑顔をひっこめた。


「 久しぶりだね、。きみこそ、元気にしてた? 」
「 はい、もちろんです!イヴァンさんは、どうですか?あれから… 」
「 …どうもこうもないよ。いまでこそ隣国とは冷戦状態にあるけどいつ再開してもおかしくない状況だね 」
「 お手紙読みました…、賛成派と反対派が衝突して間もないというのに、そこを狙われてしまうなんて、 」
「 はあ、まったくだよ。まあ立ち話もなんだし、応接間に行こう?お茶も用意してくれているはずさ 」
「 まあ!ありがとうございます。 …まさかとは思いますが 」
「 はは、大丈夫大丈夫。
  いくら僕でも昼間からウォッカ飲んだり、ましていちばんの親友であるきみにお酒出したりしないよ 」


ちらりとバッシュのほうを見てみれば、腕組みをしたままなおも疑わしそうにこちらを見つめている。これにはさすがのイヴァンも苦笑いを浮かべるしかない。弁明したところで信じてもらえるはずがないと分かっているからだ。ほんとうに厄介な人物だ、バッシュと言うひとは。「この紅茶、すっごくおいしいですイヴァンさん!」キラキラと瞳を輝かせてそう話すを見やると、複雑な感情も薄れていくのだから不思議だ。「ダ−ジリンだよ」と言うとは嬉しそうに瞳を瞬かせた。


「 がもっと僕に会いに来てくれたら助かるのになあ… 」
「 イ、イヴァンさん??あ…、先ほどのことですか…? 」
「 ん?うんそう。いっそのこと僕のところに嫁いでもらいたいくらいだよ 」
「 え、ええ!そ、それは冗談…ですよね…? 」
「 どうかな?そんなふうに見える? 」


まじまじと真剣なまなざしで見つめられると、言葉に詰まってしまう。からかっているだけだと、イヴァンお得意のジョ−クだと分かっていても、いまだに慣れない自分がここにいる。ハッキリと「NO」と示しても良いのにそうしないのは、むしろ自分たちといっしょに国づくりをしてほしいという純粋な気持ちがあるからで、それ以外になんら如何わしい理由はない ――― はずだ。そんなふうに、が次の言葉に困っていると、見かねたらしいイヴァンが突然笑い出して「ごめんごめん、冗談だよ冗談。自分のことだけでも精一杯なのにごめんね」と言って、ぽんぽんとの頭を優しくたたいた。


「 も…もう!心臓に悪いですよっイヴァンさん! 」
「 あはははは、真っ赤な顔をしたもほんと可愛いなあ。そんな怖い顔しないでくれよバッシュ 」
「 …そのような顔をしている覚えはない 」
「 ははは、ほんっと楽しいなあきみたちは。からかい甲斐があるというか…ごめんごめん、もう冗談は言わないよ 」
「 も−イヴァンさん…これじゃあお仕事になりませんよ 」
「 まあ僕にとってはそれでも良いって思ってるんだけどね…、はいはい真面目にやるよ 」


先ほどからバッシュの視線がものすごく痛々しい。このままでは正当防衛だなんて言って、武装しかねないから黙っておく。いくらイヴァンでも、バッシュの武力が並でないことくらい把握している。それにだって、ある程度の武術は教え込まれてる、ニ対一なんて多勢に無勢だ。それが分からないほど愚かじゃあない。イヴァンはくすくすと余裕を思わせる笑みを浮かべて、カップを置いた。


「 差し詰め、このまえの答えを聞きに来たといいうところかな 」
「 …隠しようがありませんね、そのとおりです 」
「 潔いんだね、 」
「 茶化さないでくださいイヴァンさん。わたし…ほんとうに心配なんです。情勢もそうだし、なにより 」
「 僕のことが…、心配? 」


ことんと首をかしげてそう言ってみれば、はすごく真剣な顔をしてこくんと頷いた。ああこの子は、なんて正直なんだろう。天の邪鬼な自分とは正反対だ、と優しく笑みを浮かべると、イヴァンはバッシュのほうを向いて「すまないけど、少しだけ席をはずしてくれないかい」「…どういう意味だ」「そのままの意味だよ。大丈夫、には何もしないから」と言った。そうするとバッシュは「ほんとうだろうな」とでも言いたそうな顔を向けて、ため息を吐くとに「何かあったらすぐ飛んでくるからな」と言い残して部屋を出た。ほんとうに、優秀なボディ・ガードなんだといまなら分かる。視線をのほうに戻してみれば、とても不安そうに瞳を揺らせている彼女と目が合った。


「 あの…イヴァン、さん?どうしてバッシュさんを… 」
「 彼の意思関係なく、と話がしたいと思ったからだよ 」
「 彼の意思…? 」
「 きみはいつも、彼に了承を得ようとする癖があるからね。この言葉の意味がわかるかい 」
「 つまり…わたくし本人の意思を確かめたいと… 」
「 うんそう。これはかなり重要なんだよ、きみは国交のためにわざわざこんなところまで来てくれたんだろ 」
「 はい。ですが…それだけ、では、 」
「 大丈夫だよ、それ以上言わなくても。さっきも言ってくれたしね?じゃあ僕の答えを言おう 」


イヴァンはらしくもなくすう、と深呼吸をしてを見つめた。「何度も言うけど、答えは no だよ。ガッカリさせるようで、申し訳ないんだけどね」「やっぱり…」「分かっていて聞こうとするなんて、きみもひとが悪いね」さっきまでの優しい笑みが、崩れていくのが分かる。それはも感じたらしい、ほんの少し肩を震わせた様子をイヴァンは見逃さなかった。「きみが悪いんだよ、。あのとき僕の誘いを断ったから」「イヴァンさん…!」ぐら、とが前方に傾く。そんなの身体を腕の中に受け止めたイヴァンは、そっと囁いた。「僕はあきらめてなんかないからね、」ギュッと抱きしめたあと、ソファに寝かせてコ−トをかける。物音を聞きつけ、不審に思ったらしいバッシュが部屋に入り込んで来たのを確かめたイヴァンは、小さく舌打ちをした。


「 そろそろ来るころだと思ってたよ 」
「 姫になにをした 」
「 なにもしてないよ?疲れて眠っちゃったみたい。のこと、お願いね 」
「 貴様、 」
「 僕を責めるより自分の仕事したほうが良いんじゃない?僕を責めたい気持ちは分かるけど、
  そんなことしたってが ――― 君の大事な姫様が悲しむだけだよ? 」
「 っ…失礼する 」


「うん、またね」カッと、バッシュの顔が真っ赤になっていくのを、イヴァンは確かに見た。あの冷静沈着なバッシュが動揺するなんて、世にも珍しいことがあったものだと失笑する。「…君は、もう忘れてしまったんだろうか…」バッシュたちの去って行ったほうをしばらく見つめたあと、そっと瞳を閉じた。「イヴァンさん。わたしたちもうすぐいっしょになれるんですよ!」「…いっしょに?」「はい。みんな仲良く、ひとつの国になれるんです!」そう言って、まだ幼かった君は笑っていたよね。「みんな仲良く…」(それは遠い昔、ずっと僕が夢見てた世界だった…だけど、)「違ったんだ。僕は…僕は、ほんとうはずっと、と…ずっと、」あの日の記憶が、フェ−ドアウトしていく。。どうやら自分の ――― 僕のほんほうの気持ちは、まだ当分伝えられそうにない。



なにかを得る代償のための喪失