様、イヴァン様からお手紙です」
「ありがとうございます、そちらに置いておいてください。エリザベスさんは、あちらへご連絡を」
「はい、分かりました」


ばたばたと、エリザベ−タさんが様の執務室を何度も行ったり来たり、出たり入ったりしているのを様専属のメイドであるわたくし、リヒテンシュタインはたびたび眼にしておりました。一息入れていただこうと思ってお茶の用意をしよう、と思ってはみたものの、お二方の動きが静止することはありません。かれこれ、こんな状態が半日以上続いているというのに、お二人にはまだまだ疲労の色がうかがえません。「あの…!」「リヒテンシュタインさん、機内で姫様が召し上がられるお茶菓子の用意をしておいて。それからそのエプロン、そろそろ洗ったほうが良いわ」「あの…ッ!」いい加減に休憩を、と思って何度も言いだそうとしてみるのだけれど、ことごとく用事を押しつけられる結果に終わってしまいます。


「ふうっ…、お忙しいのは分かりますが…」


様やエリザベ−タさんのために用意しておいた軽食と紅茶を眺め、わたくしはきょう何度めになるか分からないため息を吐きました。そうすると、不意に様と目が合い、彼女はわたくしがずっと何か言いたそうにしていたのを気にしてくださっていたのでしょう ――― ふわりとほほ笑んで、デスク周りを片づけ始めました。「エリザベスさん、そろそろ一息入れましょう。大方北国訪問への準備は整いました、あとは事前確認だけです」様がそう言うと、ちらりとわたくしを見やったエリザベ−タさんは、すっと瞳をすがめて「そうですね、分かりました」と言ってくださいました。


「すみません、リヒテンシュタインさん。ずっとわたしたちのことを気にしていてくださったのに…」
「い…いえ!わたくしのほうこそその…、ハッキリ言えなくてすみません…」
「いいえ、そんなことないです。お話するタイミングを計っていたんですよね、お詫びを言うのはわたしたちのほうです」
「姫様…」
「リヒテンシュタインさん、立っていないで座ったらどうです?あなたも休憩、まだだったでしょう?」
「は…、はい!ありがとうございますっ」


「こちらこそ」様がカップを置いて、ふんわりと優しくほほ笑む。それだけで、周りの空気が変わってしまうのだから不思議です。ひょっとしたらアルフレッドさんは様のこういったところを熟知していたから、様の祖国を統合後の筆頭国家としたのかもしれません。そんなふうに思ったら、様はほんとうに人望の厚い方なんだなあと、彼女に仕える者としてはとても嬉しくなります。嬉しいというより、限りなく誇りに近い憧れのようなものを感じます。「淹れなおして来ますね」エリザベ−タさんはそう言って席を立ち、トレイに人数分のカップを乗せるとわたくしたちに背を向けました。「だめですエリザベ−タさん!そのようなことはわたくしが…」そう言って席を立つと、エリザベ−タさんはクスッとほほ笑んでウインクを寄こしました。


「あなたも様に仕える身ならば、たまにはゆっくりお話することも必要でしょう」
「そんなっ、恐れ多いです!」
「そうですか…リヒテンシュタインさんはそんなにわたしとお話をするのが嫌だったんですね…」
「ホラ、…ね?」
「え…えっ!あの!嫌じゃ、ない…です…」


顔を真っ赤にしながら、ストンと椅子に座りなおすと、向かい側からくすくすと言う小鳥がさえずっているかのような声が聞こえて、わたくしはぱっと顔をあげてみました。その笑い声の正体はやっぱり姫様で、わたくしの恥ずかしさは頂点に達しようとしていました。「 ――― 笑いすぎです、姫様ッ」「ふふ…ごめんなさいリヒテンシュタインさん。そんなつもりはなかったんです」そう言いながらなおも笑っている様の真意はとても怪しいところだったけれど、結局はわたくしも彼女に仕える従者。なんにしても、憎むに憎めないというのが最終的な結論でした(もっとも、姫様に限って憎らしいことなんて、ないに等しいのですけれど)。


「リヒテンシュタインさん、どうしました?なんだか元気がないようですね」
「そうですか?」
「日ごろの疲れがたまっているのでは…」
「それは大丈夫です、むしろ姫様のほうが心配です」
「まあ!ア−サ−さんとおんなじことをおっしゃるんですね!大丈夫です、気にしすぎです!何か、心配事でも?」
「そうですか…わたくしはただ…」
「ただ…?」
「姫様にお仕えする身として、心配なだけなんです…ご無理をされてないか。いいえ、ほんとうは…」
「自信がないんですよね、リヒテンシュタインさんは。自分がきちんと、姫様のお役に立てているのかどうか」
「わあっ!!エ、エリザベスさん!!び、吃驚するじゃないですかっ」
「ふふ、してやったりです。リヒテンシュタインさんは、そういう方です…見ていれば分かりますわ」
「エリザベ−タさん…」
「今回だってそうじゃないですか。あのイヴァン様にお会いになるって聞いた途端、不安そうにされていましたし!」


なぜか声を張り上げてそう力説するエリザベ−タさんに、わたくしは返す言葉がありません。まったくもって、エリザベ−タさんがお話になっていることは正しいからです。姫様が心配だということは事実 ――― ですがそれをこじつけようと、いいえ。それによって自分を正当化しようとしていただけだったのかもしれません。もしほんとうにそうだとするのなら、自分はなんていう不束者なのでしょうか。想像してみるだけで、自分が恥ずかしくなります。わたくしが言葉を失って俯いていると、姫様はわたくしとおんなじ目線にまで背を縮めて、いつものようにほほ笑んでくださいました。


「すみません、リヒテンシュタインさん。わたしはいつも、言葉が足りないのかもしれませんね…」
「そ!そんなことないです…、言葉でなくても、姫様はいつも気付いてくださっています!いまだって…、」
「そうかもしれません。ですけれど、言葉でなければ伝わらないものも、あると思うんです」
「姫様…、そのような悲しそうなお顔をなさらないでください…」
「どうしてリヒテンシュタインさんがそのようなお顔をなさるんですか…?わたしのほうまで悲しくなります。
 リヒテンシュタインさんには笑顔がいちばん似合いますよ!出国の日も、その笑顔でわたしを見送ってくださいませんか?」


「はいっ…!、様…!」そう言って、満面の笑みを浮かべてみると、様は心底嬉しそうにほほ笑んで、頷きました。わたくしに、出来ること ――― 心残りのないように、笑顔でお見送りすること。姫様の笑顔が、わたくしの誇りなんです。ですからわたくしは、そんな姫様にお仕えいたします。これからもずっと、ずっと。



透明ほどささやかに