「様ーッ、姫様ー!どちらにおいでですかー!」そんな、女性の叫び声が城内に残響している。柱に身を潜めて彼女の様子をうかがっていたはそうだ、とあることを思いついた。そうしてが駆け込んだ場所は、城の地下にある監獄 ――― 彼のいる、その場所だった。キィ、と地下室への扉を開けると、ひやりと冷たい風が背筋を凍らせる。監獄と言うだけあって、不気味だ。腐敗臭もするし、人々のうめくような声も聞こえる。 「 ――― なにをしておるのだ 」 「 うわ…ッ!ば、バッシュさん!お、お務めご苦労様です…! 」 「 うむ。それは良いが、どうしたのだ。仕事か? 」 「 いえ、実はいまエリザベスさんに追われてまして…ここは彼女の一番嫌いな場所だから… 」 「 ふむ、なるほどな。 だがあの者もお前を連れ戻すことも仕事のひとつ…ならばここへ来るのも時間の問題だろう 」 「 だからバッシュさんにかくまっていただきたいんです 」 「 はあ…なるほどな、そういうことであったか… 」 カリカリと、後頭部をかきむしっているバッシュを見やり、ことの成り行きを見守る。ここがダメとなれば、もうほかにアテがない。なんとしても、了承をいただかなくては ――― がそう、次の策を練っていると、バッシュはため息を吐いて「…仕方ない。姫をこんなところに置いておくのも気が引けるが…自分で言い出したことだ、文句はあるまいな」そう言って彼が振り返れば、は心底嬉しそうにほほ笑んで「ありがとうございます、バッシュさん!」と瞳を輝かせた。一瞬、バッシュの表情にも笑顔が見えたような気がしたが、普段あまり彼と話をすることがないにとって、その事実は定かではなかった。 「 しかし、いったい何がそんなに嫌なのだ?勉強か? 」 「 …バッシュさん、どこぞの貴族じゃないんですから。そもそもわたしそんなに子どもじゃないです 」 「 そうなのか、それは知らなかったな 」 「 〜〜バッシュさんっ 」 「 冗談である。そんなに大きな声を出していては、見つかりやすくなってしまうのである 」 「 うっ…すみません… 」 「 まあ良いのである。吾輩も、姫とゆっくり話したいと思っていたところだからな 」 「 バッシュさん… 」 「 聞いた話なのだが姫。旧ロシア圏に近々赴くというのはほんとうか? 」 椅子に座るように促され、がその椅子に座るやいなや、珈琲を飲んでいたバッシュからそんな質問が飛び出た。「はい…あちらも何かと不便かと思いまして、交渉を兼ねて視察に」「うむ…、国交か…大変だな姫も」「そんなことないです。それも仕事のうちですから…それに、あちらの方も心配ですし」「イヴァンか。あいつはそれほど心配なないとは思うが?」「そうかもしれません…わたしの手なんて、必要としていないかもしれません。でも…やっぱり、ひとりは寂しいです…」「そうか」そんなやりとりのあと、バッシュはぽんぽんとの頭をたたいて、持っていた珈琲カップを置いた。 「 そのときは、吾輩を呼んでくれ 」 「 そのときとは?視察に行くとき、ですか? 」 「 そうだ。姫を護るのも、吾輩の務めなのでな 」 「 バッシュさん… 分かりました、お世話になります 」 「 うむ、任せておけ。 誰か来たようだな…机の下にでも身を潜めておけ 」 きっとエリザベスだと思ったのだろう、バッシュはそんなふうに言って、半ば強引にを事務机の下に追いやった。そんなに急かさなくても大丈夫ですよ、と胸中で膨れながらも、物陰からそっと成り行きを見守る。「バッシュさん!お務めご苦労様です」「うむ、どうした?姫の秘書官がこんなところに来るとは珍しいではないか」「それが…その姫様の姿が見当たらないんです。城内は一通り捜しましたので、ここしかないと意を決して…」「はは、そうだったか…あいにくだが、こちらには見えていない。こんな品粗なところに、姫君を置いておくわけにもいかんのでな」「そうですよね…もし見かけたら知らせてください。わたしはもう一度、城内を捜してみますので」「分かった。ご苦労だな」「いいえ、バッシュさんこそ…それでは」エリザベスはそう言ってバッシュに一礼し、たんたんと階段を上って行った。 「 もう大丈夫である 」 「 ふうっ…、ありがとうございます、バッシュさん! 」 「 構わない。言ったであろう?姫を護るのも、吾輩の仕事だと 」 「 バッシュさん…! 」 「 見合いとか、そう言った具合だろう。そろそろ相手もしびれを切らせているころだ 」 「 お見通しでしたか… 」 「 いかにも、政略結婚は嫌だという顔をしておったのでな 」 「 …まいりました 」 「 なに、あの者の表情を見ればすぐわかる。相手を困らせないように、必死なんだろう 」 「 エリザベスさんは…お優しいですから… 」 「 姫も十分優しいと思うがな。そろそろあの者が手を回しているであろう、戻ったらどうだ 」 「 …っはい!いろいろ、ありがとうございました 」 「 こちらこそ礼を言う。こんなところにまで来てくれて、 」 「 いいえ。それじゃあわたし、公務に戻りますね!バッシュさんも、お仕事がんばってください 」 「 うむ、姫もな 」 バッシュはそれだけ言うと、ぶんぶんと手を振りながら階段を上っていくを、どことなく危なっかしそうに見送りつつ、「姫も大変だなあ…」とぼやくに落ち着く。同時に、これから見合いのたびにここに逃げ込まれるのか、と思うと、少々複雑な気持ちになるバッシュなのだった。 揺れて、触れて、霧散 |