しとしと、しとしと。
細く降り始めた雨が、雨季の訪れを告げている。人通りの少なくなった路地で、途方に暮れる人影が、ふたつ。

「 降り出してしまいましたねー 」
「 だから俺は傘を持たなくて良いのかと聞いたんですが 」
「 すみません 」


 困ったように笑いながら、後頭部をかきむしる目の前の少女は、万屋の軒下に佇んで短く息を吐く。「違うな」主に聞こえないように呟いて、彼女に習って細い雨を見やる。目の前にいる人物をややこしくたとえるなら”少女のような姿をした女性”だ。彼女はその身にそぐわぬ大任を政府から授かり、その命のみのために存在している。彼女、もまたそれを十分に理解していると、すこし昔に話を聞いたことがあった。その”命”というものを、己を含む他の刀剣―――付喪神たちもまた知る術を持たない。


「 っ、くしゅん 」
「 主・・・やっぱり出よう。いつまで待っていても埒があかない 」


 ふわっ―――己の布の中に彼女を招き、柔らかく肩を抱く。驚いたように、華奢な身体が一瞬たじろいた。それだけのことなのに、そのかわいらしい仕草に小さく鼓動が跳ねる。「山姥切は、優しいね」ふわっと優しい微笑みに、うっかり涙腺が緩みそうになる。ころころ、きょうは主に対してせわしない。ゆっくり路地を歩きながら、やみそうにない雨を一瞥する。


「 俺が写しだからって、妙な気を回す必要はないぞ 」


 照れ隠しにふいっと顔をそむけてみれば「思ったままを言っただけなんですが」と、苦笑いを浮かべる。「すみません、何もきょう無理に買い出しに出る必要もなかったのに」わたしが無理やり、と続けようとした彼女の口元を、やんわりと抑える。「ついていくといったのは俺だ。あんたがそんな顔をしなくてもいい」そういうとは、心底安心したように満面の笑みを浮かべた。「ありがとう、まんばくん」可愛らしい笑顔でふたりきりのときの呼び名を呼ばれ、咄嗟の出来事に赤面する。「っ!べ、別に。ちょうど暇だったし」「照れてる」「主」あんまりからかうといっしょに出かけてやりませんよ、と暗に言われてしまい、笑いだしてしまいそうな衝動をこらえながら謝罪を述べるをみるなり「笑いながら言われても」としまいには不貞腐れる山姥切国広。


「 はー笑った笑った。きょうは面白いまんばくんもみられましたし、
  雨の日の外出は億劫だったんですが、まんばくんがいっしょなら楽しいですね 」
「 主・・・それ、素直に喜べない 」


 膨れながらも、心の内は満更でもないことに気づいた山姥切は、頭上に広がる雨空とは裏腹にどこか晴れ晴れとしていた。その刹那―――ザン、という大きな音とともに、細く線を引いていた景色が一変し、土砂降りの雨へと変貌した。
 「っ俺が、写しだからか・・・」「ふふ、あはは」「主っ」「すみませんすみません」「・・・走る。掴まっていろ」「え、ひゃっ」最早フードの意味などなく、山姥切は短く息を吐くなり華奢な身体を軽々と抱えて走り出した。「ちょっまんばく、こわい、」「・・・もうつく」「え」山姥切のフードを握りしめる刹那、トン、という着地音が聞こえた。ゆるゆると目を開くと、そこにはもう見慣れた屋敷があった。


「 ―――早く風呂に浸かって温まったほうがいい。
  主が戻ったことは、俺から皆に伝えておくから・・・主? 」


 を下ろしてやりながら、かすかな違和感を感じた山姥切はふわりと優しい笑みを浮かべた彼女と目があって、また小さく鼓動が跳ねた。「どうした」「―――いいえ。きょうはどうもありがとう。またご一緒していただけると嬉しいです、まんばくん」「・・・ああ、」短く返事をすると、これ以上気に病まくて良いと言わんばかりにぽんぽんと優しく頭を撫でられてしまった。


「 ? 」
「 おかえり兄弟 」


 きょとんと首をかしげていると、出迎えてくれたのは家事のひとつを終えたらしい堀川国広だった。「主さんと喧嘩でもした?」くすくすとからかうように言われ、一瞬だけむっとする。そんなんじゃないと思いたいが、かすかながらそんな雰囲気がにじみ出ていた。何か粗相でもしてしまったんだろうかと眉間にしわを寄せていると、つん、と眉間をつつかれてしまった。「気にしなくていいって言われたんでしょ」「相変わらず目ざといな」「兄弟は口数が少ない分、態度に現れやすいからねぇ」「・・・」「お出かけ、楽しかった?」きょうの要所を思い出しては、また鼓動がせわしくなる。「兄弟?」「だいじょうぶ、だ。主と貴重な時間をすごせた」「それ、微妙な言い回し。まあでも君が楽しかったなら、良かった」念相応な優しい笑顔に、ふっと心が軽くなった気がした。雨季はまだ、始まったばかりだ。




午後を閉じ込める水槽
( 主さんはきっと、名前で呼んでほしかったんだろうなあ )