「 き、 」
「 き? 」
「 きたああああああああああああああああああああああああああ! 」


 その日、久しく穏やかだった本丸に、激震が走った。
「わかった、わかったから主。うるさい」「だってっ!だってっ!天下5剣ですよ!これがじっとしていられますか!」朝から煩わしい、と日課をこなしながらため息を吐くものもあれば、奥でこそこそとやりとりをしている者もいる。まぁ、ある程度の察しはつくからここはあえて目をつむっておこう。それよりも――――「こりゃ、今夜は宴だな」先ほどから縁側でゴロゴロ転がりながら、時折悲鳴にも似た歓喜をあげながら、全身で喜びを表現しているこの本丸の主君――――をみやるなり、表情を和らげて「仕方ない、付き合ってやるか」と人知れず呟いた。
 「珍しいですね、あなたが乗り気とは」そういって音もなく背後に現れたのは、家事を終えたらしい堀川国広だ。


「 そういうんじゃない。ただ――― 」
「 ただ? 」


 どことなく沸き立っている本丸を見渡す。「待ってたんだもんな、ずっと」「ほんとうに、長い間」わかっているかのような口ぶりで、あとを引き継ぐ堀川国広に、肩をすくめる。「わかってんじゃねえか」「どうだろう。僕もここにきてずいぶん経つけど、君ほど知恵を与えられてはいないから」言われてみればそうだ、こいつは”戦力”としては脇差のなかでいちばん頼りにはされているが、知識は少ない。だから、主のほんとうのところは理解しかねるということなのだろう。「僕も、あの方のああいう姿をみるのは楽しいから構わないけどね」堀川国広の、どことなく穏やかな口調に”むっ”としながらも、彼に習って主をみつめる。


「 で?彼らはなにをしているんですか? 」


 そういって主が戻ってくるのとほとんど同時に「机仕事を片付けてきます」という堀川国広に目を細めて見送る。彼ら、というのは、先ほどまで奥でこそこそとやりとりをしていた、粟田口以下太刀の面々のことだ。「あぁ、なんでも賭け事をしていたらしい。小狐丸が先に来るか、三日月宗近が先に来るか」「なるほど。それはおもしろそうです。私も混ぜていただければよかったですね」「無理だろあんた、忙しいし、なにより賭け事は向かなそうだ」くくっとのどの奥で笑われてしまい、小さく頬を膨らませる。「ほんと、あんたってみていて飽きないなぁ」「なんですか。バカっぽいならバカっぽいってそういったら良いじゃないですか」「んー、いや?かわいい」わしゃわしゃと頭を撫でられてしまい、面食らって赤面する。


「 言っておくが、あんたのそんな表情を知っているのは俺だけだからな 」
「 そ、そんな口上を教えた覚えはありませんが!どういう意味でしょう! 」
「 三日月宗近に浮かれていられるのもいまのうちってことだ、 」


 こそっと耳元でささやくように言われ、みるみる全身が熱を帯びていくのが嫌でもわかる。「宴の用意、手伝ってくる」「っ」何か言い返そうと口元をパクパクさせているがまたかわいらしくて、このままどこかへ連れ去ってしまいたくなる衝動をおさえながら、料理当番の歌仙兼定と和泉守兼定がいる厨房へ足を運ぶ。「天下5剣が。へぇ。それはめでたいね。どれ、鯛でも用意しようか、和泉守」「あぁ?俺に買ってこいってか」「あぁ、外回りと根回しはこっちで引き受ける。調理場の増員が必要だったら、何人かひまそうな連中を連れてくるが」「うん、助かるよ。君は気が利くからありがたいね」「んーまぁ、料理とか家事が得意じゃねえから、よそで補おうっていう魂胆だよ」「さすがに難しいことを知ってるね。じゃあ、しばらくは案内とあいさつ回りかぁ。彼も疲れそうだ」ひらひらと手を振りながら見送る歌仙兼定に、「料理のことは任せた」とだけ言い残して調理場をあとにする。が仲間たちとはしゃぐ声が聞こえて、それだけなのに、じわりじわりと黒い”何か”が胸中を侵食していくのがわかる。「くそっなんなんだこりゃ、いったい」ダン、強く拳を外壁に打ち付ける。じんじんと手の甲が痛んだ。いろいろと教えてくれる主なら、何か教えてくれるかもしれない。だけれど、それはいけないことのような気がしていた。まぁ、戦場に出れば忘れるだろう――――そう思うことにして、薬研藤四郎は深く呼吸を整えた。今夜は、ひどく長い夜になりそうだ。


純心無垢を持て余し