「 主殿が現世に戻られて、もう数週間は経ちますか 」


 不意に、本丸にいた誰かがだれにともなくそういった。果たして何人に聞こえていたのかは定かではない。ここにきて100日以上経つだろうか、いつの間にか近時を任されるようになっていた薬研藤四郎は、ぼんやりと主が置いて行った暦をみやる。主に頼まれていた通り、堀川国広たちと交代で本丸を仕切りながら数名を部隊遠征に出し、あるものは遠く彼方の戦地へ、ある者は仲間に見守られながら工房へ。同じく近時の堀川国広や主が初期から連れ添っている歌仙兼定も、内番をこなしながら業務を行っている――――そう、刀といえどすべきことは山ほどあるのだ。それでなくてもそれなりの人数を抱えているこの本丸には、自分を含めて個性豊かな者も多い。まとめ役も早々出来ることではない。


「 ――― 薬研? 」


 不意に立ち上がった薬研藤四郎を不思議に思ってか、縁側の掃除などをしていた燭台切光忠に名を呼ばれた。「ちょっと、兄弟たちに稽古つけてくる」「おお、いってらっしゃい」ほんとうとは別の目的を示すと、納得したらしい彼は素直に送り出してくれた。まだ来て日の浅い者は、あまり知識がなくて助かる・と小さく胸をなでおろすと、薬研藤四郎は一匹がいるであろうその場所へ向かった。


「 よおキツネ 」
「 ―――― 薬研どの 」
「 ん、油揚げ。大和守安定と加州清光が言い合いしながら夕飯つくってる間にパクってきた 」
「 ………それでよく主殿に怒られてましたねあなたは 」
「 ―――― 昔、な 」


 それほど昔ともいえない過去を思い起こして、胸の奥がくすぐったくなる。「あんたもよく飽きないよな、毎日毎日」「もとより、あの方をここへ導いたのは私ですから」ほんのちょっと後悔のにじんだ瞳で、扉の向こうを見やるこんのすけに、薬研藤四郎もどこかやりきれなくなって、ドカッと乱暴に腰を下ろした。「自慢げだな。まるで主にいちばん信頼されているのは自分だとでもいいてえみてえだ」同じく調理場からくすめてきたおにぎりをほおばりながら、こんのすけの背中をみつめる。「どうですかね。あの方の本心はうかがえませんから。まあ、しいていうなら半々ってところですか」「疑い半分、信用半分」「そういうことです」おにぎりを食べ終えて、すこし大げさにため息を吐くなり薬研藤四郎はわしゃわしゃとこんのすけの毛並みを撫でた。


「 まだたったの数週間じゃねえか。主だって忙しいんだろ 」
「 ………… 」
「 んだよその顔は? 」
「 いえ、まさかあなたに慰められるとは思ってもみませんでした 」
「 悪かったな。俺だって会いたいんだよ主に!本心じゃ誰も言わねえが、俺だけじゃねえだろうがな 」


 ようやく落ち着いたのか、油揚げを頬張るこんのすけに、「俺も人外のくせに、大概だがな」と人知れず愚痴をこぼした。「いちばん最初におかえり、いうの俺だかんな」「さて、どうでしょう」「てんめえ!」「こればかりはタイミング次第ですから約束出来かねます」「譲るくらいのことはしてくれてもいいだろう!」「義理がありません」「切り刻んで夕飯の具材にしてやろうか」「何を物騒なことを言ってるんですか薬研くん」「だってこいつが!えっ」「主殿−!」「ごめんねこんのすけくん、現世での用事が長引いちゃって。待った?」「主っおかえり!」「あっ狡いですよ薬研どの!」「よかったじゃねえか夕飯の材料にならずにすんで」「あの−、おふたりとも?」胸倉をつかみあいながら再びケンカをはじめようとする一人と一匹を前に、きょとんとした様子のこの本丸の主・は、まばゆい笑顔で腕を広げた。「ただいまっ!」


待ちわびた花