きょうも、何処からか歌が聞こえる。すべてを包み込むような優しくて穏やかな旋律が。 宿屋の一室で寝付けずにいたアニスは、ひとり目を赤く腫らしていた。―― イオンが死んだ、ある日の夜だった。 「イオン様…ごめ、なさ…わたしのせい、で」何度も何度も、繰り返した言葉。そのたびに涙はあふれてあふれて、自分ではもう止められそうになかった。 そんなとき、風の音に混じって歌声が聞こえた。何処までも優しい ―― 魂までもが暖かくなるような旋律。アニスはどうせ寝付けないのだから、 と自分に言い聞かせるようにして、涙を拭ってゆっくりと腰を上げ、歌声の主を探してみることにした。 「この声…、ひょっとして…?」 聞き覚えのある声に、アニスはほんの少し鼓動が早まった。そうだ、これは間違いなくの声。だけど、どうしてが ―― そう問いたくて、足を速める。 アニスはカチャ、との部屋の扉を開けた。ノックもせずに入ったことは、あとで謝ろう。アニスはじ、っとまえを見据えて「…?」と名前を呼んだ。 すると、名前を呼ばれた人物は歌うのをやめてくるり、と振り返った。表情には、見慣れた笑顔を浮かべられたままだ。 「アニス、眠れないんですか?」 「う、ん…。あ、ノック忘れちゃってた…ごめんなさい」 「構いませんよ、アニスですからね。これがジェイドやガイだったら裏件をお見舞いするところでしたよ」 「はは、は…ってば相変わらず男性陣には厳しいんだね…ル−クは?良いの?」 「…そうですね、彼は特別に許可しましょうか」 「ってほんと、ル−クには優しいよね…優しいっていうか甘いっていうか」 「あら、わたしはみなさんに優しくしているつもりですけれど?」 「そうかなあ〜?大佐にはそんな感じぜんぜんしないけど−」 「大佐は大人ですからね、いろいろ心配する必要はないでしょうし…ココアで良いですか?」 「あ…大丈夫、少し話したらすぐ寝るから」 「とてもそうではないから、ここへ来たんでしょう?折角ですし、飲んでいってください」 「…ありがとう」 驚いた様子のアニスには「はい」と笑顔を浮かべて返事をした。には、何もかもお見通しのようだ。仲間たちのことも、全部。ここ数日、 自分だけじゃなく仲間たちみんなの気が滅入ってしまっていることに気づいている。それでいて何もしない、何も言わないのはなりの優しさなんだろう。 そんなとき、ただならぬ雰囲気の自分が部屋に飛び込んできた。そんな具合だろうと見解したアニスは、の差し出してくれたココアを受け取り、ベッドに腰掛けた。 「そういえば…さっき歌ってたの、?」 「はい。…あ、それで眠れなかったんですか?」 「ううん、もっとまえから眠れなかったから良いんだけど…聖歌?」 「そうですか…はい、聖歌ですよ。だいぶまえに、イオンやティアに教えてもらったんです。ダアトのミサで歌うんですよって」 「イオン様とティアが…?ぜんぜん知らなかった」 「ふふ、無理もないですね。アニスが導師護衛役になるまえのことですから」 「ほえ…そんなにまえなの?じゃあ、どうしていま歌ってたの?」 「イオン様が…ひとが、おなくなりになったからです」 言われて、アニスは胸がえぐられるような気持ちになった。なんていえば良いんだろう…そう、心臓を抜き取られるようなそんな感じ。は、そんなアニスに見かねて、彼女に上着を羽織らせ、もう一度ベランダに出た。そうして、歌を歌った。聖歌を ―― レクイエムと呼ばれる、あの歌を。 その歌を聴いていると、不思議だった。さっきまでの重苦しい気持ちが消えて、思考が停止する。自分からそうするんじゃなくて、自然とそうなるかのように。 「不思議…落ち着く…」ココアを半分ほど飲み終えて、アニスはぽつんと呟いた。まるで、時間が止まってるかのような感覚だ。 「って、歌も上手なんだね」 「ありがとうございます。アニスにそう言ってもらえるんでしたら、間違いありませんね」 「そんなことないと思うけど…。それ、いつも歌ってるの?」 「ほんとうはいつも歌いたいですが…それも大変なのでひとがなくなったときだけってことにしてるんです」 「へえ…そうなんだ」 ひと通り歌い終わったあとで、アニスはそんなふうに話を持ち出した。らしい、とアニスは思った。いつもひとのことを考えている、彼女だから出来ることなんだろう。 そしてそれは、自分にはきっと出来ない。自分に出来ることは、ほんとうに何もない。そんなことが頭の中を過ぎって、アニスは押し黙ってしまった。 「アニス、自信を持ってください」不意に、のそんな声がすぐ近くで聞こえて、アニスは顔を上げた。の視線は、すぐ目のまえにあった。不思議と、驚きはしなかった。は姿勢を低くして、アニスと目線を合わせるようにして、微笑んでいる。「アニスも、みんなも…自分に出来ることを、きちんとなさっています。わたしが断言します」そう言って、また微笑む。 「…ほんとうに、にはなんでもお見通しなんだね」 「わたしも、そう言う時期がありましたから。ただ、ジェイドの考えは図りかねますけれどね」 「はは、確かに。大佐は何考えてるのかぜんぜん分かんないときがあるよね−」 「ふふ、ほんとうに。それから…、アニス」 「な、なに?」 「わたしは…イオン様も、アニスも、だいすきです。そのことを、忘れないでくださいね」 「ど、どうしたの急に…?」 「覚えていて欲しかっただけです。そろそろ、夜更けですね…お部屋までお送りしましょうか」 「う、ううん、平気。きょうはありがとう、」 「そうですか?…分かりました。どういたしまして、アニス。おやすみなさい」 「うん。おやすみなさい!」 カップを置いてぺこっと頭を下げ、部屋を出て行くアニスを、は「可愛いなあ」なんて思いながら、その背中を見送った。ぱたん、と言う音がしたかと思うと、 部屋には静寂だけが残された。ほんとうは、もう少しここにいてもらいたかったのはこっちのほうだけど ―― まだ小さいアニスを、いつまでも付き合わせるわけにはいかない。 「あしたも、早いですしね…」呟くように言って、ベランダの扉を閉める。闇が、とてつもない速さで迫ってくる。だけど ―― それでも、歩いていけるのは。アニスやみんながいるからだ。 確かに、闇は怖い…怖くないひとなんて、きっとこの世界にはいないだろう。だからこそ、歌うのだ。ともに歩いてくれるひとのために、心をこめて。そのひとが、笑顔になれるように。 それでも明日は色づいて |