慌しかった任務もつい先刻に終えて、みんなよりもひと足早く一課に戻ってきていたは、大きめのソファに横たわってファッション雑誌を読んでいた。 「パンツ見えるぞ」 不意に、くつろぎの時間の邪魔をする人間の声がして、は少しばかり乱暴にファッション雑誌を閉じた。「それでも礼儀正しいお嬢様かよ」 くつろぎの邪魔をした張本人・倉林春はククッとのどの奥で笑って、ソファの端で早速タバコなんかを吸い始めた。「ここは禁煙ですよ倉林春くん」がそう、嫌味たらしく言ってみても、春は聞く耳持たずと言った様子で黙々とタバコを吸い続けていた。どこまでも腹たたしい、マナ−のなっていない人間だ。 「ニコチン中毒の倉林さん」 ぽつんとそう言うと、かすかに、けれど確かにの耳にピキッ、と言う神経の切れる音が聞こえた。いまのはたぶん、空耳なんかじゃなかった。「ふう…、衛藤快くんは?」がそんなふうに、ため息混じりにたずねてみると、春は「指導中だ」とだけ言って二本目を吸い始めた(早い…!)。 「そんな様子では、とても先が思いやられますね」はあきれたふうにそう言って、もう一度雑誌を眺め始めた。 「吸ってみるか?」 「冗談は顔だけにしてください」 「へぇ、怖いのか」 「そういう問題じゃないです。ただ単に嫌いなだけです」 いまの言葉はうそなんじゃかなかった。その体にまとわり付く煙幕も、鼻を刺すにおいも、何もかもが嫌いだった。明らかに体に悪そうなものばかりで、はそのタバコ自体がすきになれそうになかった。それはいままでもこれからも、変わらないことだと思う。 「なにより、あなたのお仲間になるなんて真っ平ごめんですからね、わたしは」 はそう言って嘆息し、煙幕から逃げるようにして自分の席に雑誌を置き、珈琲を注いだ。こっちのほうが、まだ体に優しい気がする。 「仲間ね。そりゃ同感」そう言って春はまたクク、と笑ってタバコの先を灰皿に押し付けた。どうらやもう、二本目も終わってしまったらしい。 春は、短時間に平気で何本も吸う。それを見るたび、静止したくなるくらい手が伸びそうになることがある。同時に、このひとはすでに病気なんじゃないか・とも思う。 「実際病気なのかもしれないですけどね…ニコチン中毒ですし」 「何か言ったか?」 「春くんは病的にタバコ吸いすぎだって言っただけです」 「んなの、いまさらだろ」 開き直ったようにそう言って、箱から三本目を取り出す春を見やり、はやれやれと肩をすくめた。確かにそうかもしれないが、改心しようという気持ちはないのだろうか。 まあ、ないからこその現行なんだろう(改心する気があったなら、とっくの昔にしているはずだし)。吸わない人間の立場にもなってもらいたいものだ、と心底思うけれど、言っても無駄だろうから我慢するしかない。 「それにしてもあんた、自意識過剰にもほどがあるぜ」 「はい?なんのことですか?」 「今回の潜伏調査。ちらちら俺らのこと見てたら、いくら新人だって分かるに決まってんだろうが」 「あれは…!」 「それとも俺の教師姿に見入ってたとか」 「冗談じゃないですよ!あれはただ、おふたりが今回はじめて大きな施設に紛れ込むからと部長から…!」 「へぇ?どうだか」 ムキ−!はいまにもそんな勢いで地団太を踏んでしまいそうになるのを必死で我慢しながら、大きく深呼吸をした。だいたい、誰がこんなひとの教師姿になんか見ほれますか!は胸中でそう叫び、これ以上気にしすぎないようにぶんぶんと首を振った。振りすぎてちょっと首が痛くなったかもしれないが、いまはもうそれどころじゃない。 「じゃあさ、」 「あのですね、先輩でしょって何回言えば…、!?」 顔を上げてみて、驚いた。思わず「ひゃ…!」ていう声が出てしまいそうなほど春の顔が近くにあった。だけれど、ここで変な声を出したりしたら春の思う壺だと分かっていたから、必死で我慢した。 なんだか、このひとと話をするときは必ず何かを我慢しているような気がして、違和感すら覚える。いまにもくっ付いてしまいそうなほどの至近距離で、春は「おまえのこと、すきだって言ったらどうする?」 なんて馬鹿らしいことを言ってきた。だからは何か言い返すためにと顔を背けたかったのに、春の手がそれを阻む。何がしたいんだろう、このひとは。 「冗談は顔だけにしてくださいね、倉林春くん」 「やっぱりあんた、苦手なタイプだ」 そう言って春は眉間にしわを寄せて、やっと顔を引き剥がした。はふう、と一息ついて、立ち去っていく春の背中を見つめた。「それはわたしだってですよ…」だんだん見えなくなっていく背中に届くように、届かないように呟いて、少し冷めかけた珈琲を口に含む。 「ほんとうに、よくわからないひとです…」 嫌いで結構。そう続けるはずだったのに、鼓動がそれを邪魔する。どくんどくん、じゃなくてばくんばくん。おかしい、おかしい。どうしてあんなやつのためにこんなに心臓が暴れ回っているのだろう。 自分は、ほんとうに、なんとも。「あのひとのことなんて気にしてなんか…!」そう、していないはずだ。それなのに、まるでその矛盾を証明するかのように、心臓がうるさい。 期待と、嫌われてしまったと言う不安感と。要するに、見事に平静を狂わされてしまったわけだ。冷静さを ―― 「乱された…!」。 ゆだねるまえに、 堕落 |