「 ふう――――あら? 」 最初の梅がほころび始めた、まだ寒さの残るある日。 最近良くみかける参拝客の女の子が、また来てくれていた。女の子?否、二十歳前後の女性かもしれない。私服だから年齢までは分からないが――――まだ幼さの残る横顔をキラリと夕日が照らした。彼女がいつも耳につけているピアスが、やけに哀愁をおびているように思えた。「こんにちは」「あ――――こんにちは」「いつもありがとうございます。お話するのははじめて、ですね」「はい。なんだか、ここにお参りに来ると心が落ち着くんです」「…………そうですか。ありがとうございます」やんわりと笑みを浮かべ、すこしばかり名残惜しそうな表情の彼女の背中を見送る。 「 ――――あの 」 「 はい? 」 「 良かったら、すこしお話しませんか 」 「 でも仕事………… 」 「 帰りたくないというお顔をしているようにみえましたので。こちらのことでしたらお仕事はほとんど片付いていますし 」 鐘の音が鳴り渡り、夕方の5時を告げる。すべてのものが家路につく時刻だ。ちょうど売店も閉まる刻限だと言いたいのだろう。確かに、これからの時間、あまり人の姿をみかけない。目の前の少女は得心した様子で――――だけれど、ほんのちょっと困ったような笑みを浮かべて、言葉に甘えることにしたようだ。「どこかでお会いしましたか?」お茶をいれながら、コタツでくつろいでいる彼女にそう問いかけた。ふるふる。当然のように首を振られ、それもそうだよなと心のつかえを払う言葉を探す。彼女とはじめてあったとき――――なぜか、いつかこのひととこういう機会をつくらなければならないという妙な使命感に駆られていた。そしてきょう、心が「いまだ」と警鐘を鳴らすようにはやし立てるから、こうして彼女を招き入れたわけだが――――別段、なにが起こるというわけでもなしに。刻々と、ゆるい時間だけがすぎていく。 「みたところ、わたしとそれほど変わらない年に思えるんですが」「まあ、成人は迎えてますね」苦笑し、曖昧さを残したままお茶をすする。はまた首をかしげ、彼女に習って自分もまたお茶をすする。「わたしはこの神社の宮司の娘です。って言います」「わたしは青柳陸」「珍しいお名前ですね」「ふふ。よく言われる」「あの、青柳さん」「陸、でいいよ、ちゃん。歳も変わらないみたいだし、あなたのことは信用出来る気がする」「ありがとうございます。ですがその、ちゃんというのは」「中二クサイって言いたいわけ?」陸の物言いがおかしくて、がくすくすと笑っていると、陸と名乗った女性は肩をすくめた。 「 笑いすぎ 」 「 ふふっごめんなさい陸さん――――ああ、 」 「 どうしたの 」 「 …………質問の内容を忘れてしまいました 」 一瞬驚いて瞬きをするを、しばらく呆れた様子でみやっていた陸だったが――――つられて、ふたり揃って笑い声をあげた。「は−ぁ、こんな能天気な子がこの神社の跡取りだなんて」「良いじゃないですか。ゆるふわ系もたまには」「ゆるふわ系って、自分で言う?」返す言葉もないと言った様子で、また肩をすくめる陸に、もさすがに申し訳なくなった。「ごめんなさいね」「え?」「もしかして、わたしのなかにある妙な力のせいであなたに変な気を使わせてしまったんじゃないかと思って」「いいえ。もともとそう言った類には敏感なんです、気になさらないでください」「…………年下のくせに変に丁寧な物言いね−」「お客さんですから。もちろん、外ではちゃんと高校生、やってますよ」「あっそう。ってことは18だ」「大正解です」「どこの高校?」「××高校です」「えっあたしの母校じゃん――――って、そりゃそうか。こうして通える位置関係だもんねぇ。近所でってなったら当然も当然か」「はい。でも、陸さんの出身校まではわかりませんでしたよ」「それもそうね」しばしのガ−ルズト−クのあと。一服ののち――――陸は足を崩して、頬杖をついた。心の内を、話してくれる気になったのか。 「 長い話になりそうですか 」 「 …………なんで、嬉しそうなのよ 」 「 思い当たったんです。あなたの密かな力を感じ取ったから、引き止めずにはいられなかったのだと 」 「 なるほど、引っ掛かりが取れたからってことなのね。それじゃあ、この話はいらないかあ 」 「 いらないなんてないですよ。ただ―――― 」 「 ただ? 」 「 いずれ忘れるお話をあえてするのも、いかがなものかと思っただけです 」 「 忘れる…………かあ…………それもそうね。ひとは、忘れる生き物だものね 」 「 わたしたちは、この力ゆえにほかのひとには体験できない貴重な体験をした。それだけのことだと 」 「 あんたは、そんなふうに割り切ることにしたってわけ? 」 身を乗り出すようにして、陸が表情を険しくする。の笑顔に、ほんのすこしだが寂しさを感じ取った陸は、ちいさくため息を吐いた。「すみません、過去にはこだわらない性分なので」「あたしはね」「陸さん?」「いままでであってきたひとがいたから、いまのあたしがいるって思うの」「いまの自分があるのは、他人に生かされているからだと」「わかってるじゃない。なのにどうして、忘れようなんて」「だって。どうやっても、もう二度と会えない方ばかりじゃないですか」「わからないわよ?なにかの拍子に会えるかもしれないじゃない」「でも、状況は違います」「たとえそうだとしても、それ以上のつながりがある。あたしはそう信じてる」「なんかカッコイイです、陸さん」「あんた、丸く収めようとしてるでしょ」ずいっ――――そんな効果音が聞こえそうなほどの迫真に、も思わず後退りをする。「わたしは、陸さんのようには強くなれません。だから」「負担を減らすために、大事な過去や思いを消し去るってこと?」「なんかひどい物言いです陸さん…………」「なかったことにしようとするからよ!わたしは忘れるなんて出来ない。ぜったい」「…………」沈黙が流れる。古時計が時刻を告げて、不意に沈黙を破る。いつの間にこんなに話し込んでいたのだろう、時刻は午後7時を迎えていた。 「 …………また来るわ 」 「 えっ来ちゃうんですか 」 「 納得いかないし。それに―――― 」 「 ? 」 「 悔しいけど、あんたなんかがいるってわかってても――――ここが、心が安らぐ唯一の場所だしね 」 「 わたしなんかって…………でもまあ…………ありがとうございます 」 「 …………おっ自虐か? 」 「 違います−!お話をして、すっきりしたような気がします。 思いがけず抱えてしまった行き場のないこの感情をどう処理すれば良いのか…………。 わたしもまた、多少なりと迷っていましたので 」 「 …………忘れる気満々だったくせに 」 「 ええ。これで、すっぱり忘れられます 」 「 じゃあ、あたしは来ない方が良い? 」 「 そうですね…………本来ならば、そうお断りするのが筋でしょうが 」 は立ち上がるなり、すこしばかりうなだれた様子の陸に歩み寄って、手のひらを差し出した。「貴重な経験をした者同士、良いお友達になれればとは思います」「喧嘩友達になりそうよね…………」「それも良いかもしれません。今度は、あなたのほうのお話を聞かせてください」「あんたの話も全部聞いたわけじゃないんだけど?」「そうですか?わたしのほうは、綺麗さっぱり解決しましたが」「−!」陸の甲高い声が境内に木霊する。どうやら、この女性にすべてを話してしまうまでは、忘れるわけにはいかないようだ。 いつかは忘れる予定です |