誰かこの状況を説明してほしい、と漆黒の黒髪をなびかせている少女、は切実にそう思った。
きょうはたまたま新宿に用事があって買い物に来ていて、たまたまあの有名な情報屋、折原臨也と遭遇して、そしてたまたま食事に誘われて情報交換という名のランチの時間を楽しんでいた筈なのに、目の前は闘技場 ―――――― 否、戦場と呼ぶに相応しい状況になってしまっている。それもこれも、突然折原臨也に飛びかかった池袋の平和島静雄にも非があるわけだが、止めに入れる当事者の自分自身もまた傍観者でいるのには、単純明快な理由があったからだ。

「 ――――― ご飯、食べてしまわなくちゃもったいないもの。折原君のおごりだし 」
「 そんな理由かよ!!! 」
「 だってそういう取引だし。ね−折原君 」
「 まったく肝の据わった女だね−きみは。だからおもしろい。だから離れられない 」
「 変態発言はんた−い。だから平和島君の怒りを買う。でもそこはあえて言わない 」
「 そのとおり。もっとも当の静ちゃんはなにも分かっちゃいないみたいだけどね−うわっ 」
「 なにが分かってね−んだよなにが!!オレだってのことくらい!! 」
「 ふ−ん言ったね?じゃあ静ちゃんはちゃんの何を知ってるって言うのかな−? 」
「 ――――― それは、 」


 平和島静雄は珍しく口ごもり、すこし前までやんちゃだった動作の一切が停止する。「平和島君、あぶない」「スキあり−!」「うおっ!」淡々としたの助言も空しく、平和島静雄は盛大に折原臨也の一蹴を食らった。「ちゃんずいぶんふたりの扱いに慣れてきたね」「店長さん。すみません、こんなことになってしまって」こんなときのために折原臨也から預かっていたお代を店長に支払い、詫びをいれる。「ちゃんもひとが悪いね−余所でやれってひと言くらい言ってくれたって良いのに」「だってどこにいったって警察沙汰は免れないし、これ以上賠償請求が来るのもごめんだもの」「あはは−言えてる。手伝ってくれるこっちとしては、なんとも言えないんだけどね」「手伝うったってバイト先だし。今度お詫びにおいしいケ−キでも持って来ます」「うん、楽しみにしているよ。あと、ただ働きもね」「もうっ。ご馳走様でした」「お大事に−」最後に嫌味な一言を言われてしまい、苦笑いを浮かべるしかない。いまが人気の少ないおやつ時で良かった、とまだ暴れ狂っているふたりを見やってため息を吐いた。
 「疲れた。帰ろうかな」「待って!まだ話は終わってないよ」「なによ。情報なら十分与えたし、ごちそうにもなったし、取引終了じゃない?」「僕はまだ、」「新宿ならまた来てあげるから。てゆ−かあんたたちのせいでただ働きになったんだよ?分かってる?」「うっそれは」「…すまない」「謝らなきゃいけないひとはほかにもいると思うんだけど」荷物をまとめ、店を出ようとするを断固として引きとめようとする折原臨也と、平和島静雄のふたり。


「 とにかくきょうは帰るからね。行こう平和島君 」
「 ちゃん。あのこと、静ちゃんには言ったの? 」
「 ―――――― 言ってないよ。だからこそ折原君を頼ったんじゃない 」
「 ―――――― そうか。うん、分かった 」
「 ちなみにいまのも情報料に入るからね 」
「 まったくちゃんは目ざといな−分かってるよ。そこの番犬が怖いからいい加減おいとまするよ。それじゃあまたね 」
「 怒らせたの折原君。それじゃ−ね!店長さんもお邪魔しました 」
「 ああ、またなちゃん 」


 去っていく折原臨也と、茫然としている平和島静雄の手を引いて池袋方面へと引き上げていくの三者を交互に見やり、店長は感心する反面、瓦礫の山と化した店内を見渡してひとり、盛大にため息を吐いた。
 なんとなく気まずい岐路の途中、に手を引かれたままの平和島静雄がやんわりと口を開いた。「おい」「ん、なに?」「折原の野郎が言っていた、あのことってなんだ」「あれっ平和島君には言ってなかったっけ」「俺はなにも聴いちゃいない」「だったらどうして、なにも言わずにわたしの面倒みてくれたの?」「それは」言いかけて、口ごもる。そうだあの日 ―――――― あの日もきょうみたいに折原臨也と盛大にバトルをしたあとで、いつまでこんな関係が続くんだろうと半ば嫌気がさしていたところ、道端にずぶ濡れになっていた少女をみつけたのだ。それがいま、愛くるしい表情をして小首をかしげている彼女、だったというわけだが、気にかけて面倒をみていた理由は思い浮かばない。


「 ただの気まぐれ?偽善行為? 」
「 ―――――― なんだと!! 」
「 ごめんごめん、冗談だってば。平和島君が優しいのは分かってるつもりだし、
  助けてくれたことも感謝してる。だからこそ、平和島君には言うのが怖いの 」
「 怖い?あいつには平気で話せて、オレには怖いって言うのか? 」
「 軽蔑されちゃうから、きっと。そしたらもう、あたしは平和島君とはいっしょにいられないかもしれない 」
「 それを決めるのは俺だ。俺にはの秘密を知る権利がある 」
「 確かに、そうだね。平和島君は間違ってない。でもだめ、もうすこし時間をちょうだい? 」

 「なに、オメ−が泣きそうな顔してンだよ」「え」言われて、はっとした。表情が笑っていないことは自覚していたが、いままさに頬から伝っていく涙が、自分は泣いているのだと証明していた。「辛かったんだろう、あの情報屋を頼りたくなるくらい。苦しかったんだろう、たったひとりきりで」「平和島君、」「泣け。そしてこれからは俺に黙って折原の野郎のところへ行くな」平和島静雄の言葉が、ひとつひとつの心の中に浸透していく。はとうとう我慢出来ずに、声をあげて泣いた。いまでこそ釈然と現実を受け入れて別世界の「東京」という街を歩いてはいるが、そこに両親はいない。親友はいない。帰るすべもない。途方に暮れていた矢先に出会った平和島静雄という池袋最強と謳われた男の腕の中は、どうしようもないくらい温かくて、優しかった。


「 ――――― 落ち着いたか 」
「 うん、ありがとう。泣いたらすっきりした! 」
「 そいつは良かった ―――――― 帰るか 」
「 ―――――― うん、 」


 「ほら」言われるまま、差し伸べられた大きな手のひらを握り返す。力強く優しい掌が、彼はオトコノヒトなのだということを証明しているようで、はほんのすこし照れくさくなった。「ありがとう平和島君」「ンだよいきなり。恥ずかし−な」「お礼言いたくなって。これからもよろしくお願いします」「出来ることなら、ずっとな」「え?」「急にいなくなるとか、ナシだかんな」「うん、分かった。約束する」「絶対だぞ」気のせいだったのかもしれない。あの平和島静雄が泣くなんてことないのに、どうしてだか泣いているように聞こえてしまった。声も震えているようで、その後ろ姿は心なしか頼りないようにもみえる。平和島静雄の気持ちに、ほんとうは気付いていた。折原臨也も言っていたとおり、当人はまだ気付いていないかもしれないが彼はたぶん、すきなんだと思う。一生懸命、平和島静雄の手を握り返しているのことが。そして彼女もまた、気付いている。だからこそ言えないのだ、自分は違う世界の人間なのだと。だから相容れることはかなわないのだと。平和島静雄がすきだと、告げてはならないのだと。



ほしくずみたいに優しい嘘を