イギリスは黙々と歩いていた。
日本の家へ向かっているのだが、彼の脳内を占めているのはひとりの少女のことだけだ。かっと照りつけてくる真昼の太陽を受けながら、むつかしい顔をして考えるには不釣り合いな、ふんわりと笑う少女。イギリスは自分の家からずっとその少女のことだけを考えて歩いてきた。暑さにやられた訳ではない。弁解するならば、普段から考えている。イギリスは少女のふんわりとした笑みを思い浮かべ、あたたかいものが体を満たすのを感じると同時に、体を掻き毟りたくなるような衝動を覚えた。もう一度言う。彼は暑さに頭をやられた訳ではない。イギリスの頭を占める少女――――――は、彼にそんな笑みを浮かべることは滅多にない。イギリスが覚えている範囲で片手で事足りてしまうくらいだ。それは彼自身が痛い程理解している。はイギリスと顔を合わせるといつも俯いてしまう。ただでさえ背が小さくて表情を窺うのが大変だというのに、俯かれてしまえば、イギリスがの顔を見れる可能性は、ゼロに近くなる。しかも、それだけでは飽きたらず、彼女は落ち着きなくそわそわとし始め、一刻も早くその場から離れたい、といった素振りを見せるのだ。


イギリスは動かしていた足をびたりと止めた。
嫌われている、というのは敢えて考えない。考えたくない。


イギリスはまた足を動かす。何度でも言うが、彼の頭は正常だ。ただ、のことを考えている時は多少、そう、多少、周りが見えなくなってしまう傾向にあるだけ。
睨んでいる様に見えているのだろうか?イギリスは考えた。自分ではわからないが、を前にしている時はなるべくやさしい顔をしようと心がけているのに。それでも彼女には怖い顔になるのだろうか。と会うと、どうしても緊張してうまき言葉が紡げなくなってしまう。それが仏頂面に見えているのかもしれない。だが彼の性格上、フランスやスペインやイタリアやアメリカのように笑顔を振りまくことは不可能に近い。そんなスキルがあったらもっと前から有効活用しているはずだ。それでも、今日こそは、とに会う機会の旅に思うのだが、上手くいったためしがない。だとしても、思わないよりはましだと、懲りずに今回も決心してしまうのだが。


イギリスは目的地である日本の家の前まで自分が辿り着いているのに気づかなかった。もうそんなに歩いたのか。考え事をしていたとはいえ、随分な距離を歩いたのに。もう扉は目の前だ。一度、心を落ち着かせるために大きく息を吸う。
大丈夫だ。まずは挨拶。そして世間話でも。話すことに意味がある。出来そうならば、今度新しくできたカフェに誘おう。大丈夫だ。俺ならできる。
自分に暗示をかけながら、吸った分の息を吐き出そうとした瞬間だった。目の前の戸が突如開き、イギリスは盛大に咽せることになった。



「!?…ど、どうしましたイギリスさん…」
「っ、だ、だいじょうぶだ」



戸を開けたのは幸運にもこの家の主人の日本で、彼にしては珍しく、目を丸くして驚いたようだった。呼吸をなんとか整えたイギリスは、一つ咳払いをして日本を見る。彼の背後にはいなかった。
日本はどこか余所行きの装いで、イギリスは不思議に思う。指摘すると慌てたように日本は時計を見た。



「今からすこし、アメリカさんと会わなくてはいけなくて…イギリスさんさえ宜しければ、中で待っていていただけますか?」
「あ、ああ。別にいい」
「すぐに戻りますので…。実は彼女を一人、置いておくのは心配だったので。助かります。それでは」



ぺこりと頭を下げ、日本はイギリスが来た道を戻っていった。その後ろ姿を見ながら、彼の言葉を反芻する。日本の言うことによると、今、この家にいるのはひとりということか?
その事実に気づいてしまうと、顔に熱が集まるのを止められなかった。今までなんとか会話が成り立っていたのは、間に日本がいたからだ。その緩衝材とも言える日本がいない状態で、自分は大丈夫だろうか?は?
しかし、言い換えれば、二人だけというのはチャンスなのかもしれない。二人だけしかいないのならば、いつもよりかは素直に想いを伝えられるかも…。イギリスは意を決して扉に手をかけた。





      ♪      ♪      ♪   





日本の家の中は妙に静かで、声を出すのが憚られた。いつもならば、がぱたぱたと足音を響かせて、何かしらの家事をしているというのに。どうしたのだろうか。「…邪魔するぞ、」イギリスは緊張しながらもそう呟いて、一歩中へ踏み込んだ。


茶の間、と日本が前に言っていた部屋を覗くと、はちゃんといた。しかし、イギリスの予想に大幅に反した姿であったが。



「…寝てる、のか?」



テーブルに突っ伏して、は静かに肩を上下させていた。耳をすませば、寝息も聞こえる。拍子抜けだった。日本が彼女に対して珍しく、心配、という言葉を使った意味にようやく気づく。変に脱力してしまったイギリスは、音を立てないように気を遣いながら、の横に腰を下ろした。腕を枕にしたりして、痺れたりしないのだろうか。起きる気配を見せないので、イギリスは滅多に見れない彼女の顔をまじまじと観察する。
穏やかな静寂に包まれた空間。部屋には、イギリスとしかいない。奇妙な偶然で出来上がったその空間は、イギリスが大胆になるのを許しているようで、妙に神妙な面もちで彼はそっと、彼女に手を伸ばした。
黒い、光沢のある髪の中で異彩を放つ水色の前髪。その部分だけをやさしく掴んで、手のひらに載せた。色に反して不思議とあたたかいそれ。吸い込まれるように、イギリスはその髪に唇を寄せていた。離れる瞬間に、間近にある彼女の顔を見る。うっすら微笑んでいるようで、体中があたたかくなった。こんなに間近での顔を見つめるのは初めてのはずなのに、妙に落ち着いてるんだから、笑ってしまう。だったら何故いつも落ち着いていられないんだ。



「……、」



起きろよ。呟いたとて、目を覚ます様子はもちろんない。
起きろよ。今なら、言える気がするんだ。
もう一度、彼女の名を呼ぶ。呼びながらイギリスの手はの頬を撫でていて、柔らかい肌を堪能していた。日本が帰ってくるまであと、どのくらいだろう?できるなら、もうすこし、このまま。



「すきだ、



俺以外、見るなよ。
彼の素直な感情はあたたかな静寂の中に霧散し、溶けた。誰も聞いてはいない。だが、イギリスにはそれでよかった。