やっと春らしい陽気になったとはいえ、まだすこし肌寒い。は隣を歩く金久保誉の気配を感じながら、ぼやけた夜空を仰いだ。お月様は昇ったばかりだからか幻想的な、それでいてすこし不気味な色をして、ふたりを見下ろしている。すこし離れた位置に、宵の明星。月を追いかけるように、背伸びをしているみたいだった。まるで、いまの自分の深層心理を表しているようだと、はひとりふっと笑みを灯した。 「 うん?なにかおもしろかった? 」 「 違うんです。しいていうなら、誉先輩から天体観測に誘うなんて珍しいなあって 」 「 なんだか気になる言い方だなあ。弓道部には無縁そうだって?こんなんでも一応天体を勉強してるんですケド 」 「 あははそうでした。それはそれは失敬 」 「 ってば、あんまり顔が謝ってないよ? 」 すこし困ったように誉が笑えば、つられても笑う。そんな何気ない日常のひとつひとつが嬉しくて仕方ないのだ。誉も、も。学年やクラブが違うこともあっておなじ学園にいるはずなのに日中ふれあう時間も少なく、お互い恋仲になってからは寂しい思いをすることもしばしばだった。そんなふたりがこうして手をつないで天体観測ができるのも、誉の親友、東月錫也との親友、夜久月子の引き合いがあったからこそだということも、もちろん忘れてはならない。 「 何度みてもきれいですね、高台からみる夜空って 」 「 届きそうな気がするでしょ 」 「 誉先輩ってばロマンチスト 」 「 もう天体観測に呼んであげないよ 」 「 誉先輩にそんなこと言われたってぜんぜん説得力ありませんね 」 「 それでも後輩のいう台詞?おばさんに一度ちゃんと言ってもらわないとなあ 」 「 わーっごめんなさいごめんなさい!お母さんの説教長いからいやなんですごめんなさいっ 」 「最初から素直にそう言っていれば良かったのに」ツン、と眉間をつつかれて、反射的に眉間をさする。怒られているのに、なんだか嬉しいだなんて感じてしまうのは不謹慎だから口には出さないが、誉の言葉ひとつひとつが自分のためだと思うと嬉しくて仕方がない。「そういえばどうしていきなり天体観測なんて誘ってくださったんですか?」しばらく星を眺めていると、は大きな瞳をさらに見開いてずっと思っていたことを誉に尋ねた。最初にも言ったが、普段天体観測へはだいたいから誘うことが多いのだが、今回は珍しく逆だった。はそのことが気になって仕方なかったのだ。 「 うん?そんなに珍しいかな 」 「 とっても珍しいです。だからなにかすごく大事な話でもあるのかと思って 」 「 もしかして最近難しい顔をしていたのってそのせい? 」 「 9割そのことですね。あとの1割は、 」 「 ――――― お母さんの、ことだね 」 「 ――――― はい 」 が大きな瞳を伏せると、誉はぎゅっと彼女の手を握りしめた。「ごめん」「誉先輩が気にすることないですよ−。でも、気にかけてくださってありがとうございます」「ひょっとして元気になったからお父さんのところに引っ越す、とか?」「誉先輩、もしかしてそのことを気にしていたんですか」「まあ、すこし、ね」誉がはじめてみせる、困惑した笑顔に、の胸はまたすこし痛んだ。 「まだまだ改善の見込みはありませんが、将来的にはおそらくそうなると思います」「は、それで良いの?」「良くはありません。だから、お願いするつもりです」はまっすぐ、ひとつの星を見据えてそう言った。とても気高く、凛とした瞳と声に惹かれた。誉のだいすきな、の横顔だ。 「 お願いってなにを? 」 「 何度も転校するのは大変だから、この学園だけはちゃんと卒業させてくださいって 」 「 良かった。希望が通ると良いね 」 「 はい。それにわたし、不思議なんです。前までは大嫌いだった授業が、いまはすごく楽しみなんです 」 「 それは、先輩としては複雑だなあ 」 そう言って笑った誉の表情からは、すでに先ほどまでの困惑は消えていた。ぎゅっ。「どうしたの?」「いつも先輩からしていただいているので、お礼です。あと、」「うん?」不思議そうに首をかしげる誉に、背中越しに触れる穏やかなソプラノ。「不安にさせてしまったお詫び、かな」「ふふ。良い子良い子」「むっまたそうやって子供扱いしてっ」「違うよ。これは僕なりのお礼っていうか愛情表現」「変態です」「え−失礼だなあ。ふふっほんとうはね」「はい?」「ここのところの元気がなかったから、気分転換になればって思ったんだ」「誉先輩」「腕枕でもしようか?」「じゃあ、お言葉に甘えて?」がすこし照れたように首をかしげると、誉はどうして疑問系なんだ、って言って笑った。どうしよう。いま、すごく幸せだ。どうかだれも、この時間を遮らないでほしい。できることならずっとこのまま彼の温もりに甘えてしまいたい。 「 羊が一匹、羊が二匹、 」 「 誉先輩、眠いんですか 」 「 そんなことないよ。が眠たいの我慢してるから 」 「 先輩だってずっと眠そうです。羊ならわたしが数えますよ 」 「 だめだよ。今回は僕が誘ったんだから、はまた今度 」 「 む−。は−い 」 「素直でよろしい」そう言ってまた、誉が笑う。夜空に舞う桜に映えて、とても絵になっていた。は、誉は夜が似合うひとだななんて思いながら、重たい瞼を閉じた。次に目が覚めたら、いちばんに誉を起こしてあげよう。そんなことを考えながら、深い深い眠りの縁に落ちた。 夜半の夢にて君を待つ |