ピルル、ピルル ―――― 耳元で聴きなれた電子音がして、誉はまだ重たい目蓋をゆっくりと開いた。時刻は午後24時を回ろうとしている。どうやらお風呂に入ったあと、疲れて自室のソファで眠ってしまっていたらしい。目覚ましをセットした覚えはないから、メ−ルだろう。それにしても、こんな時間にメ−ルがくるなんて。送って来るとしたら、相当変わった発信者だ ―――― って、相手がだったら怒られてしまうかもしれない。案の定、発信源はだった。文面は”あいたい”のひとことだけ。こんな時間にから会いたいだなんて言われたことは、いままでに一度もなかった。春といえども、まだ寒い。厚着をして高台に行こう ―――― が自分を待っているとすれば、その場所だ。 「 いた、。こんな時間にどうしたの? 」 「 ごめん、なさい…寝てたんでしょ? 」 「 ―――― 、おいで 」 一目見て、の様子がいつもとは違うと言うことに気付いた誉は、手招きをするなりを抱きしめた。「ほ、誉先輩?」「ん?がね、こうしてほしそうな顔をしていたから。嫌だった?」ふるふる、と首を一生懸命降っているのやわらかい髪からふわりと優しいにおいがした。「聴いても、良いかな?なにがあったの?」「夢を、みたの」「夢、ってきみも、珍しく仮眠してたんだねぇ」くすくすと笑っていると、むうっと頬を膨らませたがいて、可愛いなあと思う反面、申し訳なくも思う。ゆっくりとの頭を撫でるようにしながら、選ぶように言葉を紡ぐ。 「 ごめんごめん、どんな夢だったの? 」 「 ―――― 誉先輩が、いなくなっちゃう夢 」 「 僕が消える夢?ああそれでは、不安になって僕に会いに来てくれたんだ 」 「 先輩…なんだか楽しそう 」 「 失礼だなあ、嬉しそうって言ってよ。実際僕は、こうしてに会えて嬉しいんだから。あいたいって言ってくれたことも含めて、ね? 」 「 ほんとかなあ 」 「 ほんとうだよ。ほら、その証拠に 」 ちゅ、となんとも可愛らしいリップ音がして、は思わず自分の額に手を添えた。「ま、またそんな、予告なくっ…」「はは、ってばほんとうに可愛いなあ。どう?まだ不安?」「え…?」「僕がちゃんと会いに来たことが分かって、触れ合って、キスもして。まだ不安?」ふるふる、と無言のままが首を振る。「良かった。彼女を不安にさせるなんて、恋人失格だからね。時々僕も、をちゃんと守れているのかって、不安になるときがあるんだ」「誉先輩…」「大丈夫、僕はになにも言わずに離れたりしないよ」「ほんとう?」「うん。だからね、こっち来て?もっとをそばに感じていたいな」「先輩って甘え上手ですよね、絶対」「ふふっそんなことないよ。それを言ったら、だって十分甘え上手だよ?」ふふっと、誉が笑うたび空気が優しく震えて、その振動が誉はそばにいるんだっていう安心感を与えてくれる。 「 でも、嬉しいなあ 」 「 ―――― え? 」 「 僕のために不安になってくれたり、涙を見せてくれたり ―――― 普段あまり見ないを見せてくれて 」 「 …すきで見せたわけじゃありません 」 「 が敬語になるのって、ほんとうに怒ってるときだよね。ごめんごめん、そんなつもりはなかったんだ 」 「 分かってます。誉先輩はほんとうに素直だから、思ったことをそのまま言ってくれただけなんですよね 」 「 ごめんね。がいつもと違うから、その隙に付け込んでるのかも…やっぱりきょうの僕、おかしいね 」 「 おかしいです。なにか変なことでも考えてるんじゃないですか? 」 「 変なことって?そうだな、たとえば…このままを抱いてしまおうとか? 」 「 やっぱり会いたいなんて言わないほうが良かったかなあ… 」 「 冗談だよ、まだまだとは”そうする”前にやりたいことがたくさんあるんだ 」 「 先輩、それ何気にいずれそうするときが来るのが楽しみだって公言してるようなものですよ…はぁ。なんですか?やりたいことって 」 「 そうだなあ…こうしてを星の下で抱きしめたり、お花見したり、もっとたくさんデ−トしたり 」 「 分かりました、要はいっしょに遊びたいわけですね。あしたお花見行きましょう 」 「 そんなに急ぐことないのに…ってば 」 くすくすと、すこし上のほうで誉が楽しそうに笑っている。何が楽しいのか自分には理解出来ないが、楽しみが増えるのは良いことだ。ちょうどいまは春休みだし、誉といっしょにお花見も良いかもしれない。「あ−温かい。このままを離したくないなあ」「突然どうしたんですか?」「きょうは寒かったから…早くこうしたいなってずっと思ってたんだ」「…変態ですね」「手厳しいなあは。でも温かいから、一石二鳥でしょ?」「それにはまあ、納得ですけど」まだ腑に落ちない様子のは、誉に抱かれたままちょこんと首をかしげていた。そのひとつひとつがとても愛らしくて、このままのすべてを”ここ”に閉じ込めてしまいたくなる。「ねえ?」「はい?」「ふたつめのやりたいこと。が言ってた、星の下でのキス。いま実践しても良いかな?」「仕方ないですね。特別に許可します」「ありがとう」誉はそう言うなり、ふわりとの唇と自分の同じそれを重ねた。すこし強く、深く深く。時間が経つのを忘れそうになったころ、のちいさく呻くような声が耳に聞こえて、我に返った。 「 ごめん、大丈夫? 」 「 っだ、大丈夫…。なんだか… 」 「 なんだか? 」 「 気を失いそうになりまし…た 」 「 ふふっ、ほんとうに可愛いんだねは。でも気絶しなくて良かったね。もし気絶してたら僕の部屋にいたかもしれないよ 」 「 ! じょ、冗談は顔だけにしてくださいっ。あしたのお花見、なしにしますよっ 」 「え−?冗談なのに。ってば短気だね」「そんなんじゃないですっ」ぶんぶん、とが力強く首を振る。「そろそろ帰ろうか?」「…そうですね」「またあした会えるんだし、そんな顔しないで。僕までと離れるのがつらくなっちゃうじゃないか」「ほんとうは先輩がいちばん、離れたくない癖に」「ん、なにか言った?」「なんでもありません−寒くならないうちに帰りましょう」「うん、そうだね。ねぇ」名前を呼ばれて、コトンと首をかしげる。「手、つなごうか」何事かと思えば、徐に差し出されたどことなく頼りなく感じられる白い手。は頷いて、スッと誉の手を握り返す。星の煌めきだけが、そんなふたりを優しく見守るように囁いていた。 くちびるに君の熱 |