「よし、っと…本日の業務終了−」ん−、と大きく背伸びをして、腕時計をみつめた。時刻は午後9時になろうとしているころで、星月虎太郎は帰り支度をし学園を出た。駐車場に見慣れない人影を見つけて、虎太郎は怪訝そうに眉間にしわを寄せた。「そこにいるのはだれだ?」「―――――せん、せい」「?どうした、早く帰りなさいと言っただろう」きょうは部活もないはずなのに、と付け加えようとして、虎太郎はぎょっとした。普段は気丈なが目を真っ赤にしていまもなおその赤く腫れた瞳に涙をにじませている。一目見て、いまの彼女が普通ではないことは一目瞭然だった。


「 どうした?…なにかあったのか? 」


そう尋ねてみても、はふるふると首を振るばかりですこしも話が進展しない。このまま立ち話もなんだし、なにより彼女の泣き顔を誰かに見せるのも嫌だったので、虎太郎はとりあえずを自分の車の中に招いた。「ごめん、なさい…迷惑かけて…」「大丈夫だ、慣れてる。それよりいったい、何があったんだ?」「笑わない…?」「笑わないから言ってごらん」ぽんぽんと、優しく頭を撫でるようにたたいてくれる虎太郎。優しい眼差し、自分だけに向けてくれる笑顔。そのひとつひとつは自分のためだと分かっているのに、どうして不安になったりしたんだろう。どうして、疑ったりしたんだろう ――――― 分からない。だけどもただひとつ言えることは、やっぱり自分はこのひとのことがすきだ。だいすきだ。


「 不安に…なっちゃったんです 」
「 ―――― 不安?俺といっしょにいることが? 」
「 それはない…絶対。だってわたしは、こんなでもわたしは…っ先生のことが 」
「 分かっている。じゃあ、どうしてだ? 」
「 先生は”大人”で…わたしは”こども”だから…それはどうしようもないことだから…悔しくて心細くて 」
「 …馬鹿だなあ 」
「 ば、馬鹿って言った…っ!真剣に悩んでたのに…っもう知らないっ 」
「  」
「 ――――― 」
「 、俺が悪かった。そう言う意味じゃないんだよ 」


そっぽを向いたままのを、ふわりと抱きしめる。風呂上がりなのか、シャンプ−の良いにおいがする。自分の心をかき立てるのは ――――― いや、きっとそれだけじゃない。の中から香る、温かくて優しい温もり。それを具現化したかのような優しいにおいだ。「?俺はいままで一度だってお前のことを”こどもだ”なんて思ったことはないよ」「うそだ−」「俺の言葉が信じられない?」「それは、ないけど…先生…ずるい」「そうだな、俺はずるい男だな」「へたれ。変態。女たらし」「おいおい、それはないだろ?流石に傷つくなあ」くつくつと咽頭の奥で笑う虎太郎に、ぷうっと頬を膨らませる。そんなだからまぁ、こどもだなんて思われたり言われたりするんだろうけども ――――― それにしたって、虎太郎はずるい。自分のこんな情けない感情ですら、先生の手のひらのうえで踊らされているんじゃないかって苛立ちを覚えるほどだ。


「 俺はずっと ―――― はじめて会ったときからずっと、のことをひとりの女性としてみていたのに。お前は違ったのか? 」
「 ちが…!わ、わたしだって先生のこと…っ 」
「 ―――― 俺のこと? 」
「 せんせい、楽しんでる… 」
「 はは、そんなんじゃないさ。俺はただ純粋に、の気持ちを知りたいだけだぞ? 」
「 ―――― っ先生の、こと…ひとりの男の人として…見てて。すごいすきで…苦しくて…いっしょにいたくて…いたくなくて 」
「 良く出来ました。これはご褒美っていうことで 」


後ろからを抱きしめたまま、首筋から肩にかけて花弁が素肌を撫でるように、優しく触れるだけのキスを落としていく。「――――っ、ちょ、と、せんせいっ」「なんだ?」「なんだ?じゃなくてっ…なに、してんのっ」「だっては不安なんだろ?だから対等になれるように、大人の階段をだな」「ぎゃ−変態!せんせ−やっぱり変態だっ…」「スキあり−」「へ? ―――― んんっ、」「やっと俺のほうを向いてくれたな」「はあっはあっ…も、信じらんないっ…最低っ」「だってが可愛かったんだから、仕方ないだろ」良くもまあ、そんな恥ずかしい台詞を淡々と言えたものだと感心する。やはり学園で噂されていたとおり、虎太郎は口説きのプロだ、と地団太を踏みたい気持ちになった。


「 いまのの気持ち、当ててやろうか? 」
「 良いっ。当ててくれなくて良いですっ!先生帰ろうっ 」
「 だ−め−だ。にあんな不安そうな顔を見せられたら、そう簡単には帰せないだろ?彼氏としては 」
「 ―――― 分からない? 」
「 なにがだ? 」
「 ふふっ…不安なんてもうとっくに、吹っ飛んじゃった。だからね、送って? 」
「 お?な−んか、大人の女性みたいだなあ。一歩前進したからか? 」
「 むっ、違います−!折角ありがとうって言おうと思ってたのに…もうやめたっ 」
「 聴きたかったなあ。じゃあまた次の楽しみにとっておこうかな? 」


エンジンをかけながら、くつくつとどこかシニカルな笑みを浮かべる虎太郎に、もうなんとでもすきにしてくださいと言わんばかりに、降参の仕草をみせる。こうなったらもう、なにを言っても無駄だとあきらめたらしい。ハンドルを片手に切りながら、左手でいまだ膨れているの頭をぽんぽんと撫でる。虎太郎は笑みを浮かべたまま「はほんとに、良い子だな」「また子ども扱いするっ…」「はいはい暴れない。事故起こしたら元も子もないだろ」「ぷ−。は−い…」「良い子だ」またを怒らせるわけにはいかないので、ぽそっと彼女に聞こえないように呟く。そうしてゆっくりとゆっくりと、ハンドルを回す。アクセルを踏み込む。すこしでも長く、いっしょにいられるように。


ほら、こんなにも容易く
( 虎太郎せんせと恋人になったあとくらい。書いててむちゃ恥ずかしかった!じたばた! )