「ここが…星月学園…」生温かい春の夜風に包まれて、春川美月は夜の”星月学園”を訪れた。男子校から共学になったと聴いていたため、なるべく男子生徒に遭遇しないよう、閑静になる夜の学園を下見することにしたのだが、思っていたよりも人の出入りはまばらだ。よくよく思い返してみればここは天文色の強い学園 ―――― 夜に活動をする部員たちも少なくはないのだろう。田舎といえども普通科や共学の高校はまだまだあったはずだが、自分がここにすると決めた理由はただひとつ。星がすきだったからだ。星がすきなひとに悪い人間はいないと思っていたのだが、こうも男子生徒ばかりだとその思いも委縮してしまうものだ。「あれっきみ…こんな時間にどうしたの?」「へっ」突然、サイドから声をかけられた。どうやらこの学園の生徒らしい、制服に身を包んで不思議そうに首をかしげている。そばには、茶髪のロングヘアの女の子を連れている ―――― 彼女、かな?


「 えとあの、今度この学園に編入することになった… 」
「 ああきみ!きみが春川美月さん…?きみのことは学園でもすごい人気なんだよっ 」
「 浮かれているのはあなた方と先生だけでしょ?困らせてごめんね、わたしこの学園の二年生なの。
  わたしは月子、夜久月子。で、このひとは三年生の金久保誉先輩!よろしくね 」
「 金久保先輩に、夜久月子さん…あのあの、よろしくお願いします…! 」
「 じゃあわたしはこれで帰るね?また学校で逢いましょう、春川さん 」
「 え、送るよ。付き合ってもらったお礼がしたいんだ 」
「 ありがとうございます、大丈夫。このあと錫也と約束があるんです 」
「 …そう、なんだ。うん分かった、気をつけてね 」


失礼します、と月子さんが金久保先輩にお辞儀をする。錫也さん、てどんなひとなんだろう。どうやら見た感じ、金久保先輩と月子さんは”そういう関係”じゃないみたいだ。そうなのだとしたら、金久保先輩は?月子さんは錫也さんとどんな関係?会えるかもしれない、でも会えないかもしれないひとのことをぐるぐる想像しても仕方のないことだけど、一度思案を始めたらどうにもならないのが思考と言うもので、もちろん自分にも止められなかった ―――― 「ねぇ、春川…さん?」金久保先輩に、そう声をかけられるまでは。


「 は…はひ!なんでしょうか金久保先輩っ 」
「 はは、面白い子だなぁ。僕ね、これから天体観測に行くんだ。良かったらきみもどう? 」
「 …早速部活動の勧誘ですか? 」
「 警戒心も時には必要だけど、残念ながら僕は天文部とかじゃないよ。弓道部 」
「 あら…そうだったんですか…。それは失礼しました 」
「 素直でよろしい。たまに部活で遅くなったときとか、星を見に行くんだ。きみは星…すきかな? 」
「 …はいっだいすきです! 」
「 はは、それは良かった。実は天体観測にひとりって心細かったんだ、みんな用事でいっしょ出来なかったし 」


そう言って、てくてくと金久保先輩について歩く。天体観測にひとりは心細いと言う金久保先輩の意見は、賛同出来た。なぜって、漆黒の闇の中、どうしてだろう。吸い込まれそうになるのだ。そんなことはないのに ―――― 錯覚でしか、ないのに。まるで夜ごと吸い込まれそうな ――――― そう、ブラックホ-ルにでも吸い込まれるかのような感覚に陥る。だから、ひとりよりふたり。ふたりよりみんな。星はすきなのに、夜は苦手だなんて、なんて矛盾。だけども、苦手なものは苦手なのだから仕方ない。そんなふうに思案しているうちに、金久保先輩の「ここだよ」と言う声に我に返った。はっとするほど、そこは見事なプラネタリウム。町が一望出来る高台。


「 わあ…すご、い 」
「 ふうっ…あっなんだかごめんね!初対面の女の子にあいさつもせずに…傍から見たら僕、変なひとだよね! 」
「 ふふ…先輩、気付くのが遅すぎです。大丈夫ですよ、紹介なら月子さんにしていただきましたし 」
「 名前だけでしょ?学年とか、いろいろ… 」
「 金久保誉、星月学園の三年生で星がすきな好青年…じゃあだめなんですか? 」
「 星がすきな好青年って…それきみが勝手に付け足したんでしょ?しかも笑いすぎ 」
「 ふふっ…すみません。でも昔、聞いたことがあるんです…星がすきなひとに、悪い人はいないって 」
「 それって音楽の間違いじゃない?まあ良いか、あながち間違ってはいないし…それで、きみは? 」
「 え? 」
「 僕はまだ、きみの名前しか知らないよ?きみのこと、もっと知りたいな 」
「 金久保先輩…分かりました。わたし、天文科の二年に編入する春川美月です。
  まえ住んでたところでちょっといろいろあって…お母さんが入院しているこの田舎町に越してくることになったんです 」


「あっごめん…突っ込みすぎた、かな」「いいえ、そんなことないです。わたしが不用心すぎるだけです、初対面のひとにぺらぺら…おしゃべりでごめんなさい」「そんなことないよ、きみのことを知りたいって言ったのは僕だし…きみはひとつも悪くない。ね、星みようよ」「はいっ…」草はらに寝ころんで、ぼやけた月が見下ろす夜空を仰いだ。それからどれくらいそうしていただろうか、やがて不意に手のひらが熱を帯びて、美月は驚いた。みてみると、金久保先輩が自分の手を握りしめているところだった。「せ…せんぱい?」「あ…ごめん、嫌だったかな」不安そうな瞳を揺るがして、金久保先輩がほんのちょっと寂しそうに笑みを浮かべる。


「 そんなんじゃ…ただ、吃驚しただけです。突然どうしたんです、か? 」
「 ふふ、なんでかな…不安になっただけなんだ。夜に落ちそうっていうか、吸い込まれそうっていうか 」
「 分かります。夜は広すぎて…大きすぎて…時々、怖くなります 」
「 きみもそんなふうに感じることあるんだね。だからこうして手をつないでいれば、大丈夫だよ 」
「 でも…金久保先輩は月子さんのことがすきなのかもしれないのに、ほかの子とこんなことしていて良いんですか?月子さんに誤解されますよ 」
「 はは、手厳しいんだなあ…それくらい強いんだったら、変な男に絡まれても大丈夫だね 」
「 …なに、絡まれること前提で話が進んでるんですか 」
「 だってきみは女の子で、こんなに可愛いんだから一度もからまれないなんてないよ 」
「 それは…喜ぶべきなのかあきれるべきところなのか…分からないです 」
「 とりあえず喜んでおいたら?あきれたり悲しんだりするよりは、ぜんぜん良いよ 」


確かに、それはそうだ。先輩らしい一面を見ることが出来た気がして、ほんのすこし嬉しくなる。「綺麗だなぁ…でもやっぱり、ぼやけてますね」「うん、大気が濃いんだ」「聴いたことあります。星が瞬いているのは、大気が揺らいでいるからだって…なんだか、不思議ですね」「不思議、って?」「遠い遠い宇宙にある星と、狭い星の中にある空気の関係で輝き方がこんなに違うなんて」「…きみがそんなロマンチストだったなんて、知らなかったな」くすくすと、金久保先輩が空気を震わせて笑う。なんだか癪に思えて、美月は頬を赤く染めたままぷうっとその頬を膨らませた。「違います、先輩笑いすぎですよ」「…っごめんごめん、これはそのお詫びってことで」「え?」ふわっと、金久保先輩の表情が近づいて、一瞬。額が強烈な熱を帯びたような気がした。瞬間の、電光石火。なにがなんだか、その行動の意味がさっぱり理解出来ない春川美月は、ただひたすら瞳をぱちくりさせた。「ふふっ、驚かせてごめんね。でも…驚いた顔、可愛かったな」「せん、ぱいっ!」「それじゃあ、また学校でね。きみにまた会える日を、楽しみにしているよ」「あっ!…逃げられ、た?」高台に吹き抜ける風のように、金久保先輩は颯爽と姿を消した。「まったくもう…」呟いて、ドサッと草むらに横たわる。深呼吸をして、いまだ高鳴る鼓動を落ち着かせようと必死になるものの、火照ったままの頬の熱だけは、当分冷めそうにはなかった。


夜明けまで待てない