ギシギシ。ベッドの軋む音がして、部屋の主とも言える彼 ――――― 星月虎太郎はまたか、と盛大にため息を吐いた。ここ数日、平和だった保健室にちょっとした異変が起きた。それは中間考査も終わったある日から、保健室にとある生徒が入り浸るようになってしまったのだ。俗に言う”保健室登校”をする生徒、。彼女はほんとうに最近、この星月学園に編入して来た女子生徒だ。共学になったばかりの<元>男子校に女子生徒がやって来るとあって、生徒たちだけでなく教師陣も楽しみにしていた、二人目の女子生徒。しかしわけありと聴いていたためか、彼女は最初のホ−ムル−ム以来こうして保健室登校をするようになってしまったのだ。


「 やれやれ…どうしたもんだか 」
「 ス−… 」


そうため息を吐いてみても、ベッドから聞こえてくるのは定期的な寝息と、時折彼女が寝返りをするために聞こえる、ベッドの軋む音だけだ。保険医として、何度か注意はした。だけども彼女は首を振るばかりで、そそくさと布団にもぐりこんでしまうのだから、話が進展しない。そしてさらに困ったことに ―――― 「直視出来ないんだよな、なぜか」問題は、そこだった。理由は分かっている。だからこそ、彼女に面と向かって注意をすることが出来ない。彼女に直面した途端、鼓動が高鳴って何も言えなくなってしまうのだ。そう ―――― どうやら自分は、彼女に”一目ぼれ”と言うモノをしてしまったらしい。笑った顔に惹かれたわけではない ―――― なにしろ彼女はここへ来てからというもの、一度も笑顔を見せてくれたことはなかった。だったら、なぜ?説明のつかないものが”一目惚れ”だということももちろん分かっている。だけども何か惹かれるものがあったからこそ、この場所から追い出すことが出来ないのが、いまの自分の”現実”。


「 ん…せん、せい?どうしたんですか?ぼ−っとして…? 」
「 すまない、なんでもないんだ。ほら、昼休みは終わったぞ、教室に戻らないのか? 」
「 …嫌、戻りたくない。わたしはここに、来たくなかった 」
「 ? 編入のことを言っているのか? 」


コクン、と彼女が小さく頷いた。そう言ったは相変わらず無愛想で、大きく背伸びをすると淡く差し込む日差しを眺めて、ほんのすこし寂しそうに瞳を眇めた。そのひとつひとつに見入ってしまうほど、また身動きが出来なくなる ――――― 静止する、世界。「そう言えば…」不意に、振り返った彼女が徐に唇を開いた。「なんだ、どうした?」「わたし、ずいぶんここにお世話になっている気がするけど…先生ってあまり喧しく言わないよね。どうして?」「あのなあ…分かってて言ってるんなら、いますぐ追い出すけど」「…出来ない癖に」「はぁ?」「出来たらとっくにしてるよね?星月せんせ?」挑戦的な瞳。虎太郎は再度、盛大にため息を吐いてぽんぽん、との頭を撫でるようにたたいた。


「 なんでだろうな。ひょっとしたら俺は、お前をここに閉じ込めておきたいのかもしれないな? 」
「 監禁?先生の癖に怖いこと言うんだね。だったら教室に戻ろうかな? 」
「 そうだな、先生としてはそのほうがありがたいが 」
「 む−…やっぱり話なんかするんじゃなかった… 」
「 おいおい、そりゃないだろ。俺はやっと、お前の可愛らしい声を聴くことが出来て嬉しかったんだから 」
「 先生ってさ、女の子口説くのうまそうだよね 」
「 あのなあ、お前が言わせてるんだろう。とにかく、元気になったなら教室に戻りなさい 」
「 嫌 」
「 嫌って…あのなあ、子どもみたいに駄々をこねるんじゃない 」
「 やっぱり、先生は先生だね。おやすみっ 」
「 お休みって…おい、 」


バサッと毛布をめくると、瞳に涙をにじませたと直面した。率直に、”綺麗だ”と思った。途端にまた、身動きが出来なくなる。「…そんなに驚く?」が涙を拭いながら、ゆっくりと起き上がる。「…悪い」「先生がそんな顔することないよ、悪いのはわたし。先生を困らせるつもりなんて、なかったの。ごめんなさい」しょんぼりと肩を落として、は項垂れた。弱々しいその身体を抱きしめたい ―――― 思うよりも先に、行動に出ていたことに驚いた。「ちょ、先生?」「吃驚させたな…悪い」「先生、なんかさっきから謝ってばっかり」くすくすと、が笑った。笑っ、た。


「 はじめて笑顔を見せてくれたな 」
「 だからなに? 」
「 いや、の笑った顔ってどんな感じかなってずっと思ってたからさ 」
「 先生…やっぱり変態だ 」
「 男なんてみんなそんなもんだろ。まあ良い、この学園で最初にお前の笑顔を見たのは俺だからな。
 そのお礼に、すきなだけここにいなさい 」
「 先生らしからぬ台詞 」
「 嫌ならいますぐ授業に戻る 」
「 じょ、冗談!冗談ですっ先生許してっ 」


「仕方ないな、お前は」ふっと笑みを見せると、今度はが顔を赤くした。とても、可愛らしい。もっと知りたい、彼女のことを。そんな思いがいま、心の底からふつふつとわき起こっている。「せんせ?」「ん、どうした」「これからまた、お世話になります?」「はは、どうして疑問形なんだ。まあ良いか、ほどほどに頼むぞ、」「で良いです。先生には、特別」「まったく、子どもの癖に生意気なんだな、は」が、笑う。つられて、虎太郎も笑う。昼下がりの保健室、久しくその場所からは朗らかな笑い声が廊下に残響した。


悲しいほどに美しい