野球部マネジのは変わっている、とクラスの連中が話しているのをなんとなくだけど聞いたことがある。中学に入学したばかりのころのことだ。女子のくせにやたら男勝りというか元気だし、野球のことにやたら詳しいし野球のことに関してはすぐ熱くなるほどの野球に対する情熱は当時野球バカと言われていた俺に匹敵する、あるいはそれを遙かに上回るものがあった。 「 あれ、また来てたんだ 」 「 あれ、?なにしてんだこんな時間に、こんな場所で? 」 夜もすっかり闇を濃くした午後9時。部活の練習を終えて寄り道した帰り、またバッドを握りたくなって気がついたらここに来ていた。あの鉄錆の感触が恋しくなったら、いつもこんな感じだ。「なにって、ここあたしの家だけど」「え、まじで」「うん、まじまじ。小さいけどスポ−ツ店やっててさ、バッティングもできるようになってんの」すごいでしょ、と得意げに話すがあまりにも意外で、しばらく反応に困っていると、ん、とバッドを差し出してきた。 「 これ目当てだったんでしょ。もうすぐ店じまいなんだけど、野球部の吉見でサ−ビスしたげる。 父さんには言っておくから!あっでもあんまり遅くなると親御さん心配するから、 」 「 わかってる。一時間くらいかな 」 「 あっそ。壊したら弁償だかんね 」 は俺から代金を受け取ると不気味な台詞を残し姿を消した。「あんたさ、毎日毎日よく飽きないよね」「なんだよ?鉄錆臭いって?」「わかってんじゃん。ただのストレス発散ならよそ行ってくれるとありがたいんですけど?山本武君」ドクン。ちょっと困ったように笑って、はじめて名前で呼ばれた。ただそれだけなのに、いままでのもやもやが一気に解消されたように歓喜に満ちる。 「ちょっと?大丈夫?」「あ−やべ。うれしすぎてどうにかなりそうだ、俺」「はあ?なにがなんだかさっぱりなんだけど」眉間にしわを寄せて不思議がる仕草さえもくすぐったくて、のさりげない悪態なんて気にしていられないほどだった。重傷かもしれない。こんなときどうすれば良いんだろう。野球以外にも、すきなものができてしまった。それが中学二年生の、夏のことだ。 「 、どした? 」 「 なに。ていうかあたし名前で呼んで良いって言ったっけ。野球好きってだけで変な親近感持たないでくれる? 」 「 冗談キツイのな。なに、どした?…手、見せてみろ 」 「 なんでもないって 」 「 んなへたくそなテ−ピングで隠せると思ったら大間違いなのな− 」 「 むっへたくそで悪かったわね。どうせいまだに応急処置は覚えられない役立たず、よ? 」 マネ業で荒れた手に、この木枯らしの寒さでかじかんだ手に、ほどかれた包帯が露わになった手に、生ぬるい熱がふれて、は思わずあたりを見回した。部活後で良かった、と心底安堵した。こんなところを誰かに見られでもしたら、山本のファンクラブの子たちが黙っていられるわけがない。 「ばっバカじゃないのなにしてんの誰か見てたらどうしてくれんの」「誰もいないのな−。?顔真っ赤」「わっ笑いたいなら笑えばっ。あたしは赤面症なの」「ハハッやっぱかわいいのなは。俺の目に狂いはなかったっての?」話している間にも、山本は丁寧にテ−ピングしている。手慣れているだけあって、素早い。 「 なあ 」 「 なっなによっ 」 「 ほんとうはもう気づいてるんだろ 」 「 だから、なにが 」 「 ひょっとしていまの、ただの消毒だって思ってたり? 」 「 …違うの? 」 キョトンと首をかしげているの細くて柔らかい身体を抱きしめる。遠くから風にのって複数の生徒の声が聞こえて、あわてて距離を置く。吃驚した。吃驚した。山本のあんな真剣な表情、打席とマウンドでしかみたことがなかった。いつもはヘラヘラ、愛想の良さそうな笑顔を振りまいていて、クラスメイトの沢田綱吉や獄寺隼人とバカやって。それが山本武だと思っていた。否、勝手に思いこんでいただけなのかもしれない。なんて軽いひとなんだろうって偏見を抱いたこともあった。ほんとうは誰よりもまっすぐで、情熱的で、負けず嫌いで、頑固で。だけど笑顔は優しくて、そしてこんなにも、暖かい。このひととずっといっしょにいられたらどんなに良いだろうっていつも考えていた。 「 ね、帰りうち寄っていく? 」 「 誘ってんのか? 」 「 どうだろうね。あんたがどういうつもりかは知らないけど、きょうはバッティングしないのかなあって 」 「 仕方ないな。きょうはまだと離れたくないし、もうすこし暴れたい気分だし 」 「 …頭だいじょうぶ? 」 半ばあきれて自転車を押すに、ただただひどく満足そうに笑って付きそう山本に、はとうとうため息をはいた。ぎゅ。突然狂ったように熱くなる身体。に抱きしめられているのだと気づいた山本は、思わず身動きを止めてしまった。「振り向いちゃだめ」「え?あ、ハイ」「ありがと、山本。あたしあんたのおかげで生きているうちにやってみたいって思ってたことができたよ」「ハ?なに言って」あんなにも熱を帯びていた身体から、一瞬にして血の気が引いていくような感覚におそわれた。なんだ。なんだ。なんだ、これは。この、心細さは。違和感は。さっきまで感じていた幸福が崩れていくような感覚は。 「 じゃあ、ばいばい。たけし 」 「 、ま、 」 待てよ。声にならずに、山本はあわてて振り返った。が ――――― が、いない。まるで最初からそこになにもなかったかのように、かすかな熱だけを残して消えてしまった幻のように。それが、木枯らしも寂しい、秋のことだ。そして、冬。どうしてこんなことになってしまったんだろう。多くのクラスメイトや彼女の友達が参列する告別式。遺影には見慣れたの笑顔。すすりなく声、消えない温度。「バカ、野郎」握りしめた拳には「あなたのことが、だいすきでした」とかかれたちいさな紙切れが一枚と、三枚のコイン。金額はわずか250円ほどで。つまりはあの家でバッティングできるのは一度だけということだ。俺はいまだ、が差し出してくれたそのコインを使いきれずにいる。 応答せよ応答せよ応答せよ |