風紀委員長が座る応接室に用意された執務机から腰をあげて、雲雀恭弥はため息交じりに応接室の窓を開いた。春の生温かい風が吹き抜けて、書類の束を舞い上がらせる。雲雀はその様子を一瞥してから、窓辺から見える桜の樹木を見下ろした。そこに、相も変わらずあの女の姿があった。自分とおなじ二年生の、だ。彼女は桜の樹木を愛撫でるように、愛おしむように、ひらひらと舞い踊る花弁をひたすらに眺めている。「ねぇ」大きい声で声をかけたつもりだったが、彼女の耳には届いていないらしい。それほど”桜”に心酔しているのだろうかと思ったら、かすかな苛立ちが芽生えた。何かが、妙だ。


「 ―――― ねぇ、君 」
「 綺麗だなぁ… 」
「 ねえってば、聞こえてる? 」
「 え…声…? 」
「 良く飽きないよね、毎日毎日…そんなにすきなの?桜 」
「 雲雀恭弥…さん?はじめましてっ!わたし、二年生のですっ 」
「 うん、そんなこと知ってる。そんなことよりさ、質問の答えは? 」
「 そんなことって…まぁ良いか。はい、だいすきですよ桜。冬の雪よりも、夏の海よりも、なによりも 」
「 ――――― ふうん 」


僕には理解出来ないな。なにより気分が悪くなる。呟くようにそう言ったら、と名乗った女は空気を震わせるようにふふっと笑って、まるで自分に対する挑戦なんじゃないかと思わせるように、桜の木に抱きついた。え、なにしてんの。傍から見たら相当変なひとだよ。そんなふうに言ってやりたかったけども、どうしてだか言いだすことは出来なかった。むしろその穏やかな眼差しを、桜の花弁を愛しむ瞳を、自分に向けてくれたら良いのに ――――― なんて、身の毛のよだつような感情さえ芽生えてしまったことに、ひどく驚いた。「思ったんだけどさ」「はい?」また別の日。その日は土曜日で、授業が午前中で終わったこともあってか、はお弁当を広げて桜の花弁を見つめていた。雲雀もまた、応接室で仕事を終えるため、昼食を摂っていたところだった。雲雀はまた、桜に惚れこんでいるに苛立ちを覚えながらも、そんな彼女に声をかけた。自分も良く飽きないよな、と胸中で笑いながら。


「 君は、桜が終わっちゃったらもうここには来ないんだよね 」
「 ―――― そう、なりますね 」
「 なに、泣きそうな顔してるの 」
「 わたしにもわかりません…言われるまで気付かなかったから。寂しいのかもしれない…ううん、苦しいのかも 」
「 苦しい?桜が終わってしまうことが? 」
「 ―――― はい。苦しいんです。ふふっおかしいですね、わたし 」
「 ほんとうだよ、どうかしてる ―――― 君は 」


ふわっと二階から飛び降りて、の隣に着地する。我ながら見事だ。まあこの僕に不可能なことなんてないんだけどね。胸中で呟いてジンジンと痺れた両足を見下ろして、だけども顔を歪めるほどではなかった。不意にのほうを振り向いてみたら、やはり間抜けな顔をしている。さっきまでの泣き顔はどうしたんだ、と言いたくなるくらい情けない顔をしていた。「」「うあはいっ」「(うはい…?)実は僕、桜を見ると立っていられなくなるんだよね。でも薬を飲んだから大丈夫なんだ」「はぁ…はい」「だからどうしたって言う顔をしてるね。この僕に向かってそんな顔をするなんて、良い度胸じゃない」相手はあの雲雀恭弥だ、と言うことを知らしめるには十分な言動であったにも関わらず、の反応はそうですね、と言うなんとも素っ気ないものだった。怖いもの知らずの馬鹿なのかとも疑ってみたが、そうではないらしいことは、の表情を見れば一目瞭然だった。


「 ―――― 気が変わった 」
「 へ? 」
「 僕も、桜が散るまでの間、君といっしょに眺めていようと思ってね。構わないだろう? 」
「 ―――― はい、もちろんです雲雀さん 」
「 やっと、僕だけを見て笑ってくれたね 」


「へ?」「…間抜け面」きょとんとしているの額に、ふわりと触れるだけのキスをする。ちいさなリップ音は突然吹き荒れた春風に消えた。「え…ええっ?」「うるさいなあ、折角の花見が台無しじゃないか」「あっ…ごめんなさい…でもでも、だって」「さっきの行動の意味はそのうち話すよ。まあ言うまでもないみたいだけどね」言ってほしいんでしょ?君は ――――― そんな挑戦的な言葉を言い含めたら、は春の花が揺れるようにくすくすと笑みを浮かべて、はい、と頷いた。君がだいすきな桜を、だいすきな君といっしょに見ていたいんだ ――――― 来年も再来年もその先もずっと。そんなことを伝えたい、その思いはとどまることなくあふれ続けている。だけどいまはもうすこし、君とこうして咲き誇る桜を仰いでいたい。