なんでもない休日の午後 ――― 新聞を取ろうとポストに手を伸ばすと、覚えのある封筒に指先が触れた。「今宵、国立美術館にて女神の肖像をいただきにまいります。怪盗M…!?」うららかな午後に、女性の絶叫がこだまするのはいまや日課になりつつあった(ゆえに近隣住民にはまたか、の一言に片付けられる始末)。


「警部、警部−!怪盗Mから予告状です!今度は国立美術館ですっ」
「分かった、分かったから落ち着きなさい巡査部長」
「しっかしまあ、どうして毎度毎度、彼女のところにMからの予告状が届くんですかねえ警部」
「そりゃわしが聞きたいくらいだ。バラの花束の中に紛れ込んでいたのにはじまり、今回は彼女の郵便ポストか…」
「惚れられているんじゃないですか−?さ−ん」
「ハイ!?冗談やめてよ!相手は悪党なんだよ!?いくら顔が良くたってシャレになんないって!」

「顔、ですか…」部下のひとりがあきれたようにつぶやく。「の基準はそこだからなあ−」うわごとのように警部がそう言えば、自分たちも同意とばかりにほかの部下たちがほとんど同時にうなづく。「今度こそ捕まえてやるわよ!怪盗M−!」「燃えてるとこ悪いンスけど−、さんきょう非番じゃなかったッスか−?」意気込むをよそに、茶化すように割り込む部下。しかし彼の言葉にも屈せず、はいたって明るい声で言った。


「怪盗Mを捕まえるのはわたしの使命だもの!うかうか休んでられないわ!」
「でもさん、あしたから連チャン…」
「待ってなさい、怪盗M−!」
「聞こえてないみたいだぞ。しばらくそっとしておけ」


それがいちばんだ、とばかりに警部が肩をたたく。彼女の部下もまた、ついにあきらめたらしく潔く頷いた。いまのに何を言っても無駄だ、と結論付けたのだろう。警部もそれが無難だとばかりに頷いている。先ほどからかなり首を駆使しているが、痛くならないのだろうかと流石に心配になってくる。とりあえず、今夜国立美術館での張り込みは確実だろうと、彼は盛大にため息を吐いた。











思惑通り、厳重警戒の国立美術館。女神の肖像の価値観はそれほど大きくはないというのに、世界的に名を知られた怪盗が奪いに来るというだけでこれだけの騒動に発展するものなのか、と彼は胸の奥で失笑した。今回はまあ、それなりに目的があって彼の肖像を奪いに来たわけだが、目的はもうひとつ別にある。


「さて、僕の女神は ――― ああ、あんなところにいましたか」


囁くように言って、下界を見下ろす。警察官が埋め尽くす中、その先頭に立つ女性 ――― 。自分の心を、いともたやすく奪い去った女性。その一生懸命な眼差しに、姿に、いつか捕まるなら彼女に、とさえ願ったほどの。これほど心酔するなんて、思ってもみなかった ――― この自分が、ましてや警察官である彼女に。「でも、彼女はまったく気づいていないんですよねえ」普通の女性なら、バラをもらった時点で気付くハズなのに、と小さくため息を吐く。よほど男性に抵抗がないというか、来るもの拒まずな精神なんだろうと思っていたが ――― どうやらそういうわけでもないらしい。


「そこがまた、彼女の魅力なんですけどねえ…。 さて、そろそろ始めますか」


この夜と同じ色のシルクハットを広げ、「A Lady's and gentleman !! 」と声を張り上げる。こうでもしなければ、彼女はきっと自分が来ているということにすら、気付かないだろうから ――― 「今宵、僕はふたつの女神を奪いに来ました」そう言って、無数のハトたちとともに姿を消す。「ふたつの…?」「なにを言っているんだ、奴は…?」警察官たちのざわめきを遠目に聞きながら、ストンと地面に着地する。


「やっぱり、中の警備は手薄ですね…、どこまでも愚かな連中だ」
「そうとも限らないわよ」
「―――おやおや、ミス。こんなところでお会い出来るとは…光栄ですね」
「冗談!きょうこそ逃がさないんだから!」
「そうですねえ…あなたには一度捕まってみたいものです」
「…ハ?なに言って…」


「…でも」と言って、にだけ聞こえるように、サッと彼女の耳元に近づく。「どうやらあなたにはあまり好感をもたれていないようです…。残念ですが、まだあなたに捕まるわけにはいきません…それまで、」ガスが充満してきたところで、倒れかけた彼女を素早く腕の中に納める。「まだ、いまのままでいることにしましょう…巡査部長」つぶやいて、彼女の額に唇を添える。「ま…、」待ちなさい、と言いたいのだろう。この期に及んでも、使命感だけは有り余っているらしい。どこまでも、自分を引きつけてやまない女性だ―――「待っていますよ、」声とともに、肖像とともに姿を消す。最初に肖像画があった場所に「 This portrait is an imitation (この肖像画は偽物) 」というメッセ−ジを残して。


この世で最も美しい生き物