「あれ?山本君、きょう部活は…?」 「おう、。それがさ−ちっと時間が出来ちまって、ここで待ってんの」 そう言って山本はいつもの笑みを浮かべ、を見た。は「ふうん…そっか」と言って(少し引きつっているかもしれないけれど)彼と同じように笑みを浮かべて、 自分の席について日誌を書き始めた。実はきょう、ほかの子が日直だったのだけれど、用事があるからと言われて、日誌だけ頼まれていたのだ。 だけれども、まさか誰もいないはずの教室に先客がいるとは思いもせず、は教室に入った瞬間身動きを止めてしまったというわけだ。 「あれ?、きょう日直じゃなかったはず…?」 「うん、そうなんだけどね、その子が急用で帰っちゃって、日誌だけ頼まれたの」 「ふ−ん?優しいのな、は」 「そんなことないと思うけど…、普通だよ?うん」 確かめるように頷きながら、ペンを走らせる。「そっか、普通か」そんな山本の声をなんとなく聞きながら、は「うん、普通普通」と独り言のように呟いた。 それからしばらくは、沈黙の時間が流れた。重くもなく、きつくもなく、そんな不思議な時間が続いた。はよし、と意気込んでペンを置き、日誌を閉じて立ち上がった。 山本が「なあ…、」と呼び止めたのは、ちょうどそのときだった。はその体勢のまま、山本のほうを振り返った。ちょうど西日が差し込んでいて、気のせいかもしれないけれど彼の横顔がなんだか少し寂しく見えた。 それがなぜだか自分の所為のように思えて、はなんだか放っておけなくなってしまった。それもまた、ただの気のせいでしかなかったかもしれないのに。 「山本君?なに…?」 「男の俺がこんなこと言うのおかしいかもしれね−けど…はさ、男が一目ぼれって信じられるか?」 「へ…?男のひとが一目ぼれ…?」 「わり、やっぱなんでもねぇや、呼び止めて悪かったな」 「え?えと…あの…?あのさ、山本君!」 何か言わなくちゃ、と思ったは、いま自分の中にある限られた単語をかき集めて、一生懸命言葉を捜した。そして出てきた言葉が「あ、あると思うよ!男のひとも!一目ぼれっ!」だった。 案の定、山本は驚いたようにぽかんとまえを ―― を見据えている。笑われる・って思った。だからは覚悟を決めて、「わ、笑っても良いよ!」と先に断っておいた。 だけれど山本は優しく笑みを浮かべただけで、からかうような笑い声はあげなかった。そして「やっぱって優し−のな!笑わね−よ。むしろ俺のが笑われると思ったもんよ」と言っての頭をぐりぐりと撫でた。 「へ…?なんで山本君が…?」 「だっておかし−だろ、男が一目ぼれなんて、それこそ幻想に等しいじゃね−か」 「そうかな…。女のひとにもあるんだから、普通にあり得るでしょ?違うの…?」 「いやいや、場合によるんだろ−けどさ…やっぱって想像通りのやつだわ−」 「え、え?想像通りって…?頭悪そうって?」 「誰もそんなこと言ってないだろ、楽観的っていうか天然っていうか同類っていうかさ−」 がひたすら首をかしげていると、山本は「だからなんでもねって」と言ってまたいつもの笑みを浮かべた。あんまり言及するのもなんだったから、さすがのも山本もああ言ってることだし、まあ良いかと思うことにした。 「でも…じゃあさ、山本君は一目ぼれ、したんだね?」ふと何かを思い立ったはそう言い、少し首をかしげるようにして山本を見た。山本は笑うのをやめて、もう一度目を見開いた。 まさか自分からそんなことを聞かれるとは思ってもみなかった、とでも言いたそうな顔だ。そんなふうに思っていたら、案の定「驚いたな−、まぁそのとおりだけどさ」と言う答えが返ってきた。 「分かるよ、それくらい…」 「ま−分かるように言ったんだけどな。なんたってだし」 「へ?それってどういう意味?やっぱりわたし頭悪いのかな…!」 「さぁな、それほどでもねぇだろ。は?一目ぼれとかしたことあんの?」 「へっ?わ、わたし?そこでいきなりわたしの話になるの?」 「お−。で、どうなんだ?」まじまじ、と凝視されながら言われると、返答に困ってしまう。イエスとも、ノ−とも言い難い。だけれど、うそをつく必要もないため、は正直に「…ある、よ?」と言った。 そうしたらなおさら物珍しそうに見られて、はなんだかいたたまれなくなってきた。「へぇ−?案外無頓着そうなのになあ」思わずどういう意味ですか、と言い返してしまいそうになる台詞に眉間にしわを寄せつつも、ため息を吐くに落ち着く。 「じゃ、さっきのもそういうのふまえて言ったわけか?」何気ない問いに、またしても返答に困る。「あれは…その、咄嗟で…でも、いま冷静に考えてみるとそれもあるかも…」と独り言のように呟きながら話す。 「ふうん?じゃあは、一目ぼれ、信じる派か−」 「そりゃあ…ね?わたしも経験者だし…山本君は?」 「そ−だな−。信じざるを得ないっつ−か…そんな感じ」 「無理矢理納得…?」 「そう言うなよ、俺だってこういうのはじめてなんだし…しょうがないだろ?」 それは確かに、そうだ。自分がいま山本と同じような立場だったら、同じように答えると思う。だけれどそこが、ふたりの一目ぼれに対する感じ方の「違い」のようなものなんだろう。 そんなふうに思ったら、ちょっとだけ寂しくなった。だって自分は、あなたのことが ―― そこまで考えて、ぶんぶんと首を振った。もうやめようって決めたじゃないか、安っぽい希望を抱くのは。 叶わない願いなら、心の隅でひっそり、願望程度に思うのがいちばんだってことくらい、うっすらとだけれど感づいていた。だって、叶わなかったとき、すごく悲しくなるもの。 「叶うと良いね、お互い」 「だな。つ−か聞かねぇんだな、相手」 「そだね。だってわたしには、そこまで知る権利ないもん」 「やっぱ優しいのな、は」 「そんなに優しいって連呼されたの、はじめてだよ。だけど…ありがと、山本君。がんばろうね」 「お−。っと、だいぶ時間すぎちまったな。帰り、気をつけろよ?」山本は慌てたふうにそう言って、時計を見上げる。はほんの少し寂しそうに山本を見上げながら、「あ…うん、またあしたね」と言って日誌を握り締めた。 「おう!また話そうな!」山本はそう言って笑みを浮かべ、教室を出て行った。あのとき ―― 山本は何か言いかけていたような気がするのだけれど、それらしい言葉が思い浮かばない。 そんな自分は、やっぱり頭が悪いなあなんて思いながら、少しだけ見えなくなった西日をちらりと見やる。ため息を吐き、もまた教室を出た。セピア色になったその場所に、ほんの少しの名残を残して。 彼女はそう言って笑ったので |