授業も終わり、掃除当番をしていたの耳に部活生の元気な声と、にぎやかなセミの鳴き声が響く。 ゴミ棄てを終えて校舎に戻る途中、なんとなくグラウンドに目をやると、いまはもう見慣れた野球部のユニフォ−ムがいくつも目に飛び込んできた。 「暑いのに大変だねぇ」まるで他人事のようにそう呟いて(実際他人事だし)、体の向きを変えようとした ―― そのときだった。

「あいたっ!?」

頭部からゴン、という鈍い音が聞こえたかと思うと、足元にぽとんと申し訳なさそうに野球ボ−ルが転がった。 「も−、なに?」最悪、と続けようとして、は言葉を飲み込んだ。なぜって、目のまえにはあの学校一の人気者の山本武くんが立っていたからだった。 「大丈夫か?」彼は申し訳なさそうにそう言って、まじまじとを見つめた。怪我がないか、気にしてくれているのだろうか?は気にしすぎないように、と首を振って「大丈夫…、はいボ−ル。気をつけてよね」そう言った。そうすると山本君も「わりわり、まさかひとがいるとは思わなくてさ」と言って後頭部をかいた。

、保健室行かなくて平気か?」
「うん、平気…頭痛がする程度だから…っていうかいま名前…?」
「あ、悪い…嫌だったか?みんな名前で呼んでるから」
「あ−、それはおんなじ苗字のひとがいるからでしょ?それに名前で呼ばれても気にしないよ、別に」
「はは、優しいのな−は。お詫びってわけじゃねぇけど、委員会終わったらいっしょに帰んね−?」
「…はい?」
「時間いっしょくらいにはなるだろ?それとも何か用事あんの?」

「用事はないけど…」そう言っては自分よりはるかに身長の高い山本君を見上げつつ、少し考える仕草をした。そう、用事は ―― ない。だから別にノ−と答えても良いのだけれど、 この誘いは慎重に考えるべきなのかと真剣に悩んでしまう。だって、相手は学校一の人気者だ。ほかのクラスのひとに見られでもしたら、あしたからどうやって学校に来れば良いと言うんだろう。 そんなふうに考えていたのに、何を思ったのか山本君は「んじゃ良いな!部活終わったら校門のところで待ってるから」と嬉しそうにそう言って、野球ボ−ルを手にまたグラウンドに向かって走り出した。

「え、あの…ちょっと?」

混乱しつつ手を伸ばすの声も空しく、山本に届くことなく空気に溶けた。一般生のにとって、彼の誘いは嬉しいような恐ろしいような。そんな複雑な気持ちでいっぱいなのだった。 「ていうかいま…手…」さりげなく触れた手のひらを何度も握ったり開いたりしながら、は自然と逸る鼓動を抑えることは出来そうにないと思った。最終下校のチャイムが鳴り、 「あ…委員会!」はそう叫ぶなり慌てて校舎の中に駆け込んだ。そうして、どうにか委員会にも間に合い、会議も一時間ほどで無事に終えた。日は、すっかり西に沈んでいる。 時間が経つにつれてどきどきと脈打つ心臓を押さえながら、昇降口でくつを履き替え、深呼吸をする。よくよく思い返してみれば、男子生徒と下校するなんて今回がはじめてだ。

「しかも…相手があの山本君…」

は相変わらず複雑な心境のまま、かばんを手に持って校舎を出た。校舎のまえのグラウンドを突っ切って、校門に向かう。そこには、西日に照らされた人影がひとつ ―― 。 校門に背を預け、腕組みをして船をこいでいる山本の姿は、西日に照らされて妙に絵になっていた。どくん、心臓がそんな音とともに跳ね上がった気がした。はぶんぶんと首を振って、「気のせい気のせい」と念じた。 そうして「山本君!」と山本の名前を呼びながら、ゆっくりと彼のそばへ近寄る。すると山本はぱっ、と顔を上げ「おお、委員会ご苦労さん」と言って嬉しそうに微笑んだ。

「や、山本君も部活お疲れ様!ごめんね、待った?」
「いんや、ちょっとまえに来たとこだ。んじゃ、行こうぜ!自転車はもうそこに停めてあっから」
「用意がいいんだね…、うん、帰ろ!」

そう言って、笑みを浮かべる。引きつってないと良いんだけど ―― そんなふうに思った自分に違和感を感じながら、山本よりも先に歩き出す。 校門を抜けると、そこに山本がいつも使っている自転車があって、ほんとうだ、と胸中で呟いた。そばに来た山本は自転車に乗ることなく、それを押して歩き始めた。 「…乗らないの?」が何気なくそう聞くと、山本は「ああ。歩きたい気分なんだよな」と言ってニカッと笑った。その笑顔が、妙に脳裏に焼きついて、当分離れそうになかった。 「毎日暑いのに大変だね、部活」がそう言うと山本は「まぁな−。けど平気だぜ?…まぁ、がマネジになってくれたらもっとがんばれるんだけどな−」と言ってこっちを振り返った。

「…なんてな!も委員会があるんだし、無理させらんねぇよな」
「山本君…なんかごめん。野球は嫌いじゃないんだけど…さすがにハ−ドかな?わたし体力ないし」
「んなことないと思うけどな。運動神経良いんだろ?クラスの連中が言ってたぜ」
「あはは、運動神経と体力はあんまり関係ないんじゃない?確かに普通よりは良いかもしれないけど、すぐ疲れちゃうし」
「ふうん?いろいろいんのな。でも確かに、は運動神経良いわりにはインドア派っぽいよな」

「どういう意味よ」が怒ったふうにぼそっと呟くと、山本は「に無理させられなくて良かったっていう意味だよ」と言ってまた笑った。何がなんだか、わけが分からない。 このひとは、自分にいったいどうして欲しいんだろう?そんなふうに思ったら、どうしてだかずきんと胸が痛んだ気がした。胸の奥のほうが、キリキリしているみたい。 「ほんと、よくわかんないよね山本君は。さっきのボ−ルだって、山本君あんなミスしそうにないのにさ」そう言って、ちらりと山本を見上げる。その横顔は、夕日に照らされて憂いを帯びているようにも見えた。 「あれはな…」少しだけバツの悪そうにそう話を切り出した山本は、不意にのほうを振り返って「あそこにがいたから…かな」と言った。…え?

「な…なにそれ!じゃあやっぱり嫌がらせ?」
「はは、やっぱそっちで捉えたか!さすがだな」
「へ?え、え?ええと…違うの?」
「違う違う、オレがそんなことするように見える?」

言われて、まじまじと山本を見上げる。答えは「見えない」 ―― 否だ。「だろ?」そう言うと山本はほんとうに嬉しそうに笑った。笑顔がよく似合うひとだ、とは思った。 似合いすぎて、眩しいくらい。太陽にも、ひまわりにも負けないくらい眩しい笑顔に、いつの間にかその視線をそらせなくなっていた。もっと、きみの笑顔を見ていたい。 こんなこと思うなんて、わらしらしくないなんて、妙に冷静になってみたりするけれど、このひとの笑顔を見ていたいっていう気持ちはどうすることも出来そうになかった。 「オレさ、ずっとと話してみたいって思ってたんだよ」山本は唐突にそう言って、のほうを振り返った。その表情は心なしかまじめに見えて、自然と「うそじゃないんだ」って思えた。

「だ、だったら…、」
「けどオレ、気になる女の子にうまく話しかけられる方法知らなくてさ。
 どうしようって思いながらバッド握ってたら、が見えたわけ」
「…ん?」
「で、思いついたのがさっきのあれ」
「そ、そんな理由でホ−ムラン打てるの!?」
「ああ!オレはいつだって打ちたいって思ったときに打つぜ!」
「なんか、それはそれですごい…」

「だな」山本はそう言って笑い、自転車を停めた。がぼんやりしていると、不意に目のまえに山本の真剣なまなざしが見えて、思わず後ずさりをしそうになった。 「やっぱ、気づかね−か…聞いてたとおりだな−」山本はそう言って、少しだけ寂しそうに笑った。「山本君…?」わたしは何か悪いことをしたような気分になって、ちいさな声で名前を呼んだ。 だけれどは、山本の次の言葉を聞きたいような、聞きたくないような ―― 不思議な気持ちになった。だって、だってわたしは ―― (きみの笑顔が、見たいだけだから)

「オレ、のことがすきだったんだ」

降り注ぐ静寂の中、真夏の生暖かい風が心の中を吹き抜けたような気がした。

故意の行為を恋といいます