とんとんと、傘の上に雫が落ちる音が降る。少女 ―― はその音を聞きながら、ともにボンゴレのアジトへ向かおうとしている隣人、山本武のことを考えた。 考える、と言っても恋愛感情云々のことではない。この、鬱陶しく降り続く雨のことと関連させて、考えにふけっているだけだ。山本は、雨のリングを持っている。 だから雨、という単語や風景が脳裏に思い浮かぶと、何故だか山本の顔が連想されてしまう。こんな言い方をすると山本を嫌っているように聞こえるけれど、 そうじゃない。実際、任務でもうまく連携をとれているし、普段も獄寺隼人のようにギスギスしていない。つまり、何が言いたいのかというと、 わたしはただ雨が苦手だということだ。ぼんやりと考え事をしていると、不意に山本が「…大丈夫か?」と話しかけてきた。 「え?ええ、大丈夫だけど…どうかしたの?」 「…いんや、何となくつらそうに見えたから気になっただけだ」 「…そんな顔してた?」 「…俺の気のせいかもしんねぇけどな」 山本はそう言ってニカッと、いつものおどけた笑顔を見せた。その表情に、元気はない。彼の場合は雨でなくて ―― もっと別の、そう。 度重なる任務の疲れがその表情にさせているのだと、は薄々感づいていた。ここのところ、リング保持者はあちこちに出向いていて、それこそ少しも休んでいないように思う。 それはもちろん、ボンゴレのボスである沢田綱吉も例外ではなかった。むしろ、彼がいちばん忙しくしているんじゃないだろうかとは少し心配になった。 みんな忙しくしているのに、自分だけこんな些細なことで落ち込んでいるだなんて、少しだけ恥ずかしくなった。同時に、こんなんじゃだめだとも思った。 「ねぇ…雨、止まないわね」 「ん?ああ…そうだな、そろそろ梅雨入りかな」 「でも、一日だって晴れないのよ。おかしいとは思わない?」 「超常現象かなんかか?」 「あのね…笹川さんに何かあったんじゃないかってこと」 「んなわけね−だろ。あのひとのことだ、どっかに身を隠してるだけだろうよ」 「…そうかしら」 「…は、そんなに雨が嫌いなのか?」 「嫌いじゃなくて…苦手なの。嫌いって決め付けちゃったら、ほんとうに嫌いになっちゃうでしょ」 がそう言うと、山本は感心したように「…なるほど」と言って軽く笑った。ああ、ほんとうに疲れているんだ。その仕草ひとつひとつが、その事実を物語っていた。 山本は持ち前の明るさと笑顔でどうにか周囲を盛り上げようとしてくれているようだが、本人にとってそれが逆効果だということに、彼は気づいているのだろうか。 気づいていてやっているのなら、は何も言わないと心に決めた。きっと性格上、しんみりした雰囲気が苦手なんだろう。それは恐らく、ボンゴレにいる誰もが思っていることだ。 「けど、にそう言われっとなんかショックだな−」 「ショック?どうして?」 「別に…雨ってさ、なんか嫌われ者のイメ−ジがあるから。俺は別にどうってことねぇけどな」 「そうかしら?雨をすきっていうひともいるし。それに…無理はよくないわよ。どうでもいいなんてことあるわけないんだから」 「…、は優しいんだな。雨、苦手でもそう言ってくれるんだもんな…サンキュ−な」 「え?いえ別にそういうつもりで言ったんじゃないんだけど…本心を言っただけよ」 「だからそれが嬉しかったんだよ。ほんと、はおもしろいよな!」 「…おかしなひと」 はそう、本人に聞こえないような声で呟いて、少しだけ傘をくるくる回して遊んだ。子供のころはよくこうやって遊んでて、母親に怒られたものだ。 不意に隣から、くすくすという笑い声が聞こえて、はぴたりとその手を止めた。「…なに?」そう、少しだけ低い声で尋ねると、山本は片手を振って「や、なんでもね−」と言った。 けれども笑い声は大きくなるばかりで、なんでもないはずはないと思ったは、少しだけ声を張り上げてもう一度「なんなのよ?」とたずねた。 「わりわり…なんかが子供みたいなことしてっからおかしくってさ」 「子供みたいって…ああ、これのこと?」 「そうそう、それのこと」 はお腹を抱えている山本を半ば睨むようにしながら、自分の傘をとんとんとたたいた。一瞬子供みたい、と言われてかちんときたけれど、 山本の笑顔を見たらどうでもよくなってしまった。…不思議だった。こんな気持ち、きっとはじめてだ(…はじめて?ほんとうに?)は一瞬だけフリ−ズしてしまった思考をどうにかもとに戻して、「失礼ね。ちょっと昔を思い出したからやっちゃっただけよ」と頬を膨らませた。 「だから悪いって謝ってるだろ」山本はなおもおかしそうにそう言って、目じりを拭った(涙が出るほど笑うなんて、あんまりだわ!) 「はぁ…まったく。そろそろ着くみたいよ」 「お?おお…、きょうはあんがとな。なんか元気もらったみたいだ」 「え?そう?そのつもりはなかったけれど…まあ、元気になったんなら良かったわ」 「あとはが雨をすきになってくれたら最高なんだけどな」 「さあ…それは難しいかもね。あ…でもふたつだけすきなことがあるわ」 「ふたつ?」 「ええ。ひとつは、雨上がりに虹が見られることね」 「ああ…それは納得だな。俺もあの景色はすきだし」 「もうひとつは…雨が全部を…涙を隠してくれること、よ」 少しだけ小さな声でそう言って、は立ち止まった山本に気づかないまま歩き出した。いまのは全部本心だ。虹を見られることも、涙を隠してくれることも。 だってね、雨が降ってくれたら涙なんて容易く隠してくれるでしょう?どんなに苦しくてつらいことがあっても、昔を思い出しても、雨なら ―― あるいは全部を。 「…山本?」足音が途絶えたことが気になって、は何となく振り返った。少し開いた距離を埋めようと、は一歩踏み出した。山本が口を開いたのは、それとほとんど同時だった。 「なんだよ…そんなの、良いのか悪いのかわかんないだろ」 「山本…良いのよ、それで。ひとの気持ちなんて、そんなものだもの。行きましょう?」 「けど…ほんとうにそれで良いのか?俺…なんか悪いことしちまったみたいで…」 「あら、気にしてくれてるの?それはありがたいけれど、わたしは感謝してるのよ」 「感謝、って」 「だから、あんまり気にすると怒るわよ」 はわざと怒ったふうにそう言って、最後に笑みを浮かべた。そしてひとり、体の向きを変えて再び歩き始めた。しばらくして、水を弾くような足音が聞こえると、はほっと安堵のため息を漏らした。さっきみたいに思えるのも、あなたが生きているからなんだと、は隣を歩く山本に、心から感謝した。雨は、まだ止みそうにない。 時雨、あるいはきみの涙 |