「い、行って来ま−す!」

翌日の部活終了後。は部員たちへのあいさつも手短に、足早に帰路へつくなり瞬間的な速さで支度をし、玄関先でそう言った。 キッチンのほうから母親の「はいはい、気をつけて。くれぐれも迷惑のないようにね」と念を押すような声が聞こえ、は少しだけ頬を膨らませて「分かってるよ!」と言った。 そうして、寄り道もせず真っ直ぐに山本の家のすし屋にやって来た。時刻は午後6時半 ―― 不意に、すし屋の入り口に目が止まった。…山本だ!

「山本…くん!こ、こんばんはっ」
「おお、ちわ−。よく来たな、!」
「あ、あの…待っててくれたの?」
「まあな、はじめてじゃないっていっても心細いかもしんね−と思ってな」
「山本君…ありがとう。ごめんね、寒かったでしょ?」
「いんや?それより、入ろうぜ!いまごろは親父も仕込みの最中のはずだぜ」

山本はそういうなり半ばを店内に押し込むようにして中へ通した。はどうしたんだろうと首をかしげたが、それほど気に留めずカウンタに座った。 「おじさん、こんばんは。ご無沙汰してます」不意に目が合い、はそんなふうにあいさつをした。仕込みに集中していたのか、 けれども山本の父親は「おう!久しぶりだな譲ちゃん!元気だったか?」と持ち前の元気良さで返事をしてくれた。はほっと安心して「はい。元気にやってました」と言いつつ、 山本が用意してくれていたお茶を一口すすった。隣には、少し疲れた様子の山本の横顔があって、はこっそり耳打ちをした。

「部活、大変だった?先に部屋で休んでても良いよ?」
「そんなんじゃないから安心しろって。ほら、食いたいもん言えよ?」
「え、あ…う−んと…じゃあ、まぐろと甘えびお願いします!」
「あい分かった。にしても、いまはこいつの彼女っつうもんか…いろいろ大変だろ」
「え?いえ…まだ日も浅いですし…きっとまだまだこれからです」
「そうかい。譲ちゃんのことはツナ君たちといっしょにいたから覚えてたんだが、いつから?」
「…はい?」
「親父−頼むからに余計なこと吹き込まないでくれよ」
「ははは、気になったから聞いただけだろうが。まぁ、差し支えない程度に頼むよ」

親父さんが握ってくれたまぐろを食べながら、は「えと…はい」と返事をし「実はその…山本君にもまだ話したことなかったんですけど」と少し途切れ途切れにそう続けた。 すると親父さんは少し興味深そうに「ほお?そりゃまたなんでだ?」と少し身を乗り出すようにして聞き返した。ちらり、と横目で山本を見てみると、彼は頼んでおいたらしい寿司を頬張っていた。 「え?聞かれなかったっていうのもありますし…何より恥ずかしいじゃないですか。こんなこと話すのなんて…」とひと息に言い、冷めかけているお茶をすすった。

「ふうん?そういうもんかねぇ…。まあ…ちょうど良い機会だろ、良かったら聞かせてくれねぇか」
「えと…実は小学校のころ…わたし、ちょっと草野球させてもらったことが、あって」
「なんだそれ、聞いたことね−ぞ?確かに草野球ちょこっとしてたこともあったけど…でもガキのころの話しだし」
「う、うん。そのときはあのとき野球教えてくれた男の子が山本君だって知らなかったの…。
 でも、中学に入って京子ちゃんたちと仲良くなって…思い出したんだ。あの子だって…それからかなあ?ちゃんと意識するようになったのは」
「ほお−。譲ちゃん、野球分かんのかい」
「え?はい…まぁ。ちょっと、ですけど…こう見えても、中学時代はソフトやってたんですよ」

がそう言うと親父さんは「そうかい」と嬉しそうに笑みを浮かべて、山本を ―― 自分の息子を見た。不意に、山本が「そういやあ、やたら元気な女子がいた気がすんなあ」と言うのを聞いて、は少しだけ頬を膨らませた。そんなふたりの様子を見ていたらしい親父さんは「んじゃ、握ったのここに置いておくから…、片付け頼むぞ武」と言い、ふたりに瀬を向けた。その背中には 「あ!おじさん語馳走様です」と声をかけた。親父さんは手を振って「おう」とだけ言って奥の部屋へと消えてしまった。もう少し、お話してみたかったなあ。

「あの…山本君?ひょっとして…怒ってる?」
「…怒ってなんかねぇよ?」
「うそだね。機嫌悪かったりすると黙るんだもん、山本君」
「…はは。良く見てるのな、は」
「ごめんね。ほんとうはちゃんとお話したかったんだけど…」
「が謝ることじゃねぇよ。俺が勝手にやきもち妬いてただけだし…」
「…へ?」
「…別に、なんでも!それよりほかに食いたいもんあるか?」

ふっ、と息を吐くのが聞こえて、は何か言うべきか迷ったけれど、山本のそんな声に思考をさえぎられてしまって「じゃあ…かっぱ巻き」とだけ言っておいた。 山本は「ん」と短く言い席を立ってが頼んだそれを差し出してくれた。不意に、山本の誕生日プレゼントを渡しそびれていることを思い出して、は「そだ!山本君!」と言ってかばんの中を探った。 「なんだよ?」当然のように驚いた声で返事をする山本に、は丁寧にラッピングされた包みを彼に手渡した。

「きょうお誕生日だったでしょ?だからそのお祝い!誕生日おめでとう!」
「…そっか、きょうか。サンキュな、」
「どういたしまして!空けてみて?気に入ってもらえるかは…分からないけど」

はそう言ってじい、っと山本の手を見た。山本は「…おう」と言ってゆっくりとその包みを開けた。「湯飲みか…!」山本のそんな高ぶった声がして、も満足そうに微笑んだ。 「うん。お茶碗とかいろいろ悩んだんだけど…結局これにしたの。山本君ちすし屋でしょ?だからちょうど良いと思って」そう言って、山本を見上げるように頬杖をつく。 「ね、山本君」の声に、山本は「ん?どうした?」と聞き返す。こんな時間が、とてもすきだな。こんなふうに思える時間が、たくさん増えていくと良いな。

「わたし、山本君のことすきになって良かったよ。生まれてくれて、ありとうね」
「なんだよ、急に?」
「ううん、何となく言ってみたかったの。片付け、手伝うよ」
「良いって、は客人なんだし。…見てろよ」
「ん?でも悪いよ、手伝わせて!山本君きょう誕生日なんだし、それくらいしたって許してもらえるよ」
「はは、なんだよそれ。んじゃあまあ、頼むかな…?」
「うん!」

ニコリと微笑む。不意に山本の「…なあ、。ちょいこっち来い」と言う声がして、は「なに?」と言いつつ彼に歩み寄った。突然、唇に何か暖かいものが触れて、はしきりに目を瞬いた。「や、山本君?何するの?」ちゃんと言えているか分からないような言い方だったからうまく伝わっているか心配だったけれど、山本の「が可愛かったんで、ついな」と言う言葉に、また目を丸くした。

「…もう!」
「悪い悪い。…嫌だったか?」
「! う、ううん…嫌じゃ、なかったけど」
「そっか。なら良かった」

満面の笑み。は、めまいを起こしそうになるのを我慢して、食器洗いに専念した。きっとあのままだったら、倒れていたかもしれない。頭はまだ、くらくらしている。 お酒を飲んだわけでもないのに、変な感じだった。きっと、それくらいいまの自分はすごく幸せなんだと思う。山本君、ありがとう。わたしは、ずっとずっとあなたのことが大好きです。

遺伝子レベルで愛してる

誕生日おめでとう、山本武くん…!