「−、こっちこっち!」
「たけし君!待たせちゃってごめんね」
言いながら、駆け寄る。あたしの大好きな笑顔を浮かべている、あのひとのところへ。不意につま先がぐらつく感覚を覚えて、あたしは一瞬よろめいた。
倒れる ―― そう思ったけれど、感じるはずの衝撃はなくて、代わりに感じたのは優しい腕の温かさ。顔を上げてみれば、
そこにはいつもの笑みを浮かべた彼 ―― 山本武君がいて「危なかったな」と言った。あたしはほんの少しだけ頬を赤くして「ありがとう」とお礼を言った。
「これくらいどうってことないって。ほら、も部活後で腹減ってんだろ?向こうで寿司食おうぜ」
「うん!もうお腹ぺこぺこだよ−。たけし君とこのお寿司おいしいから嬉しいな〜」
「たくさんあるから、慌てずに食えよ」
「うん。いただきま−す」
たけし君が差し出してくれたおしぼりで手を軽く拭いてから、まぐろを手に取る。それをなんとなく見ていたたけし君が「ってまぐろすきなのな」と笑顔で言ったので、
不覚にも顔が赤くなってしまった。つまらせないように飲み込みながら「へ、変かな?」とあたしが聞くと、たけし君は首を振って「んや。俺もまぐろすきだから嬉しかったんだ」と言った。
あたしはお茶を一口すすって「そっか。良かった」と言って笑みを浮かべた。こんなふうに流れていく時間が、すごくすきだ。このまま時が止まれば良いのに、って思うくらいに。
そんなことを考えながら桜を見上げていると、たけし君があたしの心を読んだかのように「このまま時間が止まれば良いのにな」って言ったのを聞いて、一瞬驚いたけど、微笑んで頷いた。
たけし君とおんなじ気持ちでいられることが嬉しかった。ほんとうに、嬉しかったんだよ。
「桜ってね、雨とか降ったら散っちゃうって思っちゃうでしょ?」
「ん?ま−そうだな」
「だけどね、ぜんぜんそんなことないんだって。
終わる時期になってからじゃないと散らないんだって。だから雨が降っても大丈夫って、友達が言ってた」
「へ−、桜にもそういうのがあるんだな。終わりが分かるのか…」
「うん…だからこんなにきれいに咲けるんだよね。生きてるんだね、桜も」
「そうだな。そんな話を聞かされると全部生きてるんだなって思うよな…不思議だな」
たけし君は何度も頷いて、草むらに寝転んだ。あたしもいい加減首が痛くなって、たけし君のそばに寝転んだ。たけし君の隣は、とても暖かかった。
春の日差しみたいな、優しく降り注ぐ朝の太陽みたいな、そんな暖かさがあった。だからかな、たけし君がそばにいることが「当たり前」って思えるのは。
きっと、いまたけし君に何をされても、否定は出来ないって思う。いまじゃなくても否定しようとは思わないけれど、いまは特別にそんな気持ちになった。
「あたしね、この話を教えてもらったとき思ったんだ」
「ん?何をだ?」
「雨に降られても散らないんだったら、あたしは桜になりたいって思ったの。桜の精霊でも良いかな…?
命を恵んでくれる雨を、その花びらで受け止めたいって。降るときも、いっしょに降りたいって」
「…」
「だからね、あたしはずっとたけし君のそばにいるよ。会えない日があっても、ずっとだよ」
「ああ…そうだな。ありがとな、」
「うん。だいすきだよ、たけし君!」
「おわっ、寝てんだからいきなり抱きつくなよ…!」
「ご、ごめんなさい…嬉しくってつい…」
あたしはそういって「まったく」なんて言っているたけし君から離れた。少し…いや、かなり名残惜しかったけれど、たけし君が嫌うなら仕方ない。
小さくため息をついて目を伏せると、なんとなく額が温かい感じがして、あたしは驚いて目を瞬いた。そこには、いつもの悪戯っぽく笑みを浮かべたたけし君の笑顔があって、
あたしは遅れてキスをされたんだと思った。少しずつ、だけど確実に熱を帯びていく頬に戸惑いながら、にらむようにたけし君を見つめた。
「い、いきなり何するの?」
「悪い、があんまり可愛かったからさ。もしかして嫌だったか?」
「い!嫌じゃなかったけど…(むしろ嬉しかったけど)驚いただけだよ」
「そっか、良かった。ま、が嫌がるなんてこと想像出来ないけどな」
自信満々にそう言って、満足そうに寿司を頬張るたけし君を見つめる。たけし君は分かってたんだ。あたしのこと、全部。
そう思ったら、さっきまでの嫌な気持ちもすうって空に溶けていった。正確には、たけし君に持っていかれちゃったのかもしれない。
とにかくあたしは、いまこのひとといられてすごく幸せです。この先も、桜が散ってしまったあとも、このひとの隣で笑っていたいって、素直に思えたんです。
プリズムが屈折したら