まだ、言いたいことは、言えていない ―― 「ありがとう」。たったそれだけなのに、言えないのは、どうしてだろう? その言葉を告げることで、何かが終わってしまうことを怖れているのだろうか?けれども、その何かというのは、いったいなんだろう? 「あ、山本!聞いたよ、準優勝だったんだって?」 「お−、ツナ、獄寺。おう、そうなんだ、実は。あとは秋の大会だな!」 「なんか忙しそうだね、山本。夏休み中もずっと部活なんだろ?」 「ま−な。言うほど忙しくないぜ?お前らと違って補習に出る日数も少ないしな−」 「うるせ−な!10代目をからかうな野球馬鹿!」 「はは、なんだよそれ」 乾いた笑い。感情なんていうものは、こもっていない。それは何となく分かっていた。気づいたのだろう、綱吉は一瞬だけ眉を潜めた。 獄寺はというと、相変わらず綱吉の傍でぶつぶつと何か文句を言っていた。ほんとうに、彼らは見ていておもしろい。というより飽きない。 「山本、なんか元気ない?」 「なんでそう思うんだ?ツナ」 「別に、そんなふうに見えたから聞いてみただけ。 そういや僕たち補習でいっしょになるの、初めてじゃないかな?」 「あ−、言われてみればそうだな。同じクラスなのにへんだよな」 「へんなのはお前の頭だ!」 「ちょ、獄寺君それ言い過ぎだって!ごめん、山本」 「なんでツナが謝るんだよ。おまえってほんとお人よしだよなぁ」 「10代目は誰かと違って心が広いからな!」 そうまでして張り合うか。山本は獄寺にひと言そう言ってやろうと思ったが、どうしてかその気も失せてしまったため、取りやめた。 不意に、綱吉が何かを思い出したように顔を上げ、山本と獄寺を交互に見つめて言った。 「そういえばふたりとも!明日近所の川原で祭りがあるの、知ってる?」 「ん?お−、知ってるぜ。張り紙見たからな!なんだ?行くのか?」 「うん。たまにはランボたちの面倒見てやらないとな−と思って。 それに、ハルとか・・・京子ちゃんとか、行きたいって、言ってたし・・・」 「ふ〜ん、なるほどな。俺は別に良いぜ?ちょうどその日は部活休みだったしな」 「良かった!獄寺君は?」 「え?俺?俺ももちろん行けますよ!護衛のためについて行きます!」 「護衛って・・・そんな何かに狙われてるわけじゃないんだし・・・まぁ、ともかく明日はよろしく」 綱吉のその言葉を最後に、山本は彼らに背を向けた。ふとあの子の ―― の笑顔が脳裏を過ぎった。まるで、がいっしょに行こうと言っているみたいに。 けれどいま彼女と会うのは、気が咎めた。会えば、気まずくなるのは目に見えている。は雰囲気の変化に敏感そうだし、自分だって楽しい席を台無しにしたくはない。 「それに・・・あの時のこと聞いちまいそうだしな・・・」 そうしたら、が傷つくのはまず間違いない。あの様子からして、何となくだけれどそんなふうに思った。だけは、悲しませたくない。 いつも、笑っていて欲しい ―― あの歌を歌うときみたいに、優しくあって欲しい。そんなふうに思うから、いまは会えない。 けれどもときはそんな思いさえも無残に踏みにじる。山本はそれを、後に思い知ることになるとも知らずに、祭りの場にやって来た。 「あ、山本!こっちこっち!」 「ツナ、獄寺。悪い、遅くなっちまって・・・笹川と三浦は浴衣か−」 「はい!お母さんに着付けてもらいました!京子ちゃんもごいっしょだったんですよ」 「浴衣なんて久しぶりに着たから・・・あんまり自信ないんだけど」 「そんなことないと思うけどなぁ・・・」 「そうそう!もう一人待ち合わせてる子がいるんだけど・・・もう少し待ってくれるかな?」 「もう一人・・・?」 山本が誰だ、と尋ねようとしたそのとき ―― 子供たちと五人の背後から、少しト−ンの高い少女の声が聞こえた。この声は、まさか。 「ごめんなさい、お待たせして・・・折角招待してくれたのに」 「大丈夫だよ!ささ、早く行こう?みんな行きたくてうずうずしてるから」 「・・・うん・・・あ、ツナ君、今日は誘ってくれて、ありがとう、ね」 「うん、どういたしまして。部活休みでよかったね」 ふんわりと、綱吉のほうを向いてが微笑む。その瞬間、山本は自分の中に何か黒いものが渦巻いたような気がした(ちいさい、ちいさいものだったけれど) 「おいツナ・・・あいつ呼んだのおまえ?」 「え?うん。少し前に仲良くなって・・・っていうか偶然京子ちゃんといっしょにいて、」 「初耳だぞ、おまえとが仲良しだったなんて・・・」 「僕こそ、と山本が知り合いだったなんて初耳だよ」 「はは・・・お互い様ってことか・・・しっかしこんな偶然もあるもんだなぁ」 「・・・そうだね」 言いながら、綱吉は山本がとても複雑そうな顔をしたのをこの目で確かに見た。もしかすると、山本が最近元気なさそうにしていたのは、この子の ―― 。 そこまで考えて、綱吉は自分がハルたちに呼ばれていることに気づき、獄寺といっしょに彼女たちを追いかけた。もちろん、山本に合図を送ってから。 「ツナのやつ、気づいてたんだな・・・」 「そうみたい、だね・・・ツナ君はほんとうに、優しいひと、だから」 「 ―― 、あのさ」 びくん。そう言った瞬間に、周囲の空気がそんな音を立てた気がした。来た ―― とっさに、はそう思ったのかもしれない。の肩が、握られた拳が、かすかに震えているのが何よりの証拠だった。それほどに、触れられて欲しくないということなんだろう。 「あのときは、ごめん。聞くつもりなかったんだけど・・・」 「うう、ん・・・わたしのほうこそ、酷いこと言っちゃって・・・ごめん、ね」 「はぜんぜん悪くねぇよ。だから・・・その、あんまり気にするな」 「ん・・・ありがとう。やっぱり優しいね、山本君も」 よほど嬉しかったのか、の目にはわずかに涙が浮かんでいた。山本はとってつけたように言うなよ、と小声で呟き、ぽんぽんとの頭をたたいた。 そういえば彼女は男性恐怖症のはずだったが、それを思い出したのはずいぶんあとになってからだった。 山本 やさしくてやさしくていとしくて、いたいよ 070823 |