セミの鳴き声が、いつも以上に煩く聞こえる。そんなのは気のせいでしかないと分かっているのに、思考だけではどうにもならない。 それくらいに、先ほどの出来事は精神的ショックが大きかったと言うことになるのだろう ―― 否。そんなことは、どうでも良かった。

「どうしよう・・・わたし、きっと・・・山本君のこと、傷つけちゃった、よね・・・」

木陰に寄りかかり、途方に暮れる。ふと頭上を仰げば、木々がわずかに葉を触れ合うようにしながら揺れているのが見える。

「それに・・・きっと、わたしのことも感づかれちゃった、かも・・・。
 山本君、そう言うのに敏感そうだし・・・はぁ・・・ほんとうに、どうしよう」

どうすれば良いのか。そんなこと、あの事態が知れた時点ではっきりしている。傷つけたと思うのなら、謝りに行くべきだ。 なのに。分かっていてもそれをしないのは ―― しようと、しないのは。出来ない、からだ。心の奥深くに触れられてしまうことを怖れている、からだ。

−!あんた何してたのよ!」
「あ・・・」
「あ、じゃなくって!部活、とっくに始まってるよ!」
「そっか・・・夢中で走ってたから・・・ごめん、すぐ行くよ」
「ったくも−!心配だからいっしょに行くよ」
「ほんとうに、ひとりで大丈夫・・・なんだけど」
「ぜんぜん、大丈夫って顔、してないよ」

部活仲間の彼女に指摘され、は思わずえ、と聞き返した。考えるのに夢中で、ぜんぜん、気づかなかった。 いや、気づけなかった、のほうが正しいのかもしれない。いまにも泣きそうなかおをしている、だなんて。

「ごめ・・・ん」
「なに、謝ってんの。部活、少しくらいなら遅れても良いから・・・泣きな?」
「え・・・だってれんしゅ、う」
「少しくらいなら遅くなったって平気平気!いっしょに怒られてあげるから」
「う、ん・・・ありがとう・・・」

あまりの優しさに、彼女の腕の温かさに。とどめていた涙がとうとう溢れ出した。声こそは上げなかったけれど、目が赤くなるくらい、泣いた。 一通り落ち着いたころ、彼女は落ち着いた?と聞き返した。わたしはうん、とだけ頷いた。そうしたら彼女は小さく微笑んで、良かったね、と言ってくれた。

「あの・・・聞かないの?」
「うん?聞かないよ。いまは聞ける状態じゃないでしょ?
「そう、かな・・・。あの、ほんとうに・・・ありがとう」
「良いよ、お礼なんて。にはいつも助けられてるしね」
「・・・え?」

そんなことをした覚えはないけど、と続けようとしたが、それでなくても部活には遅れている。 彼女や、待っていてくれている部員たちのためにも、これ以上遅れるわけにはいかない。そう思い、先に歩き出す彼女の後ろに続いた。

「遅いわよ、ふたりとも!どれだけみんなを待たせれば気が済むの」
「「ごめんなさい・・・!」」
「罰として追加特訓!・・・と言いたいところだけど、今日は大目に見てあげるわ。
 さぁ、ふたりとも、早く位置について。これからコ−ラスの練習をするんだから。良いわね?」

顧問の言葉に、ふたりは目を見合わせたが、静かに微笑んではい、と頷いた。の目がわずかに腫れていることに、彼女も気づいたのだろう。 だから、あえて言及しなかったんだろうし、追加特訓させることもなかった、んだとおもう。ほんとうに、合唱部のみんなは優しい、な。

「良かった。あいつ、元気になったな」
「山本君、どうしてそんなにあの子のこと、気になるの?」
「ん?そりゃ−俺だってあいつに助けられたうちのひとりだしな」
「・・・ほんとうに理由はそれだけ?」
「ああ、そうだけど・・・何が言いたいんだ?」
「別に。あの子のこと好きなんじゃないかって、そう思っただけよ」
「・・・そんなはず・・・」

ない。そんなことが、あるはずない。そう思っているはずなのに、一生懸命にほかの気持ちを否定しようとしているのは、何故だろう? 山本は、合唱部の練習が行われている音楽室の入り口からを見つめた。夏を盛り上げるセミの鳴き声は、きょうも忙しく鳴いている。


山本 忙しなく鳴く蝉の、夏の中に消えてしまいたかった
070821