もうすぐまた、忘れられない夏が始まる。 あれはあたしがまだ中学一年生だったころのことだ。「おまえ、野球すんの?」「え」「女だろ、お前」「女だって野球すきな子はたくさんいるよ!でも男の子に混じって野球はできないからってソフトに行く子がいるけど、あたしはだめなの!そんなんじゃぜんぜんだめなの!」面食らったような顔。あたしはいまでもその顔を忘れることができない。そうして月日は流れ、五年後。あたしはご飯よりも愛してやまない野球のため、マネジになろうと西浦高校のグラウンドに足を踏み入れた。そこに見つけた、懐かしい面影。 「 ――――― 阿部くん? 」 「 あァ?誰だお前…? 」 「 あたし!いっしょに草野球してた! 」 「 …? 」 「 小学校のとき、よくいっしょに野球してたでしょ。忘れちゃった? 」 「 チ−ムメイトだったんなら忘れね−んだけど…わりい、思い出せね−や 」 キャップを深くかぶってバツの悪そうな顔をする阿部隆也。「残念だなあ。しょうがないよね、いきなりだったもん。あたしがいきなり混ぜて!って言ったの。あ、いまから練習?」「もう終わった。これから自主練がてら走るけど・・・あいつといっしょにな」あいつ?不思議そうに首をかしげていると、手招きをされた少女、おそらくは西浦ナインのマネジだろう、自分とあまり変わらないくらいの、とてもかわいらしい女の子がやってきた。 「 呼んだ?阿部くん 」 「 俺の顔なじみらしいから、挨拶しとけ 」 「 分かった。はじめまして、あたし野球部マネジの篠岡千代です 」 「 ご丁寧にどうも。あたしは、野球部マネジ希望でここに来たの 」 「 そうなんですか!わあうれしいです!それであの、阿部君の顔なじみ、って? 」 興味津々、と言った様子で顔をのぞき込んでくるいたいけな面もちにいやされながらも、一抹の不安がよぎった。そしてその不安は的中することになる。「昔、ちょっとだけいっしょに野球したことがあるってだけ。残念ながら忘れられてるみたいだけどね」「だから!それは謝っただろ」「ふふ。冗談冗談。ところでみた感じ、きみたちはつきあってるのかな?」ぶふ!そんな効果音とともに、目の前にいる若い二人は盛大に吹き出した。「ど、どうして・・・」「なんとなく!女のカンってやつ」自分とおなじ眼差しを隆也に向けていたから、とは言わずに、そんな曖昧な言葉をよこした。どうかせめて、精一杯の強がりだと言うことに、気づかないで。あたしの、はじめてすきになったひと。 「 あっ監督たちが呼んでる!行こう阿部君 」 「 おお。きょうは見学か? 」 「 うん、そのつもり。終わったら挨拶させてね、千代ちゃん 」 「 はい、ぜひ!またお話できるのを楽しみにしてます 」 「 ありがとう。そのときは、いろいろ教えてね 」 隆也のこととか、と言う台詞は胸の内に秘めて、仲良さそうに自分に背を向けるふたりを見送り、全身から力が抜けていくようにずるずるとうずくまる。だめだ、こんなところで泣いたりしたら。大好きなグラウンドで泣くのは優勝したときだけだと決めていたのに、あふれだした涙はとどまることを知らない。すきだったのだ。ほんとうに、だいすきだったのだ。阿部隆也のことが。彼が野球をすきになったことのきっかけだと胸を張っていえるくらい、大好きだったのだ。だけど、気づいたのがあまりにも遅すぎた。かすむ眼差しの先に仰いだ空は、驚くほど遠かった。 あの日愛した空の下 |