ガタン、と言う扉の開く音がして、車庫から自転車を引っ張り出そうとしていた◎○は、思わず音のしたほうを振り向いた。「行って来ます」と言う、男性特有の低い声 ―――― それでいてどことなく気だるそうな声に、思わず胸が高鳴った。同時に、しまった、とも思った。どうしてって、ここ数年は向かい側に住んでいる彼、阿部隆也とはち合わせることのないように、家を出る時間をずらしていたから。どうしてって、あなた質問多いのね。そこまで言っておいて教えないつもりって…まあ教えてあげても良いけど騒がないでね、気付かれたくないし。わたし、◎○は阿部隆也のことがすきになってしまったのだ。それに気付いたのは、中学を卒業してすぐのこと。それまでいっしょにいることが当たり前だった自分たちにとって、この事実はあまりに衝撃だった。向こうはどう思っているのかなんて知らない。自分がただ一方的にすきになってしまった、それだけ。だから会うのも気まづくなって、っていうか苦しくなって、会わないようにしていた。その矢先の、再会。必然的に、視線が絡まる。 「 ――――― おう、久しぶりだな 」 「 …そだね。調子、どう?地区予選真っ最中なんでしょ 」 「 、まあまあかな。悪かないとおもうけど…そっちは 」 「 いっしょ。マネ業にバイトに課題に忙しくしてるよ。でも、元気そうで良かった 」 ありふれたやりとりに、笑みが出てしまうほどあまりにもありきたりな会話。だけど、いまの言葉は本心から出たものだった。しばらく見なかったから、正直すこし気になっていたのだ。高校になっても野球は続けているだろうと思っていたから、やっぱり隆也は野球オタクなままなんだろうと思うと、彼のなんら変わらない一面をみつけて、嬉しくなる。「なんだよ気持ちわりぃ」「気持ち悪くて悪かったわね。安心したんだよ、隆也が昔のまんまで」「昔となにも変わらない野球バカだって?」「ふふ、良く分かってるじゃない」ひとしきり笑って、思わず流れた涙を拭う。ここまで幼馴染の会話が楽しいだなんて、思ってもみなかった。幼馴染と呼べる人間なんて、隆也しかいなかったから。ほんとうはたくさん、話したかった。高校に入学して出会った友達、あたらしい環境。あたらしいチ-ムメイトのこと、野球のこと。彼女は出来たか、とか ――――― ほんとうに、たくさん話したかった。 「 きょうも練習? 」 「 ああ、まあな。おまえは? 」 「 あたしはこれからバイト。熱くなると大変だね-練習がんばって。気が向いたら応援行くよ 」 「 ―――― 無理だろ 」 「 え?どうして。他校なこと、気にしてる? 」 「 当り前だろ。他校のやつがライバル校応援するなんて見たことも聴いたこともねェよ 」 「 私服で行けば問題ないって!なに?隆也はそんなにあたしに来てもらいたくないんだ。それともあたしに見せる自信がないとか 」 「 んなんじゃね-けど…さっさとバイト行けよ、遅れんじゃねェのか 」 「 む-、それが久しぶりに会った幼馴染に言う挨拶? 」 「 ろくに会おうともしなかったやつが良く言えるよなァ、そんな台詞がよォ 」 一瞬、心臓が止まるかと思った。何を言っているんだ、こいつは。まるでこっちの胸の内はバレバレです、とでも言うような台詞に、思わず期待してしまう自分が煩わしかった。忙しく啼いているセミのように。ボリュ-ムが高くなっていくように聞こえるセミの鳴き声にリンクするように、高ぶる鼓動。この場から逃げ出してしまいたい ――――― やっぱり会うんじゃなかったと、後悔さえ抱いてしまう自分もまた、煩わしい。会えて嬉しかったのなら素直にそう言ってしまえば良いのに、昔から天の邪鬼な自分が大嫌いだった。いまもそう。すこしは大人になったつもりでいたけど、ぜんぜんそんなことなかった。大人になったら、忙しくしていたら、隆也をすきな自分ごと、忘れてしまえると思っていたのに。 「 ―――― じゃあ、あたしもう行くね 」 「 あ-あのさ、○ 」 突然、呼びとめられて思考回路が停止する。声変わりをしたのもあってか、すこし大人びたような落ち着いた声色に、高ぶる鼓動は落ち着くことを知らない。「たまには遊びに来いよ。やっぱオマエいね-と楽しくね-し」「なにそれ、自惚れるのも大概にしたら」「そりゃあこっちの台詞だっての。まあ、多少は認めてやらなくもね-が」「はあ?なに言ってくれてんの馬鹿じゃないの。暑さにやられた?」「落ち着けって。バイトのまえに混乱してどうすんだオマエは」隆也が笑う。屈託なく、昔のままなにも変わらない笑顔で。その笑顔を直視出来なくなるくらい、この心臓はもう限界だった。この場から早く立ち去らなきゃ、呼吸困難に陥ってなにも話せなくなってしまう。 「 今度こそ行くからね馬鹿隆也 」 「 るっせぇ、さっさと行け。最後にひと言言わせてもらうとな 」 「 ――――― なによ、 」 「 オマエ、綺麗になったな。なんか、笑った顔みてそう思った。だからまあ思わず立ち止まっちまったんだけど 」 ――――― !まさかあの隆也からそんな言葉が出てくるなんて思ってもみなかったから、思わず目を見開いた。馬鹿隆也馬鹿隆也。そんなこと言ったって絶対すきだ、なんて言ってやらないんだから!胸中でそう叫び、○は「じゃあねっ馬鹿隆也っ」と去り際に言い残し、ポケットに入れていたボ-ルを隆也にぶつけた。それは自分がいつも持ち歩いているボ-ルで、機会があれば隆也に投げつけてやろうと思っていたボ-ルだった。きっといまごろは噴き出しているだろう隆也の表情を思い浮かべたら憎らしくなったけれど、そんな○の胸の内も帰宅するころにはそんな気持ちが一変することに、○はまだ気付く筈もなかった。 音速を超える18の夏 |