「じゃあ、行って来る」「…うん、行ってらっしゃい」「?なんか怒ってんのか?」「別にっそんなんじゃないよ。孝介は気にしなくて良いから、練習がんばって」「あぁ…じゃあ、な?」相変わらずふくれっ面のの頭をわしゃわしゃ撫でて、それでも見送ってくれる同棲中の相手を一瞬名残惜しそうに見つめて、玄関の扉を閉める。はあんなふうに言ってくれたが、気にならないわけがない。その日は珍しく練習に身が入らず、水谷みたいに簡単なところでフライを落としたりランニング中もどこかぼんやりしていたりと、ところどころ、普段あまり注意を受けない泉にしては監督の注意が目立った一日だったように思う、と話していたのはやはりキャプテンとエ−スのふたりだった。申し訳なく思いながらも、泉は”大したことじゃありませんから…お先失礼します”と言ってグラウンドをあとにした。


「 ただい、ま−。? 」


帰宅して、いちばんに感じたのは静寂。孝介は時計を見てそりゅそうか、とユニフォ−ムを脱いだ。時刻は午前0時をすぎたころで、はとっくにベッドで休んでいるだろうと思っていた。「?」ベッドでなく、ソファに身を横たえるようにして寝息を立てていたをみつけて、ぎょっとした。”練習で遅くなるときは先に休んでいて良いから”と言っておいたはずだが、どうしてきょうに限ってこんなところで眠っているのか。気になりはしたが、久しぶりにみる恋人の寝顔をみつめて、ああ帰って来たんだなあとソファに身を沈めると、自然と表情が緩んだ。そうだ ――――― このごろはなにかと忙しくて、それを理由にとの時間を減らしていたように思う。別段、のことが嫌いになったとかそういうわけじゃないんだが、これは自然な流れだと思っていたのが間違いだったらしい。カレンダ−に大きく花丸のつけられた日付を見つけて、ため息をひとつ吐いた。


「 きょうは三年目だったんだな… 」
「 ん…こ、すけ… 」


の寝言にまた表情は緩んだものの、微かに芽生えた罪悪感が拭えることはなかった。そうか、普段あまり怒りをあらわにすることのないが今朝あんなにも悲しそうな、寂しそうな。それでいてちょっぴり怒ったような顔をしていたのは、自分のせいだったのだ。”大切な日”を忘れていた自分に対する、の気持ちさえも見過ごそうとしていた。練習で忙しいから、仕方がない。それがいまや言い訳の口実になっていたことに、孝介はようやく気付いた。「…ごめんな。そら怒りたくもなるわな」「ん…」優しくの頭を撫でながら、呟くように言葉を紡ぐ。無意識のうちにを抱きしめたまま、孝介は練習の疲れからかの心地よいぬくもりに身を委ねて、あっという間に意識を手放した。そして、翌朝 ――――― 。


「 ん…ふわ…あたし、孝介を待ってる間に寝ちゃったんだ… 」


ぱちっと目が覚めて、は大きく背伸びをした。毛布一枚だったためか、すこしだけ身震いをする。上半身を起こそうと重力に逆らってみたけど、思うように動かない。それどころか ――――― 「わあ!こっ…」孝介、と叫びかけて、息をのみ込む。寝ている。それも、とても気持ち良さそうに。それになぜか、自分をきつく抱きしめたまま。「これは…起きられないわけだわ」ちいさくため息を吐いて、時計を仰ぐ。時刻は午前7時すぎで、カレンダ−をみてみるとどうやらきょうは日曜日らしい。日曜日は孝介の練習も午後からだし、もうしばらくこうしておくのも悪くないかな、と思うことにして、はじいっと孝介の寝顔をみつめた。


「 ま…良いか。きのうのことは、これで許してやるかな 」


野球青年とは思えないほど柔らかい髪の毛に触れて、なんだかくすぐったくなる。ほんの数年前までは近くて遠い存在だったのに、いまではこうしていっしょに暮らしているだなんて、あのころの自分にいまの現実が想像出来ただろうか。いまでも時々、孝介が隣で寝ているなんて夢じゃないかと思うこともあるけども、夢じゃない。これは、夢じゃないんだ。「ん…?おはようさん」「ふふっうん、おはよう。良く寝てたね」「の抱き心地がすんげ−良かったのかな…気がついたら寝ちまった」「孝介…そんなこと言ったって、きのうのこと許したわけじゃないからね」「それは悪かったって。ていうか俺の聞き間違いかもしんね−けどさ」「うん?」「なんか許してくれる的な台詞が聞こえた気がしたんだけど…」「気のせいなんじゃない?」言って、”そうかぁ?”と首をかしげる孝介を横目に笑みを浮かべる。


「 朝ごはんにする? 」
「 ん−もうちょっと 」
「 ダメだよ。孝介、お昼から練習でしょ? 」
「 ―――― サボりたい 」
「 珍しいね。孝介がサボりたいなんて… 」
「 きょうは一日こうしてる 」
「 えぇ?も−しょうがないなぁ。監督になに言われても知らないよ? 」


”ん…別にの所為じゃねぇから”。それだけ言って短くうなづいた孝介は、の腕の中でまた寝息を立て始めた。「ほんと…こどもみたい、孝介ってば」棘のある言葉のわりには、表情はどこか穏やかだった。まあ良いか、たまにはこんな二度寝も。はそんなふうに考えて、こどものように眠る孝介の肩を抱きしめた。たくましくてごつごつした肩は、あのころ自分が夢見た、だいすきな孝介のままだった。



幸福と心中する朝
( 十年後くらい?孝介と二度寝! )