「お疲れっした−!」グラウンドのあちこちから、チ−ムメイトたちの元気な声が聞こえる。はその声を聞きながら、ホ−スの片づけをしていた。 夏も終わりに近づいているとは言えども、まだまだ残暑は厳しい。その証拠に、ずいぶん日の傾いたいまでも汗はじわじわ流れているし、せみの鳴き声も相変わらず煩わしい。 まるであの日のことを忘れさせまいとするかのようなわずらわしさに、思わず舌打ちを打ってしまいそうになるけれども、同じマネジの篠岡千代ちゃんがいるまえでそんなことは出来ない。


ちゃん?どうしたの?疲れた?」
「へ?ううん、だいじょぶ。心配かけてごめんね、千代ちゃん」
「ん?ううん、良いよぜんぜん。戸締りはわたしやっとくから、ちゃんお先にどうぞ」


そう言って、の心境を悟ったらしい篠岡はニコッと笑みを浮かべた。篠岡千代ちゃんは、ほんとうに良く気が利く。その辺は自身も見習わなくちゃって思う部分なのだけれど、 なかなか思うようにいかない。ちょっとまえにそんな話を本人にしてみたら、 急がなくて良いんじゃない だって。やっぱり、篠岡千代ちゃんは優しいな。 わたしもあんなふうになれれば良いんだけれど・なんて思いながら、篠岡千代ちゃんの背中を見送る。ロッカ−で着替えをすませて、入れ違った泉や浜田、田島たちと挨拶を交わしてグラウンドを去る。


「ふう…涼しいなぁ」


自転車をこぎながら、いつもの川原を通り過ぎる。すると元気な声が聞こえて、は思わず自転車をとめた。「草野球か」呟いて、草原に座り込んだ。風が、とても心地よかった。 小さいころはよく、こんなふうに兄と野球観戦したりしてたっけ ―― そんなことを思いながら夕日を眺めていると、不意にある人物が目に止まった。「泉…?なにしてんのこんなところで」がその人物の名前を呼ぶと、 彼は「なにしてんだはこっちの台詞だ。お前こそなにしてんだよ、とっくに帰ったと思ってたのにさ」そう言って、の隣に腰を下ろした。


「なんでもないよ、ちょっと懐かしくなって草野球見てただけ」
「ふうん…そういや、この辺でも野球する連中あんまり見かけなくなったなぁ」
「ね−。昔はよく遊びでも野球、なんでも野球だったのに…ちょっと寂しいなぁ」


泉はそう言って、そんなふうに話すの横顔を見つめた。彼女の横顔はなぜだか、とても寂しそうに見えて、泉はもう何も言えなくなってしまった。泉が黙り込んでいると、今度はが「そう言えば泉、わたしの質問に答えてない」と言ってまじめそうな顔をしたので、柄にもなく動揺してしまう。「な…なんだよ」と言うと、は「泉は何してたの?いつもここ通んないじゃん」と言って彼を見据えた。


「別に、寄り道しようと思って近道したら、を見かけたから」
「ふうん、それだけ?」
「それだけ。なんか悪いか?」


「別に、ちょっと残念だなって思っただけ−」がそう言って笑みを浮かべたから、なぜだろう。胸の奥が、ほんの少し騒がしいような気がして、泉はから視線をはずした。風が気持ち良いね なんて言いながら草野球一点に目を向けているに、泉はただ「そうだな」と相槌を打つことしか出来なかった。それなのには「泉は、やっぱり優しいね」なんて言って、自分のほうを振り返った。


「は?俺のどこが優しいんだよ。つうか、それみんなに言ってんだろ」
「だってそうなんだもん。野球部のみんな、優しいよ?千代ちゃんも監督も、ちょっとアレだけど阿部もね」
「…なんだよアレって。阿部に失礼だろ、今度言ってやろっと」
「別に良いけど、泉にも被害が及ぶかもよ?」


はそう言って、くすくすと楽しそうに笑っている。…何がそんなにおかしいんだ。ほんとうは胸の中、押しつぶされそうなほどもがいているくせに。頼むから、無理に笑うなよ。 泉は我慢ならなくなって、「なんで笑ってられんだよ」と言って立ち上がった。ほんとうは伸ばしかけたその手で、を抱きしめてやりたかったけれど、こんな人の往来の多いところで出来る勇気もなかったから、 せめて表情だけ見られないように立ち上がった。なんだか、いまさらになってそんな自分が情けなくなった。だけれどは「なに怒ってんの?泉」といって、まるで人事のようにけらけら笑っている。…すごく、歯がゆい。


「おかし−だろ普通。兄貴が死んで、懐かしんでんのに…なんで!俺にはが理解出来ね−よ」
「はい?あたしのどこが理解出来ないって言うの。まぁ理解してもらおうとも思わないけど」
「あのな−」
「もう帰ろ。…ケンカ、したくないし」


はそう言うとちょっとまえの泉と同じように立ち上がって、ほんのちょっと寂しそうに微笑んだ。はそのとき確かに笑っていたのに、なぜだか泣いているようにも見えた。 そんなふうに思ったら、ちくりと胸の奥が痛んだような気がして、泉はほんの少し罪悪感を感じた。の言うことはもっともだけど、のことを知りたい、力になりたいって言うやつはたくさんいる。 せめてそれくらいは知っていてもらいたいのに、どうしてうまく言えないんだろう。そんな情けない脳内から出た言葉が「悪い、」ていうこれまた情けないひと言だった。こんなときって、やっぱり謝罪の言葉しか出ないもんだなと泉は少し自嘲した。


「泉は、悪くないよ。…悪いのは、あたし。泉の言いたいこと分かってるのに、ごめんね」
「いや… は、悪くねぇよ。…情けね−な、俺」
「泉がそんな顔することないのに…変なの。でもやっぱり、泉は優しいね…ありがと」


はそう言って微笑んだ。微笑んだのに、泉にはもう、なんだか泣き顔のようにしか見えなくて、とうとう引っ込めた腕をのほうへ伸ばした。がどんなに驚こうと、草野球してる連中が何をぼやこうと、知ったことじゃない。ただ、いまにも泣き出しそうなきみのことを、抱きとめずにはいられなかった。ただ、それだけだったんだ。


まるで涙のようだね