「うう、寒い−!毎日冷えるなあ…」


ブラスバンドの部活終了後、ひとり昇降口に立ったは、くつを履き替えて誰にともなくそう呟いた。このあとはバイトだ。 そう思いながら、は携帯電話のディスプレイを見下ろし、盛大にため息を吐いた。だけれど、バイトまではまだ少し時間がある。学校から少し離れているとはいえ、自転車を飛ばせば短時間の距離だし、少しくらいの寄り道は構わないだろう。


「寄り道しちゃえ!」


は呟くなり方向転換をして、野球部が練習をしているグラウンドへと足をすすめた。いまごろは、片づけをしているころかもしれない。 うまくいけば鉢合わせるかも・なんて思いながら、足取りは軽く目的地にたどり着いた。「いた、隆也」目的の人物を見つけ、笑みを浮かべる。 少しばかり久しぶりに見る幼馴染の表情は、練習の成果か少したくましくなっているように思えた。向こうも自分の存在に気づいたのか、いつもの愛想の悪い表情を浮かべて、やって来た。


「なんだよ、
「なにそれ、それが久しぶりに会った幼馴染に言う台詞?」
「あ−も−、うるせぇな。用事がないんなら帰れ!まだ片付け残ってんだよ」
「あ、そうなんだ。じゃあさ、これあとで受け取りに来てよ」
「…はぁ?なんだこれ、」


しぶしぶ、と言った様子で紙切れを受け取る幼馴染 ―― もとい阿部隆也。隆也はその半券を裏返し、もともとあった眉間のしわをさらに深くした。 予想していたは、笑みを崩さず隆也の言動を見守る。「誕生日ケ−キワンホ−ルプレゼント?」本気か?と言う言葉が聞こえてきそうなほど低めの声色に動じることなく、はこくんと頷いた。


「そうだよ!おばさんとかシュンくんとか喜ぶかもしれないし!絶対来てね!わたしきょう最後までいるから−!」
「は?ちょっ、!?ふざけんな!おいっ」


隆也の怒声も軽く受け流し、駆け足でグラウンドを去っていく。実は、あの半券は誰かに頼み込んでもらったものじゃあない。が、隆也のためにがんばってポイントを集め、この日のために用意していたものだった。だけれど、隆也はそのことを知るはずもない ―― 知らなくて、良い。 だけど ―― 。「場合によっちゃ、説明しなきゃなんなくなるんだろうなあ」自転車をこぎながら、ひとり呟く。


「いらっしゃいませ−」


バイトが始まって、早数時間。閉店間際の時間になっても、隆也がやってくる気配はない。さすがに不安になったは「やっぱり来ないかな…孝也」とため息を吐いた。 そうしたら同じバイト仲間の女の子に「なに?誰か待ってるの?」とからかうように言われてしまった。だから、は「そんなんじゃないよ。…あ、お客さん呼んでる」といって、彼女にテ−ブルに向かうようトレイを手渡す。 彼女はなおも悪戯っぽく笑みを浮かべ、はいはい・と受け流すような返答をして、テ−ブルに向かった。まったく・と言ってため息を吐き、顔をあげる。そこには、もう来ないとあきらめかけていた待ち人の姿が、あった。


「隆…也?」
「絶対っつ−から来てやったのに、なんだそのツラ」
「う、うるさいな!もう来ないかと、思って、」
「ばかか、お前…俺がお前の<絶対>、破ったことあったか?」


言われて、昔を思い浮かべる。そう言えば、隆也はが<絶対>って言ったことに、首を振ったことはなかった。嫌そうな顔をしていたのは、いつものことだったけれど。 きてくれるたびに、わたしは嬉しくて、嬉しくて。泣いちゃったことも、何度かあったっけ。だけれど最近は<絶対>っていう約束をすることもなかったから、忘れてる・って思ってた。だめだね、わたし。


「で?どれくれんの?」
「へ?あ…え−と、これかこれになるんだけど」
「じゃあ無難にショ−トいっとくか。家の連中、チョコ買うって言ってたからな」
「あれ?じゃあふたつになっちゃう…」
「良いんだよ。お前にもやろうと思ってたんだからな」


…驚いた。まさか、こんな年になってまで、そんなことまで考えていてくれてたなんて。うわ、どうしよう ―― きっとわたし、きょう誕生日を迎えた隆也よりも、嬉しい。幸せだ。はそんなふうに感激しながらも、隆也に「待ち時間は?」と事務的に尋ねる。そんなことが出来るあたり、まだ冷静なのかな・なんて思う。「30分くらいかな」隆也はそう言って、携帯電話をいじってる。が包装している間も、隆也はずっと携帯電話の画面とにらめっこをしたまま、顔をあげることはない。きっと、野球部の子とメ−ルでもしてるんだろう。


「はい、お待たせしました。いっぱい祝ってもらった?」
「ん?ま−お祝いの言葉はもらったけどな、野球部の連中に」
「そっか、良かったね…隆也」
「別に…じゃあな、。終わったら来いよ、ケ−キやっから」
「う、うん!ありがとうございましたっ!」


突然の大きな声に驚いたのか、隆也は一度「うお」と言ってこちらを振り返った。だけれど、の笑顔を見て安心したのか、おう・とだけ言ってお店を出て行った。 ちょうどタイミングよく、まるで狙ったかのようにさっきまでお客さんの相手をしていた女の子が戻ってきて、「いまの子がそう?」なんて尋ねてきた。否定も、肯定もするつもりはなかったから、はただ笑みを浮かべて答えた。


「ただいま!」
「おかえり、。寒かったでしょ」
「うん。でもすぐ出かけるから!夕飯もう少しあとで良いよお母さん」
「そう?分かった。気をつけるのよ」


そんな母の言葉を背に、着替えを終えたは「は−い」と返事をして、家を飛び出す。そしてまた自転車にまたがって、少し離れた隆也の家に急ぐ。 10分程度で隆也の家につくと、インタ−ホンを押して、自分を呼んだ本人を待つ。すると5分もしないうちに隆也が出て、「よう」と昔となんら変わり映えのしないあいさつをした。 それがまたどことなく嬉しくて、は「こんばんは!ケ−キもらいに来たよ」と言って満面の笑みを浮かべた。さすがの隆也も不振に思ったのか「なんかやけに嬉しそうだな、お前」と言って、を招き入れる。


「だって、隆也の家に来るの久しぶりなんだもん。呼ばれたのも、入るのも」
「あ−、言われてみればそうだなあ。お互いクラスも部活も違うから昔みたいにお互いの家に用事なく上がり込んだりしなくなったな」
「ね。なんかちょっと寂しいな〜、ふう暖かい!」
「…。ココアで良いか?親たち、まだ出かけてていねぇんだ」
「うん、良いよ!ていうかお構いなく…!ケ−キもらったらすぐ帰るから、」
「良いだろ別に、ちっとくらいゆっくりして行っても。どうせお前、このあと暇なんだろうし?」


隆也はそう言って、昔のように嫌味をひとつ語尾に付け加えると、悪戯っぽく笑って見せた。だからは「ドラマ見るんだよ!」と声を張り上げた。「…勉強しね−のかよ」当然のように聞こえる呟きに、は「うっ」と言葉を詰まらせる。そうしている間にも、隆也は手際よくお皿にケ−キを盛り付けてくれたり、お茶を入れてくれたりしている。 そう言えば、隆也の家に来たときはいつも、おばさんやシュンくんじゃなくて隆也がこんなふうにお茶の用意をしてくれていたっけ。昔を思い出してまた、懐かしくなる。


「わ−ありがと、隆也。昔よりずいぶん上手になったね!お茶入れるの」
「…うるせ」
「いただきます!…あ、ごめんね、きょうは隆也の誕生日なのに、先に食べちゃって」
「あ−、良いってそれは。お前、悪くね−のに謝る癖・まだなおってないんだな−。あほくせ」
「なによ!習慣になっちゃってるんだもん、そんなこと言われたって…ん〜おいしい!」


「あほ面」の様子に見かねたかのように、隆也はそんなふうに呟いた。もうちょっと可愛い言い方してくれたってばちはあたらないのに・とは胸中で呟いて、黙々とケ−キを食べる。 そんなとき、不意にあることを思いついて、「そうだ!折角だから隆也もいっしょに食べようよ、ケ−キ!はいっ」と言って、ケ−キを一切れ、隆也に差し向ける。 だけれど隆也は手をぶんぶんと軽く振って「いらね。俺あとでみんなと食べるし、折角だけど」と断った。隆也のこういうところも、相変わらずだなあ。


「ちぇ−。やっぱそこのところは昔みたいにはいかないか−。そだ、隆也」
「お−、なんだ
「誕生日おめでとう!ってまだ言ってなかった気がして。去年はメ−ルだったしね−」
「おう、どうも。つかなんで去年メ−ルだったんだよあほ
「う、いろいろ…準備とかも間に合わなくて。お祝いだけでも…と、」
「ふ−ん?さしずめ、今年はそのお詫びってところか」


「そ、そんな感じです…」言い返す術もないは、肩を落とした。隆也は「まさかそのためだけにバイトしてんじゃないだろ?」とまるで父親が子を叱るかのような声色でそう言った。は「違います−!バイトはまえからしてみたかったし…っていうかケ−キ屋さんやってみたかったし…学費とか、いろいろ、」と言って徐々に言葉を濁らせた。すると隆也は「ふうん、まあがんばれば」と興味をなくしたように言い放った(なんか、むかつく!)。


「じゃあ、帰るね、隆也」
「ああ。送らなくて平気か?」
「うん、大丈夫。ありがとね、隆也!お邪魔しました−」
「おう。あ−、あのな−


「はい?」くつを履き替えて不意に、隆也に呼び止められる。顔をあげてドアノブを捻り、隆也のほうを振り返ると、彼は「いつでも、来いよ」と言いながら視線を泳がせていた。 「お前の寂しそうな顔見てると、なんか調子狂うし」とあてつけのように付け加え、を送り出す。はしばらく隆也の言葉の意味を考えた ―― だけれど、核心には至らなくて。 分かったのは、隆也は昔と何も変わっていないままなんだ・と言うことだけだった。それだけで、十分だった。ただそれだけなのに、とても、嬉しかった。


君に捧げる時間
阿部隆也、ハッピ−バ−スデ−!