思えばいつも、あたりまえのようにそばにいたね。 「康介−」 「帰れ」 「ひどいよ!まだなんにも言ってないじゃん」 「言わなくても分かんだよ。つかこれから部活なんだから少しは空気読めよ」 「うっ…ごめんなさい…?じゃあ部活が終わるまで待ってる!」 「あのなあ…まあ良いや、すきにしろ」 康介や九組のみんながぱたぱたと、忙しそうに廊下を走り去ってゆくのをぼんやりと見送りながら「すきにするもん」とつぶやく。 いつも、こんな感じだ。大事な用事があるときに限って、康介、っていうか野球部のみんなは急がしそうで(いっぱいチョコもらっただろうに) わたしはなんだかつまらなくて、だけどひとりで帰るのも何処か寂しくて、仕方なく九組の教室 ―― 窓際の席で、泉の部活が終わるのを待つことにした。 それから、どれくらい経っただろう。窓を開けているのも寒くなって、扉を閉めようとしていると、不意に、ガラッと教室のドアが開いて、 わたしは思わずその方向を向いた。そこには同学年の、だけど知らない、男子生徒の姿があった。 「 ―― 康介、まだかなあ」 どれくらい、うずくまっていただろう?それさえも分からないくらい、いまではもう時間の感覚がつかめない。不意に、ひとの気配を感じて、顔を上げた。 そこには、珍しく慌てた顔をしている康介の姿があった。あれ、なんだろう…すごく、安心する。少しずつ、緊張の糸が解れてゆく。 康介は少しだけ目を丸くして「おま、…なんで泣いてんだよ?」と戸惑いがちにそう言った。別に…、泣いてなんか。そう言うつもりだったのに、声にならない。 どうしようもない気持ちが胸にあふれて、声にならない言葉がのどを圧迫して、邪魔をする。どうしていつも、うまく言えないんだろう。言いたいことは、たくさんあるのに。 「泣いて、ないよ」 「泣いてんじゃん。何があったの」 「べつに、なにも…」 「見え透いた嘘ついてんじゃね−よ馬鹿。おまえ昔っから嘘下手なの分かってんだかんな」 「うっ…そういえば康介、部活はもう終わった、の?」 「ん?おお、ついさっきだけどな。つか話そらすんじゃね−よ。誰に泣かされたんだ」 「そらしてないもん…それに泣かされたとか場違いなこと言わないで」 「じゃ−なんで泣いてたんだよ。あ−話が進まねぇなあ」 「告白、されたから…」 「ハァ?嬉しいことじゃん、じゃあなんで泣いてんの」 なんで分かんないの、馬鹿康介。康介がすきだからだよ、馬鹿。そう言ってしまいそうになるのをぐっと我慢して、のどの奥に押し込んで、ふるふると首を振った。 「わたし、すきなひと…いるから。告白してくれたひと…傷つけちゃったから…だから、」と途切れ途切れに言葉を紡ぎながら、康介の顔を見つめる。 康介は驚いたようにまた目を見開いて「ふうん…そりゃあまた初耳だな。けど、じゃあ泣かされたわけじゃね−んだな」と、確認するようにそう言った。 そして「んで?」と話を変えるという合図のように、康介がそう言うのを聞いて、わたしは思わず「は?」と聞き返していた。 「のすきなやつって、誰。ずっといっしょにいたけど、オレ聴いたことね−ぞ?」 「は…話すわけないじゃん、こんな恥ずかしいこと」 「良いだろ、別に。減るもんじゃね−んだし」 「減るとか減らないとかの問題じゃないんだよ馬鹿康介。本人にそんなこと言えるわけないじゃない」 「…は?いまなんつった?」 「…あっ」 言ってしまってから、口を押さえる。わたしの馬鹿…!こんなふうに言っちゃうつもりなんてなかったのに…!徐々に火照ってゆく頬を押さえながら、 だけどその顔を見られるのがすごく恥ずかしくて、くるりと体を回転させる。ぜったい感づかれた、よね…!康介って意外と目ざといし。洞察力があるっていうかなんていうか…。 わたしが康介に背を向けたままごにょごにょといろいろなことを考えていると「おいこっち向けよ」と彼が言った。む、向けるわけないよ…! 不意に、手首が熱い感じがして、わたしは思わず康介のほうを向いていた。しまった…!恥ずかしさのあまり、おかしいくらいに顔が赤くなっていくのが分かる。 「…ぷっ、おまえカオ赤くなりすぎ。ゆでだこみてぇ」 「うっ、うるさいな!てゆ−か手、離してよ!康介なんてもう知らない!チョコもあげない!」 「それじゃあオレはどうなんだよ。すっげ−虚しいぞいま」 「知らないもん、康介の馬鹿馬鹿ぁ!」 「あ−、ったく…言わねぇと分かんね−のかの能天気野郎」 「…っへ、」 驚いて、顔を上げた ―― その瞬間、額に何か柔らかいものが触れて、だけど何が起きたのか分からないわたしは、なんども目を瞬いた。 そうしたら康介はおかしそうにお腹を抱えて笑った。あれ…?なんだか、もういつもの康介に戻ってる。さっきの出来事が、嘘みたいに思える。 ひとしきり笑ったあと、康介は「オレも、がすきだったんだよ。だからさ…その、きょうはチョコもらわなかった、し」と、そう言った。 そういえば。きょう、康介はたくさんの女の子から(同級生だけじゃなく先輩たちからも!)チョコをたくさんもらっていたのを思い出した。 だけどそのたびに康介は断っていて ―― 中学時代もそこそこ人気があったから予想してはいたけれど…今回の人気ぶりは、ちょっと半端なかった。 幼馴染のわたしが、康介にチョコを渡すタイミングを逃してしまうくらいの人気ぶりだった。わたしがきょう一日を回想していると、康介が「ん」と言って、 手を差し出しているのが見えた。ええっと…これはつまり、チョコをくれっていうこと、なのかな…? 「えっと…ハイ」 「サンキュ。これからもよろしくな、」 「うん…って…え?どういう意味で…?」 「そんくらい自分で考えろ。じゃ−帰るぞ、」 「う、うん…?」 ひとつ首をかしげて、だけどどんな考えを巡らせてみても康介の言った言葉の意味が分からなかったわたしは、結局「まあ良いか」と思うことにして、 彼の後ろについて歩いた。これからも、こんなふうに ―― 康介の隣を、歩いてゆけるんだね。ずっと、ずっといっしょに。 イノセントブル− |