午後の授業を抜け出して、屋上で昼寝をしていると、不意に携帯電話の電子音が聞こえた ―― どうやら、メ−ルらしい。 わたしはもう少しで眠れそうだったのに、とため息を吐いて、携帯電話の画面を開く。発信源は ―― 叶。叶修吾からだった。 あのひとが自分からわたしなんかにメ−ルを寄越すのは珍しい、と一瞬だけ目を眇めて、メ−ルを開いた。 メ−ルには「勝ったぞ」というひと言だけ。なんとも叶らしい。とりあえずわたしも「良かったね、おめでとう」と返事を返した。 知っていたけれど。三星が勝ったことは、直接球場まで見に行ったから、知っているけれど。あえてそのことは、書かなかった。 だって、叶の嬉しそうな笑顔が目に浮かんで、なんだか恥ずかしくなったから。そんなことを考えていると、ものの数分で返事が来た。

「きょう会えるか…?大丈夫だけど、何か用?と」

そう打ち込んで、返信する。待っている間、何となく空を仰いですごした。三橋君からも聞いていた。ルリちゃんからも聞いていた。 それでも、なんだか直接本人に「おめでとう」って言い出せなくて、なかなかメ−ルを送れなかった。試合が終わってから、もう三日以上すぎているというのに。 わたしはそう思い、きょう二度目になるため息を吐く。途端、電子音が響き、叶から返事が来たのだと気づく。 メ−ルには「別に、たいした用はないけど…。放課後、いつもの公園でな」と書かれていた。わたしは少しだけ首をかしげて「了解」とだけ文字を入れ、返信した。

「いつもの公園で、か…懐かしいな」

叶と待ち合わせ場所にした、いつもの公園。近所にある、ちいさな公園で、わたしと叶 ―― それから、 時々三橋っていう男の子といっしょにキャッチボ−ルをしていたのを思い出して、懐かしさがこみ上げて来た。ほんとうに、懐かしい。もう、何年経つんだろう。 三人でキャッチボ−ルしなくなってから ―― 三人が、ばらばらになってしまってから。そんな、昔のことを考えていたら、たまには幼馴染に会うのも悪くないなと、そんな気になった。 そうして、数時間後 ―― 日の傾きかけた時間に、わたしはひとり公園のベンチに座り、缶珈琲を手に持って空を仰いでいた。

「おっそいな−、叶。まだ部活中なのかなぁ」

呟いて、まだ暖かい缶珈琲を一口すする。何となく時間が気になって、携帯電話のディスプレイを開いてみた。時刻は、午後4時半。 学校が終わって、ここに来てからもう三十分は経っている。これくらいなんてことはないけれど、時間を指定しなかったのはなかなか痛かったなあといまさらながらに思う。 そうは思ってみても、すぎてしまったことをとやかく言ってもどうしようもない。そういえば、まえにもこんなことがあった。 まだ三人でキャッチボ−ルをしていたころ。待ち合わせの時間をすぎても誰も来なくて、不安で不安で仕方なかった。だけど、ふたりが来てくれたときはすごく嬉しかった。

「待たせたか−」
「遅いよ叶−。待った待った」
「わり、ミ−ティングが思ったより長引いちまってよ−」

隣良いか、と言う叶にこくん、と頷く。あのときとおんなじだ ―― 屈託のない笑みを浮かべて、ふくれっ面をしたわたしを宥めるみたいに髪の毛をぐしゃぐしゃってするんだ。 ほんとうに、叶は変わっていない。屈託のない笑顔も、仕草も ―― あ、だけど声色は声変わりしたのもあって、少しだけ違うかな。 不意に、叶の手のひらに目がいった。投手の手 ―― その手のひらは少しだけかじかんでいて、赤かった手が紫色に変わりつつある。 わたしは叶のために用意しておいた、少し冷めかけた缶珈琲を差し出した。何も無いよりは、ましだと思うんだけど…手袋も、貸したほうが良いかな?

「お−さんきゅ。珍しいな、おまえ缶珈琲なんて滅多に飲まね−だろうに」
「だって寒かったんだもん。叶もあんまり飲まないんだろうけど、寒そうだったし…」
「そうなのか…にしてももっとましなのあっただろ」
「何よ、ひとが苦労して選んだものにけちつける気?」
「や、そんなんじゃね−けど…つか相変わらずだな−も」
「何よ−、文句あるの?え、…も?」
「だからケンカ腰になんなって。おお、こないだ三橋にさっきみたく連絡したらさ」
「あ−時々いっしょにキャッチボ−ルしてた三橋君?」
「そうそう。勝ったぞ−ってメ−ルしたら俺たちも勝ったよ、だってさ」
「へ−!良かったじゃない。うまくいけば西浦の子たちとまた対戦出来るかもね?」
「それは勘弁してくれよ−。また負けたりしたら相当へこむって。
 癖とか教えちまったから勝ち目ますますね−かもしんね−だろ−?」

頬を膨らませる叶に、わたしは少しだけお腹を抱えて「そうだね」と言った。そうしたら叶は「笑うな!」と言ってわたしの頭を容赦なくたたいた。 あいたっ!女の子の頭を容赦なく殴るなんてそうそう出来るもんじゃないのに…!叶のばか…!わたしが目に涙をにじませながらそう、叶に念をとばすと、 わたしの視線に気づいたらしい叶は少しだけ申し訳なさそうな顔をして「わり」と言って、無理に笑顔をつくって見せた。

「でも…そうだな。もし出来るなら、またやりたいな」
「三橋君のチ−ムと?」
「ああ。それにあいつともぜったいって、約束しちまったもんよ」
「ああ…言っていたね。西浦と練習試合したって…それで、負けちゃったんだっけ」
「そうなんだよ…って思い出させるんじゃね−よの馬鹿野郎」
「あはは、ごめんごめん。でもいつか出来ると良いね、リベンジ」
「ああ。そ−だ、。久しぶりにキャッチボ−ルやんね−か?」
「うん、良いよ。っていうかそれがしたくて呼んだの?」
「おお。…悪かったか?」
「ううん、ぜんぜん。だってわたし、叶の投げてるとこ見るのすきだもん」
「…へ?」

スポ−ツバッグの中からグロ−ブと野球ボ−ルを取り出そうとしていた叶の顔から、瞬時に笑顔が消えた。…あれ?わたし、いま何かおかしなこと言った、かな…? そんなつもりはないんだけど、とひとり首をかしげていると、さっきまで目を点にしていた叶の顔が少しずつだけど赤くなっているように見えた。え、何、何?

「おまえなぁ…そういう素直すぎるところもぜんぜん変わってね−よなァ」
「え…な、なに?わたし、何か変なこと言った?」
「言った言った。なんか半分告白みて−なこと言ってたぜ−」
「え…?嘘…!そんなつもりはこれっぽっちもなかったのに…」
「おま…だから素直すぎるのも問題あると思うぜ…。まあ、そういうところもすきなんだけどさ−」
「…はい?」
「だから…!」

シュッ、とボ−ルとグロ−ブが飛んでくる。わたしはグロ−ブを手にはめ込みながら、首をかしげたままの状態で叶を見た。 叶はすでにわたしの一メ−トル先のところに立っていて、顔色が見えない位置にいた。わたしの放ったボ−ルを見事に受けとめた叶は 「オレ、のことがずっとすきだったんだ!」と声を張り上げた。へ…すき、って…すき…?叶が、わたしを…?

「おい?さっさとボ−ル寄越せよ」
「叶…冗談がうまくなったよね…?」
「だぁからぁ−冗談じゃね−って!もしかしておまえ、意味分かってないとか?」
「だ、だってどうやったらそういう展開になんの?わたしは投げてる叶を見るのがすきだって言っただけなのに」
「ハァ…。まぁ良いや…とにかくオレはをそういう対象としてみてたわけだから」
「…いつから?」
「なんか冷静だなぁ…こっちは微妙に虚しいぜ…。
 ん−と…そういや思い出せね−なあ。キャッチボ−ルしてたころからだと思うけど」
「そう…なんだ…」
「ま−が意味分かるまで待ってやるよ。断られたりしたら立ち直れね−しな−、たぶん…」
「へ…なんて?」
「もう良いだろ!だからさっさとボ−ルよこせって」
「なんで怒るの!叶ってばやっぱり良く分かんない−!」

言って、気合を込めて叶のグロ−ブめがけてボ−ルを放り投げる。正しくは「分かりたくない」のかもしれない。叶とはいまのままでいたいって、 心のどこかでそう思っている自分がいるのかもしれない。それは否定できない、とわたしは思った。だって、叶とそういう関係になるなんて想像しなかったし、 まさかこんな形で叶の気持ちを知るだなんて思いもよらなかったから。ううん、それはただの「逃げ」でしかないのかもしれない。そのことも、たぶんわたしは分かってた。 だけど、どうしたら良いのか ―― わたしたちにとってどうするのがいちばん良いことなのかは分からない。わたしの気持ちは、まだ、見つけられない。

わたしは、叶のことをどう思えば良いんだろう?どんなふうに、思いたいんだろう?

トワイライト前線