野球一筋のこの俺が、だれか特定の人間に好意を抱くことなんて、ぜったいにない、と自負していた。けれども、高校に入ってすぐにその「観念」は、いとも簡単に崩れ落ちてしまった。 そう、こんなこと認めたくないがどうやら俺は、隣の席、窓際に座って一生懸命に英語の授業のノ−トをとっている彼女 ―― に、恋というものをしているらしい。 彼女との出会いは、数ヶ月前の入学式の日。ホ−ムル−ムの時間に、消しゴムを切らしてしまったことがきっかけだった(そのときが、貸してくれたんだ) なんともありきたりな感じがするけれど、俺にとっては妙に印象的に、鮮明に脳裏に描かれた光景だった。大げさに言えば、ドラマのワンシ−ンのような。 とにかくそんなふうにして出会ったは、嬉しいことに野球部マネジの手伝いをしてくれている。だから彼女と接する機会も、必然的に多くなった。

「わたし、実はあんまり野球のル−ル詳しくないんだ」

笑いながら篠岡たちに話していたのを思い出して、自然と笑みがこぼれる。不意にと目が合い、俺は瞬間的に「まずい」と思ってその笑みを引っ込めた。はというと何処か深刻そうな表情を浮かべて「阿部君、次当たるよ」と教えてくれる。俺がぼんやりしているのを心配に思ったんだろう ―― は優しい。 篠岡も同じくらい優しいし気も利くけど、彼女はそれ以上に ―― なんというか、自己犠牲心が強い。だから、自分よりも相手を優先する傾向がある。 それを、は損だとか思っているっていう感じのことを篠岡から聞いたことがあるけれど、俺はそんなことはないと思う。 むしろ、それがの長所であり魅力のひとつだとさえ思っている。って、何真剣に分析してんだろうな、俺。そこまで考えて、ふと現実に戻る。 教師が、こっちに向かって一心に怪訝そうな瞳を向けている ―― どうやら当てられているらしい。の助け舟もあって、教師の長ったらしい叱責を受けずに済んだ。 チャイムが鳴り、昼休みが始まる。俺は席を立ち上がろうとしたを呼び止め「さっきはありがとな、助かった」とお礼を言った。

「どういたしまして。でも珍しいね、阿部君が考え事なんて」
「まあ…俺もいろいろ悩みだす年頃ってことかもな」
「?どういうこと?」
「深い意味はないよ。そうだ、さっきのお礼ってわけでもないけど、お昼いっしょにどうだ?」
「…良いけど、何処で食べるの?出来れば人目のつくところは避けたいなあ」

の言葉には、何となく共感出来た。だけど同時に ―― 反抗する心もあった。それはたぶん、みんなに見て欲しいっていう、俺の願望の現われなんだろう。 そこまで考えて、ずいぶん末期のところまできてるんだなあ、と苦笑する。だけど、その感情をぬぐい切れないのも事実だから、受け入れるしかない。 俺はそんな自分にため息を吐きつつ、弁当箱と水筒を持って、一足先に屋上へ向かう。秋へと向かう風が、心地よく素肌に触れる。 入り口付近でを待っていると、息を切らせて走ってくる彼女の姿が見えた ―― 走って来たようだ。は「遅くなってごめんね、言い訳するのに苦労してて」と肩を上下させながら言った。

「言い訳って…まあ良いけど。さっさと食おうぜ、昼休み終わっちまうし」
「う…うん、そだね」

言って、俺の隣に腰掛けて弁当箱を広げる ―― うわ、なんかすげ−美味そう。俺がじっと見ていると、何を思ったのかは「好きなものあったらあげるよ?」なんてことを言い出した。 遠慮なく、の弁当箱に箸を伸ばす。いちばん印象に残った玉子焼きを、口の中に放り込む。甘すぎない。きっと、砂糖じゃなく牛乳か何かを使ってるんだろう。 味は、文句なしに美味しい。今度は自分の弁当箱を広げながら「の手作り?」と、彼女に尋ねる。するとは恥ずかしそうに「うん、最近やっとまともに作れるようになったんだ」と話した。

「えらいな−。料理の勉強とかしてんだな」
「うん。まだまだ勉強中だけどね、お弁当の具自分で作れるくらいにはなったよ」
「へ−、すげ−な。おばさんも喜んでるだろ」
「うん。お弁当作らなくて良いから楽だわ−って。自分が楽したいだけなんだよ、きっと」
「そうだとしても、すげ−よ。俺なんて全部まかせっきりだもん」
「え、男の子ってみんなそうなんじゃないの?」

の質問は、もっともだ。俺は「そうかもだけど」と言って水筒に手を伸ばす。しばらく何か思案していたが「なんだったら、お弁当作っても良いよ?」と言った。 あまりにも唐突な提案に、俺は「え」と、なんとも間抜けな声を出してしまっていた。だって、すきな奴が弁当作ってくれるなんて、こんなに嬉しいことないだろ? まして、こんなにも料理が上手いんだ。断る理由なんて、ひとつもなかった。だから俺は一気にテンションが上がるのを感じながら「良いのか?ひとつじゃ足んなかったから助かるよ」と言った。

「でも、作れないときもあるかもしれないから、そのときは連絡するよ」
「そうだな。なんか悪いな、俺ばっかりいろいろしてもらって」
「ううん、そんなことないよ。わたしは、阿部君が元気に野球やってくれてればそれだけで十分だよ」

はそう言って、いつものように太陽にも負けないくらいの満面の笑みを浮かべる。なんだろうな、俺、いますごく幸せかもしれない。それはもう、泣きたいくらいに。 実際、いまだってすでに涙腺が潤んできていているし、これ以上に優しくされたりなんかしたら、ぜったい泣いているだろうと思う。それだけは避けたい。

「そ−だ、阿部君。千代ちゃんに聞いたんだけど、きょう誕生日なんだってね!おめでとう」
「おう。あんがとな、

最高の誕生日だ、と俺は思った。がそばにいて、にお祝いの言葉をもらって。それに、これからはも弁当を作ってくれるんだ、俺のために。 そんなありふれたことひとつひとつを、幸福だと思えるようになったのも、と出会ったからに違いない。だいすきな、きみへ ―― ありがとう、ありがとう、ありがとう。



隣を向けば君がいるしあわせ
Happy birthday to Takaya Abe ... !