四月のとある晴天の日。めでたくわたしは、県立西浦高校に入学することが出来ました。

「 ―― よし!」

真新しい制服を着込んで、おまけにきょうは冷えるというから首にマフラ−を巻く。 玄関に置いておいた通学用のかばんとお弁当を手に持ち、自転車の鍵を握ってドアノブをひねる。 「おかあさん、行ってきま−す!」中学のころと何一つ変わらない声、仕草でいつものように高校に向かう ―― うん、わたし、高校生になったんだよね。 ひとつひとつ確認するように周囲を見回し、最後に手中に自転車の鍵があることを確かめて家を出た。そうして、自転車にまたがる。

「ん−朝の風って気持ち良いな〜。あっ、阿部−!」
「ん、お−う、
「おはよう!きょう野球部正式に入部?」

わたしの唐突な問いに、わたしのまえをわたしと同じように自転車をこぐ阿部は「まぁな」とだけ答えた。相変わらず、素っ気無い。 わたしはいつものことだと思って、特に気にも留めていなかった。彼のその仕草ひとつひとつにも理由があっただなんて、どうやって気づいただろう。 それなのにのんきで鈍感なわたしは気づこうともしないで、それでも阿部の思いやりにすがっていたかったのかもしれない。 いま思えば、すごく残酷だった、このころのわたしは。ううん、きっと、もっとずっとまえからそうだったに違いない。

「時間出来たら、様子見に行くね」
「来なくてい−よ。おまえ来ると騒がし−し」
「良いじゃん、ちょっと様子見るくらい。ひょっとしたら格好良い男の子がいるかもしれないでしょ」

わたしが冗談半分にそういったら、阿部は何処か不安そうな表情を浮かべて「まじだったらどうすんだよ。来んな」と突き放すように言った。 そうして自転車をこぐペ−スを上げ、わたしよりもどんどんまえへ行ってしまった。何故だか、何気ないその光景が、いまのわたしにはとても寂しく思えた。

ねえ阿部。わたしたち、ずっとこのままでいられるよね?



「千代ちゃん!おはよ!」
「あ、ちゃん!おはよう−!入学式以来だね−」
「そだね。そういえば千代ちゃん、野球部のマネジになったんだって?」
「えへへ、そうなの」

ほんの少しだけ恥ずかしそうに答える千代ちゃんを「可愛いなあ」なんて思いながら見つめていると、ひと足先についたはずの阿部が、 わたしよりも遅れて入って来た ―― 千代ちゃんに聞いたところによると、図書室に寄り道していたみたい。なんだか、珍しいなあ。

「そ−いやあ、あんた阿部の幼馴染なんだって?同中?」

わたしが不思議に思いながら阿部のほうを見ていると、すぐ傍にいた、頭を丸刈りにした男の子がそんなふうに話しかけて来た。 ええと、誰なんだろう。とりあえず「そうだけど」と端的に言って、その少年を凝視した。すると彼は我に返ったようにはっとして「俺、花井梓」 という自己紹介のあと、阿部と同じ野球部なんだ、と教えてくれた。ああ ―― なるほど、道理で阿部のことを知っているわけだ。

「たいへんだよな−阿部の幼馴染だなんてよ−」
「え?そんなことないよ。この高校に入れたのも阿部のおかげみたいなものだし…」
「まぁだいたい想像つくけどな。とにかく同じクラスなんだし、よろしくな」

花井梓くんはそう言ってにこっと微笑んだ ―― 見た感じどおり、好青年って感じだなあ。手を差し伸べる花井君を見ながら、わたしはそう思った。 それが、花井くんへの第一印象。一通り思案したあとで、わたしも彼と同じように手を差し伸べ、握手して「うん、こちらこそ」と言った。 なんだか、少なからず視線を感じるような気がするのは、あえて無視しておこう。きょうから、このクラスで一年間すごしていくんだなあと思うと、なんだか少し複雑だった。

ちゃん、放課後ブラバンのミ−ティングが終わったらうち来るでしょ?」
「うん、そのつもりだよ。野球部は第二グランド借りきりなんだよね?だから場所は分かるよ!」
「うん。じゃあ待ってるね!野球部のみんな紹介するよ」
「分かった!約束だよ−千代ちゃん」

胸中で阿部君と花井君は知ってるけど、と呟いて、千代ちゃんにそう告げる。彼女はとても嬉しそうな笑顔でうん、と可愛らしく頷いた。 千代ちゃんって、ほんとうに可愛い子だなあ…女の子って感じがするもん。対するわたしは、中身も外見もまだ中学生なままで、何も変わっていない。 そんなことを誰かに話したりしたらきっと「まだまだこれからだ」なんて言われるのは目に見えてるから、あえて口にはしない。 だからといって無理に変わろうとは思わないけど ―― こんなわたしが「変わりたい」って思う日が来るだなんて、思いもよらなかったんだ。

腐り落ちる春の香気