すっかり空気が冷え込んで、風が肌寒くなったある日、突然から「いまから会えないかな」っていうメ−ルが来た。 いま?俺は首をかしげて時計を見た ―― 時刻は午後7時を過ぎたころだ。こっちは夕飯も風呂も済ませてあるから別に構わないけど、 向こうは大丈夫なんだろうか。なんとなく気になって、そんな感じのことをに聞いてみたら大丈夫、とのことだった。 俺は仕方ない、と上着を羽織ってコンビニに行って来る、と適当に言い訳して家を抜け出した ―― やっぱり、夜風も冷たい。上着を着ていて良かった。 「阿部−、こっちこっち」 「お−う。珍しいな、がこんな時間に呼び出すなんてさ」 「えへへ、ちょっとね。たまには良いかなと思って」 公園のベンチにひとり腰掛けていたの背中に声を掛け、そんな他愛のない話をしつつ彼女の隣に腰掛ける。 寒いのか、彼女の手にはそこの自販機で買ったであろう缶珈琲が握られていた。俺の視線の先に気づいたは何を気にしていたのか「阿部もいる?」なんて聞いて来た。 別に欲しくはなかったけど、何もないというのも何か寂しく感じたので、とりあえず頷いておいた。 するとは「じゃあちょっと待っててね」と言って小銭を持って自販機に向かい、ものの数分で戻って来た。 「はい!きょうのお礼だから、お金のことなら気にしなくて良いよ」 「おう、悪いな。つかおまえ大丈夫なのかよ。このまえ無理しすぎて寝込んだばっかなんだろ−が」 「平気だよ−わたしタフだし、風邪は完治したし!」 俺はタフは関係ないだろ、とつっこみ、が差し出してくれた缶珈琲を受け取る ―― 熱い。予想以上に熱いと感じたのは、買ってくれたのがだったからか、 それは分からない。普段ならそれほど熱さなんて感じないのに、不思議だ。俺がしばらく缶珈琲をくるくると手のひらで遊ばせていると、が唐突に「ごめんね」と言った。 俺はあまり考えすぎないようにつとめて冷静に「何が」と聞き返した。は俺の顔色を伺いながら「こんな時間に呼び出しちゃって」と控えめに言った。 「別に、家の連中には適当に言ってあるし、暇だったから良いよ」 「そういうことでもないんだけど…まぁ、良いや。きょうはね、どうしても阿部と話がしたくって」 「話?んなん学校でだって出来ンじゃねぇか。んなに込み入った話なのか?」 「う−ん…ううん、だけど学校じゃこんな話出来ないかな」 「じゃあ別に学校帰りとかだって良いだろが」 「…阿部、もしかしてきょう来るの嫌だった?」 なんでそうなるんだよ。さっき大丈夫だっつったばっかじゃねぇか。俺はそう言い出しそうになるのを我慢して、誤解を生まないように首を振るだけにとどめておいた。 するとは心底安心したような笑顔を浮かべて「良かった」と胸を撫で下ろした。なんなんだよ!んな顔されっと抱きしめたくなんだろ−が。俺は手が出そうになるのを必死でこらえて、缶珈琲を開けた。 あ−畜生、なんかきょうは来るなり我慢してばっかりだなァ。けどは意外と初心だから下手なことをすると嫌われかねない。これくらいの我慢 ―― いや、用心はしておいたほうが良いだろう。 「ね、時々こんなふうにお話出来ないかな。それとも練習で疲れてるから休みたい?」 「さ−なァ、時と疲労の具合にもよるけど、そんときはメ−ルくれれば良いし、俺は別に問題ね−けどな」 「じゃあメ−ルするよ!そのときはよろしくね−」 ニコニコと笑いながら、が言う。俺は「おお」とだけ答え、ようやく手ごろな温度になって来た缶珈琲を一口すすってみる。うん、もう良いみたいだ。 それからしばらくは、静かな時間が続いた。はそうでもないけもしれないが俺はいい加減この沈黙が苦しくなって、頭の中で何かないかと話題を探した。 きょうはあまりテレビも見てないし、朝もぼんやりニュ−スの画面が変わるのを眺めていただけだし、ラジオだってほとんど聞かない。 俺は自分の中で話題の少なさを嘆きつつ、どうしたものかと思案した。するとが「そうだなぁ…きょうは昔話しよ−よ」なんてことを言い出した。昔話だ? そんな思いが伝わったのだろう、はうん、と頷いて「たまには良いでしょ!きょうは阿部の番だよ−」と無邪気に言った。 「昔話ったって、いつぐらいの話すりゃ良いんだよ。ガキのころなんてほとんど覚えてね−ぞ」 「あはは、そんなのわたしだってだよ。中学のときの話はちらっと聞いちゃったしね」 マジかよ。あんな聞かれたくもない過去話を、までもが聞いていたなんて驚きだ。つ−か真面目に仕事しろよ。俺は胸中でそうツッコみ、深くため息を吐いた。 話すならそのときの話をしてやっても良いかと考えていた矢先だったが、も聞いているなら同じ話を何度してもおもしろくないだろう。俺はそう思っていたが、はそんなことないよ、と言って首を振った。じゃあそのときのことでも良いか。俺は思い出さないようにしながら話した。俺の、そんなに昔じゃない過去話を。 「阿部、がんばってたんだね」 「なんかむかつくなァ…言い方がよぉ」 「ごめんごめん。でもすごいな!わたしだったらそんな人とまともに向き合うなんて出来ないよ」 「まぁなぁ…俺は奴とバッテリ−組んでたんだから仕方なくだけど」 言って、また缶珈琲をすする。が笑いながら「仕方なくかぁ」と言っているのを耳に挟みつつ、の横顔を見つめた ―― 白い、きれいな横顔だった。 その横顔にゆがみはひとつもなくて、常に穏やかで ―― 俺はなんだか面白くなくなって、不意に、の横顔に触れてみた。暖かい。 案の定、は驚いた顔をして「な、何するの?」と、顔を真っ赤にして尋ねて来た。その声に怒気はない、ただ尋ねて来ただけ。嫌がっているわけじゃないみたいだ。 俺はひとまず安堵して、触れていた手を離した。少し、名残惜しいような気がしなくもないけど。 「別に−、面白くなかっただけだよ」 「なっ、なにが?」 「が。笑ってばっかでさァ、そういうおまえこそたまには違う顔してみたら?」 「ち、違う顔、って…?怒った顔、とか?」 そうそう。あと、寂しそうな顔とか、泣きそうな顔とかな。そんなふうに言ってみたら、なんか阿部って変態みたいだね、なんて言い出した。なんだと? 俺が一瞬だけ顔をしかめてみたら、はおかしそうに笑った ―― もう、いつもの笑顔に戻っている。驚いた顔が見られたのは一瞬だけだ。なんかほんと、面白くねぇなぁ。 「あはは、でも良かった」 「何がだよ、唐突だな」 「ごめんごめん。阿部が当たり前に野球してることが良かったなって話。 それが原因で野球してなかったら阿部とも出会えなかっただろうし。だから…ありがとね、阿部」 「なんだよ、三橋みたいなこと言うなよ」 「三橋君にも言われたんだ−良かったね、阿部」 俺は相変わらず笑顔でそう話すに良くね−よ、と突っ込みつつ、けれども内心では「そうかもな」と納得していた。 俺がいま野球をしていなかったとしたら、と出会うことはなかっただろう(まぁいま思えば俺が野球しないなんてことあり得ね−だろうけどな) そういう意味では、過去の自分にも感謝してやっても良いかもしれない。そんなふうに思えるようになったのも、のおかげなんだろうな。 「、今度はおまえの話しろよ。今度な、きょうはもう遅ぇから」 「うん、約束だよ−」 頷いて、が小指を突き出す。おいおい、今度はおまえの番だって−のに、指きりなんてして良いのかよ。俺は苦笑しつつ、自分の小指を絡めた。 そうして、ふたりで並んで家路につく ―― こんな当たり前の時間をくれるきみにも、ありがとう、だ。 ペリドット群光 |