学校へ来るのが憂鬱になる日が来るなんてそんなこと、夢にも思っていなかった。

思い返せば、きょうは朝から何かと不吉だったような気がする。目覚まし時計の電池がなくなっていたり、朝ごはんの食パンを焦がしてしまったり、 ジャムがなくなっていたり。玄関を出ようとすると雨が降り出したり、靴紐がほどけていたり…と、ここまではまだ許容範囲内だ。 問題は次からで、自転車のブレ−キが壊れていたり(おかげできょうは雨の中を徒歩だったんだよ!最悪!遅刻はしなかったけど!) 車に水をかけられたり、朝からもう災難続きだった。そんな話をつらつらと友達にしていたら、 何か思い立ったように「そう言えば、田島君と付き合ってるんだって?」なんていう、おかしなことを言い出した(え、誰が、誰と?)

「…なにそれ。なにかの冗談?」
「冗談じゃないよ−。知らないの?ちょっとまえから噂になってるよ」

え、そんな噂知らないよ!ちょっとまえからだったらわたしだって耳に挟んでるはずなのに、噂の根源には知られないなんて、なんて巧妙な! よくよく考えれば、そんな大層なデマを流す人間は、この学校にはひとりしかいないはずなのに、このときのわたしは不覚にも混乱してしまっていた。 別にうれしくて混乱してたんじゃないんだよ!予想外すぎて考える余裕なくなっちゃっただけなの!ああ、これからどうやってこのデマを抹消しよう。

「災難だね、…」
「なんか嬉しそうだね…良いよね、他人事だもんね」
が卑屈になってる…!」

珍しい、と小声で言う。彼女はわたしに聞こえないように、と配慮したつもりなんだろうけど、生憎としっかり聞こえていますよ。 わたしは深くため息を吐いて、友達といっしょに九組に入る。突然、先ほどまでいつものざわめきだったのが、どよめきに変わる。 なんて分かりやすいんだろう。けどまぁ、友達に噂の話を聞いていなかったらこんな変化にも気づかなかったかもしれない。 そう考えると、あの噂が流れている、というのは事実なんだろう。それは、認めるしかないみたいだ。

−、おはよ−!」
「…たじま」

はぁ、と本日二度目のため息を吐いて、おそらくこのざわめきの元凶であろう人物に向かって、裏拳をお見舞いする。 すると田島はがたん、と音を立てて廊下に転げ落ちた。「痛い…」という声が聞こえた気がするけど、そんなの気にしない。 普段なら。そう、普段なら「大丈夫?」って声を掛けられるけど、いまは現状が現状だから、仲良くなんてしていたら余計誤解されるに違いない。

「痛いじゃんか−!−」
「うるさいなぁ…。それより田島、昼休み屋上来なさいよね!」

つとめて小声でそう言ったつもりだったが、周囲の生徒たちの視線が熱く注がれている ―― 興味深そうな、聞きたそうにしている視線が(教えないけどね!) そうして、昼休み。わたしは友達との昼食も手短に、一足先に屋上にやって来た。田島はまだ昼ごはんの最中だったけど、いっしょに行ったりなんかしたら、 この事態を撤回させるどころか火に油、だ。だから、田島たちに気づかれていないことを尻目に、こうして先に来たというわけだ。

「ふう…やっぱりひとりが落ち着くなぁ…」

呟いて、軽く伸びをする。吹き抜ける風が、心地よい。少しだけ肌寒く感じたけど、それでもまだ心地よさは残る。 朝から降っていた雨も、いまは止んでいて、時折だけれど雲間から太陽の光が差し込んで、幻想的な空間を作り出している。 わたしは、雨はあまり好きではないのだけれど、雨のあとの、こういう雰囲気は好きだ。なんていうか、落ち着くから。 そんなことを考えていると、背後から「よ、よぉ」という、何処か控えめな声がして、わたしは振り返った ―― 田島だ。

「きょう呼んだ理由、分かるよね、田島」

その一言で、空気が張り詰める。ということは、田島も少なからず検討がついているということだ。 わたしは小さくため息をついて、田島を見た。わたしは分かりきっていたことを田島に尋ねてみた。

「誰よあんなデマ流したの」

いつもより少しト−ンを低くして言う。これで少しは、わたしが迷惑してるって相手に伝わるはずなんだけど ―― 何を思ったのか、田島は「え、俺だけど」と、 明るい声でそう言った。やっぱり!わたしはそう思って「おまえか−!」と声を張り上げる。田島は驚く素振りも見せずにひょうひょうとしている。 ぜんぜん、悪びれてなんかいない。反省しているようなら「撤回してよね!」で終わらせるつもりだったのに、なんか、悔しい!

「田島、」
「だってさ−、ぜんぜん気づかねんだもん」
「…はい?」

思わず声が裏返ってしまった。わたしは恥ずかしさのあまり口元を押さえて田島を見据える。 気づかないって、誰が、何に?誰がって、いま田島がわたしって言ってたけど、じゃあ何に? わたしが不思議そうにしていると、田島は何故か少しだけ頬を赤くして「俺が!を!すきなこと!」と声を張り上げた。

「す、すきって…だ、だからってあんなデマ流さなくても!」
「だって普通に告白なんかしても断られそうだったし!最後の手段ってことで」
「そ、そん、そんな強引な…!」

言葉がおかしい。体中が熱を帯びていて、どうにかなりそうだった。だって、あの田島がわたしを、わたしをすきだなんて ―― どうしたら良いんだろう。 最後の言葉だけ言葉にしてしまっていたのだろうか、どうやら田島に聞こえていたようで、彼は「そんなの簡単だよ」って言った。

「簡単…?どうする、の?」
「付き合っちゃえば良いじゃん!」

このひとはまた強引なことを…!このままこいつのペースに流されて行っても良いのでしょうか(誰か教えてください) 教えてくださいなんて言っても、最終的には自分で考えなくちゃいけなくなるんだろう ―― わたしは小さくため息をついて、田島を見やる。 余裕では、完全に田島に負けている。悔しいけど、認めるしかない。問題は、いまのわたしが田島を好きだと思っているかどうか、だ。田島とは普段から良く話すし、別に嫌いなところもない。 野球してるところは格好良いなんて思うときもたびたびあったけど ―― あれ。なんか、わたし、田島の、こと、

「仕方、ないなぁ…」

(結局、この事実も認めるしか、ないんだろうな)そう思って田島を見たら、田島は太陽にも負けないくらい眩しい笑顔を向けた ―― やっぱり、田島には適わないみたいだ。

やあアリス、散々だったね