みーん、みーん。夏ももう終わろうとしているというのに、いまが夏真っ盛りだといわんばかりにセミたちが忙しく鳴いている。 わたし ―― は、運動公園の水のみ場で顔を洗い、ふう、と一息をついた。やっと長かった練習試合が終わって、自然と出たため息。 不意に、隣の水のみ場できゅ、という弱地をひねる音が聞こえ、わたしは音がしたほうを振り返った。そこには、まだ中学生くらいの男の子がいた。

「…どうも」
「あ、こんにちは。中学生?」

わたしがそう尋ねると、少年はこくん、と頷いて眉間に寄せたままのしわを更に深くした。わたしはらしくないなぁ、とかすかに笑みを浮かべた。 するとそれに気づいたらしいこの少年はぶっきらぼうに「なんすか」と言った。案外、目ざといんだね。そういうと、少年は「別に」と答えた。 なんだか、ほんとうに中学生っぽくないなぁ。外見はちゃんと中学生なのに、不思議な少年だ。

「ううん、中学生らしくないなって思っただけだよ。
 野球部の子でしょ?わたしのお父さん、ここの関係者だから良く知ってるんだ」
「…そう」
「シニアの練習?たいへんだね」
「別に…そういうあなたはだれなんですか」

思いもよらないことをいわれ、わたしは「お」と声に出してしまった。少年がますます怪訝そうに眉を寄せる。
このままじゃ変な人だ、と思い「!西浦高校の一年生ですよろしく!」と名乗って手を差し伸べた。少年は無愛想に「阿部隆也、中三」とだけ言って手をとった。 「捕手だ」わたしがそういうと、少年・阿部隆也は「は?」と不思議そうに聞き返してきた。相手が不思議に思うのも無理はない。 まさか、見分けられる人間がいるだなんて、思うひとはいないだろうから。

「わたしね、スポ−ツやってるひとの手握ればそのひとがなにしてるか分かるんだよ」
「ふうん、そりゃすげぇな。たいした特技だな」
「でしょ!?ていうか先輩相手に敬語は常識でしょ!」

声を張り上げながらそういうと阿部隆也君は「だってさん先輩っぽくねんすもん」と言ってのけた。生意気いっ!これがわたしの、阿部隆也君の第一印象。

はじまりの逢瀬



あの出会いから、ほんの数日後。バイト先で、なんとなく見覚えのある姿を見かけて、声をかけてみた。

「 ―― 阿部、隆也君?」
「え…あ…どうもっす」
「どうも、こんにちは。良く会うね。家このへんなんだ?」

ちょうどバイト帰りで、制服に着替え終えてかばんを手に持ってお店を出たところで、偶然にも阿部隆也君と出会った。 相変わらずユニフォ−ム姿のままで、通学用かばんとは別におおきめのスポ−ツバッグを肩に掛けている。わたしは、時間的に練習帰りと見た。 阿部隆也君は相変わらず無愛想に、ただ頷いた。こっちも相変わらずなんだなぁ、と複雑に思いながら「そっか」と言って階段を下りる。

さん、ここでバイトしてんすか」
「うん、そうだよ。喫茶店!阿部君は興味なさそうだよね」
「…まぁ。けど珈琲くらいは飲みます」
「へぇ−!じゃあ今度飲みにおいでよ。
 ここの珈琲、すっごくおいしいって評判らしくて、雑誌にも紹介されたことあるんだよ」

デザ−トもなかなか評判だから女の子が多いけど、と付け足して笑いかけてみる。阿部君は相変わらず興味なさそうに話を聞いていて、 ただ話しているだけのわたしは、なんだか複雑な心境になった。阿部君って、同級生の子に対してもこんな感じなのかな。それだったら、なんか寂しい。 そう思ったわたしは、う−んと首をひねってひとつ思案してみた。どうしたら、阿部君が自然に笑えるようになるのか、とかいろいろ。

「◎さん。おれ、こっちなんすけど」
「え」

阿部君に言われて、我に返る。わたしは、この道を真っ直ぐなのだけど、阿部君は違うみたい。 じゃあ、と言って体の向きを変えた阿部君の背中に、わたしは思わず「あの、待って」と声をかけてしまった。 特に話すこともないのに、どうして呼び止めてしまったんだろう。もう会えないかもしれない、そんな考えが脳裏をよぎったからだろうか、それとも。

「阿部君!また会えるよね!」

また会いたい。そんな思いが自然と言葉になってしまった、とわたしはあとになって恥ずかしくなった。 阿部君はというと、どう返事をして良いか分からない、というような表情を浮かべて、ただ黙り込んでいた。さすがにいまのは不味かっただろうか。 わたしは何か言おうと口を開きかけたけど、それよりも先に阿部君が言葉を発した ―― 「珈琲、飲みに行きますよ」と、一言だけ。 その表情は、いままでわたしが見た中でいちばん穏やかで、気のせいかもしれないけど笑っているようにも見えた。 ただそれだけのことなのに、こんなにも嬉しいなんて。この気持ちは、ひょっとして、

…なのかな