夏大初戦が終わった、その日の放課後。野球部の練習を終えた俺は帰ろうと身支度を済ませ、部室を出て駐輪場へ向かった。 鍵を出そうと、ポケットに手を突っ込んだ瞬間、手のひらにかすかな振動が伝わった。携帯電話の、バイブ音だ。

「 ―― ?」

見てみるとメ−ルで、送信者は俺の幼馴染の、だった。が自分からメ−ルを寄越すのは珍しい、と眉を潜めたが、とりあえず受信ボックスを開く。 そこにはらしい、簡素な文字列で「きょうの夜、抜け出せる?」と、その一文だけが記されていた。きょうは、何かあっただろうか。の誕生日はまだのはずだし ―― 俺はそこまで考えて、結局答えを見つけ出せなかったので、ひとまず「抜け出せるけど」と簡潔に返事をした。 するとものの二分たらずで「じゃあ丘の上の公園に来て。練習終わったばっかで疲れてるのにごめんね」という返信が返ってきた。 俺はため息を吐き、携帯のディスプレイを閉じてそれをポケットの中にねじ込んだ。そして野球部の面々に挨拶をして、ひとり家路へと急ぐ。

のやつ、ど−したんだ?何か悩みでもあんのか?」

まさか、あいつに限ってなぁ、と苦笑いを浮かべつつ、自転車をこぐ。足早に過ぎていく秋の風は、ひんやりと冷たい。 きょうは、暖かくして出かけたほうが良さそうだなと、頭の隅で考え、また苦笑を浮かべる。そう言えば、少しまえにもこんなことがあった。 季節はちょうどいまぐらいで、確か、そう、中学三年生のころだったような気がする。の進路が決まらなくて、相談を受けたんだった。 結局、最終的には「準太と同じ高校に行く!」と言っていっしょにこの桐青を受けた。そうして現在に至るわけだけど、いまのにいったいなんの悩みがあるというのだろうか?

           



「よ−、、元気か」
「あ、準太−遅いよ−」
「そ−か?夜会うときってだいたいこんくらいの時間だろ?」

俺が片手を挙げながらそういうと、はどこか不満そうに「そうだけど−」と頬を膨らませた。まったく、は分かりやすい。 思っていることひとつひとつが、表情に表れているから、俺でもの変化にすぐ気づく。あとは、すごした時間でカバ−すれば、だいたいのことは分かるつもりだ。 それなのに、今回ばかりはがいったいどうしてこんな時間になんの理由もなく呼び出すのかが、いまだに分からなかった。

「あそこの芝生に移動しよ!いまからおもしろいものが見られるんだよ!」
「…おもしろいもの?」

訝しげに問いただすと、は「そう!」と、始終嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。きょう初めて見る、の笑顔だった。 なんだ、どうやら悩みがあって俺を呼んだわけじゃなさそうだ。俺は内心安堵して、のあとを追う。 そういえば、に会うのはなんだか久しぶりな気がする。幼馴染で、家も近所なのに、おかしな話だ。 そりゃ、お互い部活があったりするから会えない日もあるけど、それでもこれだけ会わない幼馴染もそうそういないんじゃないだろうか、と俺は思う。 久しぶりに会う所為か、きょうのは何処か大人びているように見える。少し見ないうちに、身長も伸びているようだった。

「ほらほら、ぼけっと突っ立ってないで寝転んで!」
「…はァ?寝転ぶ?夜空見んのかよ?」
「そ−だよ−!早くここ寝転んで!そろそろだと思うからっ」


そう言ってはぽんぽん、と自分の隣の地面をたたく。の隣に寝ろってことか、と、俺は半ば胃が小さくなるような思いで彼女の隣に寝転んだ。 すると、寝転んで最初の瞬きをするまえに、はるか遠い夜空から、一筋の光の筋が流れた ―― 流れ星、だ! これまたずいぶんと久しぶりに見る光景に、俺は柄にもなく目が離せなくなってしまった。ひとつだけかと思えば、たくさんの流星が夜空を伝っていく。 その数の多さに、俺は思わず息を呑んだ。不意にのほうを振り返ると、彼女も興奮した様子で瞳を輝かせている。

「すっごいね−!準太!こんなにたくさん流れ星見たの、小学生以来だよ−」
「…っと、ああ、そうだな…」

の声に、我に返る。俺は、一瞬、だったけど、に、の横顔に、魅入られていた ―― いままで、こんなこと、一度もなかったのに。 徐々に増える心拍数と比例するように、少数だった流星が群をつくって流星群と成す。俺は、その光景に集中しようと、必死になった。

「ど?少しは元気出た?」
「…は?」

の、そんな唐突な声に、俺は拍子抜けしたような、変な声を出してしまい、何故だか恥ずかしくなった。 案の定、はおかしそうに笑みを浮かべて、俺を見ている。あ−あ−もう、笑いたきゃ笑え!俺は半ば自棄になってそっぽを向いた。 すると、今度はが申し訳なさそうに「ごめんごめん、笑うつもりなかったんだけど」と言って、俺をあやすように背中をたたいた。はフォロ−してくれているつもりのようだが、なんだか逆に惨めになったような、そんな気持ちになった。なんか、むかつく。

「わたしね−、ずっと気になってたんだ!応援行った日からっ」
「何が」
「準太が。なんか元気ないような気がして…墓穴掘るようだから、具体的には言わないけど」

―― ああ、なるほど。俺はようやく、の言いたいことが理解出来た。は、このまえの西浦高校との試合の応援に来てくれていたんだった。 それで、俺が ―― いや、俺たちが負けちゃったから、落ち込んでいると思って、こうして彼女なりに励まそうとしてくれている、ということなんだろう。 あのなぁ、俺はおまえが思ってるほど落ち込んじゃいねぇし(テンション下がってるのは事実だけど)それが原因で練習に身が入らないなんてこともない。 俺は別に、正直にそう言ってやっても良かったのだけど、の心配そうな表情を見ていると、なんだか言い出せなくなってしまった。 だから、代わりに「んなことね−よ」と言っての頭をくしゃくしゃと撫でた。そうすると彼女はやっぱり「子供扱いしないでよ−!」と声を張り上げた。


「ん−?な−に?」
「ありがとな、きょうおまえに誘ってもらえて良かった」
「なんか準太らしくないな−ほんとうに大丈夫?」
「だいじょぶだって!もういいだろ?風邪ひくまえに帰ろうぜ」

帰ろうと促すと、やっぱりというかなんというかは「え−もうちょっと!」と、不満げな声を上げた。の格好を見てみると、薄い服にカ−ディガン一枚という軽装だったため、彼女の体調を気遣ってそう言ったのだが、まるで分かってもらえていないらしい。 俺はそのことをなんとなく寂しく思いながら「帰るぞ」と言っての腕を引っ張り上げる。軽々と、持ち上がってしまった。

「おまえな−、もうちっと食えよ、ひょろひょろになるぜ」
「な!ひょろひょろってなによ−!これでも標準なんだから、いろいろと!」
「ふ〜ん、標準ねぇ…まぁ、別にど−でも良いけど、風邪ひいたらおばさんに怒られるの俺なんだからな」

ちったぁ考えろ、と一喝すると、ようやくは「はい…」と黙り込んで歩き始めた。 時折名残惜しそうに夜空を仰いでいる姿が見られたが、これ以上無理をさせるわけにもいかない。俺はため息混じりに、夜空を仰いだ。 不思議だ、少しどんよりしていた気持ちも、いまはすっかり晴れ渡っている。俺は深呼吸をひとつして、背後を歩くの手を握った。 当たり前のようには驚いていたけど、そんなのは気にしない。ただ、いまはこうして、の手をつないで歩いていたかった。