「平和ですねぇ…」菊の家に来て二日。彼が書類の束に目を通している傍らで、縁に座って振る舞われたお茶とおせんべいに舌鼓を打っていたは、誰にともなくそんなふうに呟いた。初夏でもないのに、縁に下げられた風鈴が風にゆれてチリンチリンと音を鳴らした。まだ梅雨も明けていないだろうに、と独り言を言いながら、どんより曇った空を仰ぐ。


「 ―――― ふうっ。あれ、?何か言いませんでした? 」
「 へ?ああ、平和だなあって…ただの独り言です。どうにかなりそうですか? 」
「 あぁ…まぁ大丈夫でしょう。いまは国内情勢で手いっぱいですから…なんとか、同時進行でやってみます 」
「 すみません、お忙しいのに…どの国も、お忙しそうなので 」
「 大丈夫ですよ。そんな中でも、わたしを頼っていただけるのは嬉しいことです 」
「 ふふ。菊さんらしいですね…恩に着ます。でもほんと、平和…落ち着きます、菊さんの家は 」
「 落ち着くと言うのは嬉しいですが…なんだかそれじゃあ、わたしひとり平和ボケしているみたいじゃないですか 」


ポコポコ。そんな音が聞こえそうなほど、菊は可愛らしくも頬を膨らませて、だからは不謹慎だと分かっていながらも、思わず笑ってしまいそうになった。「、顔に出てますよ。無理をされるくらいなら、笑っていただいたほうが気分がいいです」「ふ…ふふ、ごめんなさい。なんだか可愛いなあって思ってしまったんです。男性なのに、不謹慎ですね」「まったくですよ。ア−サ−さんと言いアルフレッドさんと言い…と言い、可愛い可愛い言いすぎですっ」ふうっと一息吐いたあと、菊は湯呑をすすって羊羹、と言う名前の和菓子を口にした。


「 平和ボケ、か。でもほんとうに、そうかもしれませんね。ほんの何十年前までは世界的な戦争をしていたなんて思えませんし 」
「 そうですね。それを思えば、良く続いているほうだと思いますよ?平和な時間…と言うものが 」
「 そうですね。でもなんだか…こんなに平和で良いのかなあって思ってしまいます 」
「 なんですか?は戦争がしたいんですか?そんな容姿でずいぶんと恐ろしいことをお考えになるんですねえ、は 」
「 ちが!違いますっ!誤解を招くような言い方はやめてくださいっ。
  わたしはただ…いまにも戦争が起こりそうな国もあれば、いまだ混乱状態の国もある…と、そう言うことが言いたいだけですっ 」


「はぁ、まぁ、確かにそうですね」あまり煮え切らない返事だな、と眉間にしわを寄せながら、またお茶をすする菊をみる。「いろいろですよ。十人十色、それで良いんです。理由のない争いなんてないんですから」「そうですね…」「理由なく喧嘩するなんて、ア−サ−さんとアルフレッドさんくらいなんじゃないですか?」「兄弟喧嘩、と言うことを言いたいんですか?菊さんは。それを言ったら、王さんと菊さんだって」「ああ…まあ最近は、ちょっとやりすぎな感じはしなくもないですがね」「あ、禁句でしたか」「いえ?そんなつまらないことで命を棒に振るうようなことはしたくないというか…する必要がないというか」「ふふ、菊さんらしいです」笑って、お茶をすする。風鈴がまた、風にゆれて音を鳴らした。


「 ―――― それで? 」
「 はい?なんですかいきなり? 」
「 結局のところ、はどうしたいんです? 」
「 分かりません。結局のところ…いまのままで、良いのかもしれません 」
「 そうですか、それは良かったです 」
「 嬉しそうですね、菊さん 」
「 当然じゃないですか。わたしはとなんて、命の奪い合いは出来ませんから。もちろんどの国にも、それは言えることですが 」


「菊さん…」ほんとうに、あなたというひとは。いまにも消えそうな声でそう呟いて、震える眼頭を一生懸命押さえこもうと奮起した。だけども優しく微笑む菊の手が、思いのほか優しく頭を撫でるから、はとうとうこらえていた涙を流してしまった。悲しくもないのに ―――― この、平和ボケした世界で悲しいことなんてなにひとつないのに、どうして涙が出るんだろう。震える。心が震えて、涙線を狂わせる。菊の言葉には、そういう力があるのだと、はひとつ深呼吸をした。


「 ―――― すみません、なんてことないのに泣いてしまって 」
「 いいえ、大丈夫ですよ。すこし、吃驚しましたけどね。でも、良かったです 」
「 良かった、って?なにがですか? 」
「 久しぶりにの泣き顔を見ました。まだは、わたしに心を開いてくれる…許してくれる存在なんだなあって嬉しかったんです 」
「 菊さん…あんまりそういうことを言うと、召集つかなくなりますよ。ていうかそれじゃあただの変態です 」
「 の泣き顔が見たいって?まあ、あながち嘘じゃありませんからなんとも言えませんが。
  の泣き顔をみたひとなんて、そんなにいませんでしょうし。なかなか貴重なんですよ?の泣き顔は 」


くすくすと、この場にあまりに不謹慎な、菊の綺麗な笑顔に、顔を赤くしたまま、はぷうっと頬を膨らませた。すこしまえとはまるで正反対だ、とそっぽを向く。「あ−あっ、もう帰ろうかなっ」「ああ、面白くなくなっちゃいましたか。ほんとうに、こどもみたいですねは」「菊さん…こどもこどもって、わたしもう成人してるんですよっ」「そうなんですか、知らなかったです」「も−っ。用事もすんだことですし、失礼しますっ」「ふふ、はいどうぞ。あ、お送りしますよ」「大丈夫です。早く、落ち着くといいですね菊さんも」「…ありがとうございます。疲れたらまた、いつでもいらしてください」菊がまた、あの綺麗な笑顔で手を振って、見送る。は頷いて、手を振り返した。菊の笑顔に背を向けて、歩き出す。西の空に、ちいさな星がひとつ光を放った。


きらきら星ひろって
( ただ、平和だよねって話 )