「おや、こちらにおいででしたか」「菊、さん!こんにちは…」「はい、こんにちは。気付かなくてすみません、どうぞ中へ」そう言って、ここの家主はやんわりと笑みを浮かべ客人、を庭に招き入れた。家主 ―――― 菊はと言うと、ちょうど庭で草花や木々の手入れをしていたらしく両手に軍手をして片手に如雨露、片手に桑のようなものを持ってスタスタとまたもと来た道を戻っていった。世界が戦争を起こしそうなほど混乱していると言うのに、やはり菊は菊のままだ。常に笑顔を忘れることなく、温かく客人を迎えてくれる。他の国だったら、いまは忙しいからなんて言って門前払いされるのが関の山だっただろうと思案していると、心配したらしい菊がひょっこりと顔をのぞかせて「入らないんですか?」なんて言い出した。は我に返ってぶんぶん、と力いっぱい顔を振った。首を振りすぎたせいか、すこしばかり目眩がする。 「 大丈夫ですか?縁にでも座っていてください。すぐお茶を用意しますので 」 「 あの…ええと!お茶なら、わたしが… 」 「 だめです。来たばかりのお客人に、そんなことはさせられませんよ。ってあれ? 」 振り返ってみると縁にいたはずのの姿が見当たらず、菊は如雨露を持ったまま小首をかしげた。「?」「お湯のみは、なんでも良いですよね?」「ああもう…すみません、それで良いです…」ひょっこりと顔を覗かせたが片手にいつも自分が遣っている湯呑を持っていたので、菊は空いているほうの手で額を抑えつつやってしまった、とため息を吐いた。どうやら思っていた以上に行動派のようだ。ひょっとしたらとは思っていたが、まさかほんとうに台所にいたなんて。あとで手土産でも持たせようと思案して、菊は手早く作業を終わらせた。 「 ほんとうに、すみません。今度何かお詫びをしますね 」 「 い…良いんです。わたしが勝手に、したことだから 」 「 …ありがとうございます、いただきますね 」 「はいっ…」心底嬉しそうに、が笑う。こんなに気立ての良い娘さんといっしょに住んでいるだなんて、ア−サ−がうらやましいと菊が言うと、そんなことないです、とどこか照れくさそうにが笑った。「それで?」「はい?」「きょうはなにか、ご用があったんじゃないですか?ア−サ−さんからの伝言とか、お仕事とか?」羅列される言葉たちに、ただただ眼をぱちくりさせるばかりの。なにを言われるのかと思っていれば、どれも自分の予想を遥かに上回るものばかりだったので、思わず噴き出してしまった。その様子に、今度は菊が拍子抜けをしてしまったようで、ふたり揃って笑うことになってしまった。 「 わたしの早とちりでしたか。まさかが私事で来てくださるなんて思ってもみなかったので 」 「 ふふっ…すみません、驚かせて、しまって 」 「 いえいえ、すこし早いサプライズでしたよ。むしろお詫びをしなければならないのはわたしのほうです 」 「 え…?どうして、 」 「 お客人にお茶を入れていただいたこともそうですが… はきっと、ア−サ−さんからのご用がない限り自分からは来ないだろうと思いこんでましたので 」 「 そんな!菊さんは、悪く…ないです。あ!お茶、はじめて入れたんですけど…どう、ですか? 」 「 ん?ああ、とてもおいしいですよ。すこし苦いくらいがちょうど良いんです、ありがとうございます 」 「 良かった…やっぱり、菊さんの家、は…落ち着きます、ね 」 「 にそう言ってもらえると、嬉しいですよ。どうぞいつでも、いらしてください 」 「 菊さん…!はいっ 」 「 、きょうは良く笑いますね。何か良いことでもあったんですか?それとも… 」 「 それとも…? 」 ずず、とがお茶をすする。風流だなあなんて思いながら、菊は「心配事が吹き飛びましたか?」「え…」「来た時はなにか、そのような顔をされていましたよ?思いつめていたというか…深く考え事をされていたようで」と言ってまたやわらかく笑みを浮かべた。きょうは冷えるからと、おぜんざいを用意していたのだが、にも気に入ってもらえたようだ。「流石ですね、菊さんは」「流石、とは?」「兄さんにも…聞いていましたが…」「ア−サ−さんにわたしのことを…?ああ、なるほど」の言いたいことを理解したらしい菊は、お茶をすすってひとり得心するとうんうんと頷いた。 「 こんなときは…菊さんの家に、来たくなります… 」 「 …、あなたがそんな顔をすることはないんですよ。悪いのは、わたしたちです 」 「 そんな、こと…!わたしは、ただ…誰が悪いとか、ではなくて 」 「 大丈夫です、ちゃんと分かっていますよ。こんなときだからこそ、お客人は丁寧に迎え入れようと決めているんです 」 「 菊さん… 」 「 あなたは、心配しているんですよね。いつ世界が争いごとに発展しないかどうかって 」 コトン、と力なく頷くに、菊はまた優しく笑みを浮かべる。「わたしたちは…幾度となく争いを体験して来ました。それはあなたもご存知ですよね」「はい…」「だからこそ、もうあのような思いを繰り返さなくて良いように、努力しているつもりです。わたしはね」「きっと…兄さん、も」なおも分かっている、と言うように菊は頷く。「そうですね。でもどちらかと言うと…」「言うと?」「わたしやア−サ−さんは…、いいえ。世界のみなさんは、あなたの悲しむ顔を見たくないからこそ、がんばっているのだと思います」「わたしの…?」「そうです。あなたの泣き顔ほど、こたえるものはありませんからね」そう言うと菊はちょっとだけ、寂しそうな顔をしてほほ笑んだ。「さあ、冷えてきましたね。こたつにでも入りましょうか」そう言って菊は立ち上がり、お盆を持って障子を閉めた。まるでこのおはなしはもうおしまいだ、と言う合図のように、パタン、と言う静かな音が妙に大きく屋敷に響いて聞こえた。 いつか夢に見たようにはかなく |