クラス委員長でもあるの席は、窓際の後ろから三番目だ。日の当たらない廊下側と違い心地よく西からの日差しが差し込むこの席は午前午後問わず眠気を誘う。いまは五限めで昼食のあとだから、眠気はなおさらだ。ピ−クの絶頂、とまではいかないが出たり引っ込んだりしている欠伸は仕方ないものだ。言い訳にしか聞こえないと言うのはもちろん分かっているつもりだし、そもそも委員長の自分がこんな調子では担任の先生にも申し訳が立たない。「担任の…先生…」ウトウトし始めていた目蓋が途端に見開かれて、ボボボと言う音さえ聞こえてしまいそうなほど顔がどんどん熱を帯びていく。名前を、顔を、思い浮かべただけでこのありさまだ。もちろんあの日から、担任教師 ―――― フィンランドとはろくに眼もあわせられないでいる。


「 じゃあここを ――――  」
「 、当たりましたよっ 」
「 せんせい… 」
「 も−、!眠気を覚まそうとしてるのは分かりますけどっ… アイスランド先生に思いっきり睨まれてますよっ 」


学校一怖いと評判のアイスランド先生に睨まれている。その現実が思い起こされて、ぱっと現実に舞い戻って来た。だがすこしばかり、遅かったようだ。「授業中に上の空なんて… 意味分かんない」決まり文句とともに、アイスランドの深い深−いため息が聞こえて、重たく肩にのしかかった。「怠慢だね。これはすこしばかり、お仕置きが必要かな?」「…え?せん、せい?」アイスランドが、不敵に笑う。きっとなにか良からぬことをたくらんでいるに違いないと、の隣に座るハンガリ−は確信した。だけどもは学校一の鈍感だ、彼のそんな企てに気付けるはずもない。言い方はどことなく優しいのに、あのアイスランドにしては珍しく眩しいくらいに笑顔をみせているというのに、妙な威圧感があることに気付いているのはこの教室にいる全生徒と、隣にいる大親友くらいだろうとその場にいた誰もが思った。


「 !襲われそうになったら大声をあげるんですよ! 」
「 なにそれ−、わたしこども? 」
「 真面目に聞いてください。アイスランド先生なにさせるか分かりません! 」
「 ええ−?だいじょうぶだよ−、先生だもん! 」
「 あのねぇ… あなたはその<せんせい>に恋しちゃったんでしょう? 」
「 うっ… それは…そうだけど、 」
「 それなら、男はみんな狼だと思わなくっちゃだめです 」
「 漫画のネタ? 」
「 も−、とにかく!なにかあったら逃げてください。逃げるが勝ちです!全力疾走です! 」
「 わ… 分かったよ… 」
「 そうしましたら、わたしのところに来てください。
  スウェ−デンさんのところでも構いませんが… そうすればひとまず安心です。良いですね?絶対ですよっ 」
「 う…うん… ど、どしたのハンガリ−ちゃん…?なんかこ、怖い… 」
「 ―――― ほら、僕なんかよりきみのほうがよっぽど怖いんだって、は 」


部活の支度を終えたハンガリ−がと廊下に立ってその彼女に回避策を訴えていると、ふたりの背後から(問題の)アイスランドの声が聞こえて、ハンガリ−は条件反射でフライパンを振りかざした。「学校にフライパン持ってくるなんて、おかしいよ。意味分かんない」「ひとのことは放っておいてください。それよりも!」「…、怖かっただろ。早く場所を移そう」「え、でも… まだ話が」「大丈夫だって。それよりきみの大事な親友は早く部活に行かなくちゃならないんだろ?」くるりとハンガリ−を振り返って、不敵にほほ笑む。ハンガリ−はむっとして、「になにかしたら、許しませんからっ」と声を張り上げ、持っていたフライパンで軽くアイスランドの後頭部を殴りつけた。


「 いっ… なにすんだよまったく… 」
「 だ、だいじょうぶですか?すみません… ハンガリ−ちゃん我を忘れるとフライパン振りまわしちゃうんです 」
「 …あんたが謝ることないだろ。行くよ、お仕置き 」
「 うっ… はい…。お手柔らかに、お願いします… 」
「 ん−、どうだろうね。まあきみは委員長だし、きみの腕次第かな 」
「 ――― 腕? 」
「 まあほかの連中ならチョ−クを投げつける(しかも超高速で)とか、
  名簿の角で思い切りぶんなぐるとかするんだけど… あんたは仕事が出来るってフィンランドに聞いてたから 」


「!!」フィンランドと言う名前を聞いて、の頬にまた熱が集中する。その様子をすこしばかりむっとしてみつめていたアイスランドだったが、を科学準備室に連れ込むと箒とモップ、それにハタキを手渡した。「もしや、掃除をしろ、と…?」「流石は委員長、察しが良いね。こりゃあ先生も仕事が捗るって言うものだ」「ど、どうも…」「でも、自惚れちゃあいけないよ。これは罰則なんだからね。終わったら理科室に来ること!まあ、この量だと一時間くらいで出来れば上出来…かな?」準備室、もとい倉庫を見回したアイスランドはそう言ってすたすたと姿を消してしまった。だけどもあの口ぶりからすると理科室で作業でもするんだろう。


「 やるしかないか− 」


制服の腕を捲くしあげ、小窓をあけて掃除をはじめる。家事のなかでも、掃除は料理の次に得意な分野だ。その分、気合も入る。ちりばめられた用紙や本、包装紙などを一か所に集め、掃除機とモップで仕上げる。窓も磨いて、最後に本をもとの場所に戻したら掃除はおしまいだ。学生にしてはかなりの出来前じゃないかと自負してみたりもするけど、相手はあのアイスランドだ。なかなかうん、とは言ってくれないかもしれない。「ふう…先生?終わりま…した… あれ?寝てる…」先生がいつもいる場所に、そのひとの姿はあった。腕組みをするようにして、居眠りをしている。先生たちは連日、遅くまで仕事をしていると聞いている。場合によっては家に持ち込み仕事をすることもあるらしい。そっと近づいて、ブレザ−をかけてみる。先生の寝顔をみるなんて、なかなか出来ない体験だ。


「 ―――― 黙っていれば格好良いのに… ひゃあ!? 」
「 まったく。あんたってほんと、ひと言余計だよね 」
「 お…!起きてらしたんですかっ… 」
「 うん。あんたの出方を計らってみようと思ってね。想像以上におもしろかったよ 」


すっぽりとアイスランドの腕に包まれたは、暴れてみても睨んでみても彼の腕からは逃げられないと悟った。だったら、一瞬の隙を突いて逃げるしかないと覚悟を決めて、すこしばかりアイスランドを見上げてみた。「…なに?今度は上から目線?ま、そこも可愛いんだけどね」「はい?先生、何言って…」「学校一の鈍感って、あながち嘘でもないみたいだね」なおも、アイスランドの言おうとしていることが分からない。先ほどの緊張感はどこへやら、すっかり油断してしまっていることに、は気付けなかった。アイスランドが一瞬廊下のほうに眼を向けたかと思うと、にっと悪戯っぽく笑みを浮かべて、の額に口づけた。優しく、と言うよりはすこしばかり力強いそれに、は真剣に困惑した。


「 もう行って良いよ、 」
「 ―――― えっ 」
「 ほんとうは罰則なんかどうでもよかったんだ。
  あの掃除は、形だけ。僕がしたかったことはすんだから、もう良いよ。気をつけて帰りなよ 」
「 は…い…?さようなら… っ!? 」


…?アイスランド…?」「せん、せい、」ばったりと、立ち尽くしていたフィンランドに出くわした。だけども彼はが眼の前にいることなんて気にもとめずに、ただまっすぐにアイスランドを茫然とみつめている。アイスランドを振り返ってみれば、彼はどことなく勝ち誇ったようにほほ笑んでいて、やがて静かに腰を上げた。「これくらいで動揺するなんて…まだまだだね、フィンランド。そんなんで大事なを守れるの?」「アイスランドっ…!」「なに?なにもしてないのに逆ギレ?意味分かんない。ああは、あまり気にしなくて良いからね。あんたはなにも悪くない」そういうとアイスランドは、どこか寂しそうな表情を浮かべてぽんぽんとの頭を優しくたたいた。たたくと言うより、撫でると言う仕草にとても近かった。「僕は負けないよ、。フィンランド、あんたにもね」アイスランドはそう言ってフィンランドを一瞥すると、颯爽とどこかへ姿を消してしまった。残されたはただただ、茫然と立ち尽くすフィンランドの手をつないでいることしか出来なかった。



愛は三分間