血なまぐさい匂いと、思うように動かない体が、これは夢ではないことのなによりの証明だった。そもそも、これが夢じゃないのなら、なんていうんだろうか。は滴る己の血を見下ろしながら、ふとそんなことを思った。めのまえにいる青年にそんな話をしたらきっと、こんな状況でよくそんなことを考えていられるな・なんて罵倒されそうだが、 皮肉にもこんなときだからこそそんなことが平然と想像出来たりするものなのかもしれない。よく、窮地に追い込まれた人間が冷静に物事を分析したりする、 サスペンス映画なんかにも出てくる場面がそれだ。もっとも、映画と現実に起きていることの違いは、そこにリアルがあるかどうか、それだけの違いだけれども。


「おい…なんで笑っていられる」
「別に、あなたに言ってもきっとナンセンスだって馬鹿にされて終わりだわ」
「そんなん、聞いてみないと分からないだろう」
「分かるわ、だってあなただもの」
、お前な…自分の状況を理解してからそういうことを言えよ…」


イギリスが、ちょっとあきれたように肩をすくめる。それは昔から、なんらかわり映えのしないイギリスの癖というか習慣のようなもので、個人的にはまあ、嫌いじゃなかった。 あのときわたしは、イギリスがマフィアの一員だと言うことを知らなかった。わたし自身、自分がマフィアの令嬢であることを明かさず、勝手に彼に惹かれていった。 そのことを、彼が敵対するマフィアだと知ったときひどく後悔したものだけれど、自分の気持ちを知られていないのが唯一の幸いだった。あのときわたしは、このイギリスへの思いを墓場まで持っていくと心に誓った。 だけど、いざそのときになると足がすくむ。指先が震えて、引き金を引くことが出来ない。弾はあと一発、確実に仕留めなければならない重要な局面で、わたしはいったい何を迷っているんだろう。


「残念だな。お互いがお互いの仇だなんてよ」
「…そうね、それも仕方のないことだわ」
「そういう運命だった、ってか」
「ええ、そうね。そう言われるとしっくりくるもんだから、逆に笑えちゃうわ」


「ほんとにな」イギリスもどこか自嘲したように鼻で笑って、カチ、と弾丸を切り替える。銃口はまだ、わたしには向けられていない。反対にわたしは、迷っていると言ったわりには、 その銃口は不安定ながらもイギリスの心臓に向けられている。お互い、宿敵はひとりずつ。この引き金を先に引いたほうが、生き延びることが許される。「なぁ、俺…」イギリスが何か言いかけて、 だけれどわたしは「往生際が悪いわよ。 それでも百年暴れていた男が言う台詞?」と切り捨てるようにそう言った。イギリスは、やりたいようにいろいろなことをしてきた。良いことも、悪いことも。 不運にも、自分の身内の不幸は彼にとって 悪いこと の部類に入るのだから笑えない冗談だ。冗談にするにも、あまりに出来が悪い。はため息を吐いて、イギリスをまっすぐに見据えた。




「最後のチャンスよ。 この戦線から離脱すれば見逃してあげるわ…二度とわたしたちのまえに姿を見せないで」
「だめだ。俺たちだって、簡単に引き下がれるわけないって分かってるだろ。 …簡単な理由じゃないんだ」
「…そう、残念ね」
「おまえこそ降伏しろ、。 俺はお前を…撃ちたくない」
「甘ったれたこと言わないで。ほかのひとたちは散々殺しておいて、わたしだけなんて、虫が良すぎるわ」


確かに、そうだ。の言うことはもっともだ、とイギリスは思った。だけれど、ほかの人間とはわけが違う ――― だって、彼女は、「特別、なんだ」おもむろに、イギリスが口を開いた。 知らない、知りたくない。そんなこと、いまさら。は一生懸命に首を振りながら「お願い、黙って!」と声を張り上げた。ピリピリと震える空気に、イギリスはピタ、と身動きを静止させた。の顔をよくよく見てみると、いまにも泣き出しそうな顔をしていた。もうあのころには戻れないのだと、その表情が如実に語りかけていた。敵同士の自分たちがいっしょになることなど、あり得ない話だと。


「銃の腕は、お前がいちばん良く知ってるはずだぞ。 そもそもお前に射撃を教えたのは俺なんだからな」
「…分かってるわよ。だけど訓練次第でどうにでもなることを忘れてはいけないわ」
「まぁな。 …けどお前に出来る訓練なんて、たかが知れてるだろ」




拳銃を握りなおす。何度となく繰り返されるその行為のせいで、手はすっかり汗ばんでいる。このせいで滑ったりしたら終わりだな・なんて考えながら、それでもしっかり銃口の先をイギリスに向ける。 その彼は、勝ったつもりでいるのだろうか自信に満ちたような顔をして、だけれどやっぱり銃口を向ける気配はない。まさか本気でやりあう気がないなんて馬鹿な話があるわけない、とは首を振った。は小さくため息を吐いて、きつく閉じた瞳をゆっくりと開いた。それがいったい、どうしたと言うんだ。わたしには、絶対やり遂げると言う覚悟がある。決意がある。何を、引き腰になることがある。


「じゃあね、イギリス… ばいばい」
「じゃあな、


ほとんどおんなじようなタイミングで最後の言葉を言って、お互いほとんど同時に引き金を引いた。――― ぱん!そんな乾いた音が周囲にこだました。 イギリス、ごめんね ―― ごめんね。あなたをこんなに傷つけても、やっぱりわたしはあなたを、  「あいしてる