、もしこのあとお暇でしたら、わたしの家に泊まりに来ませんか?」


日本からそんな電話を受けたのは、年末の仕事もひと段落着いたある日の午後のことだった。
散らかったデスクを片付けていると突然呼び出し音が響いて、こんな年末に何事かと驚いた。執事さんから受話器を受け取ると相手は日本さんで、いま年始の行事の準備で忙しいらしい。 わたしが日本の文化に興味を持っていたことを、日本さんはとっくの昔に見抜いていたから、それがどうということではないのだけれど、そんなこともあって日本さんはことあるごとにわたしを家に招いてくれる。


「う−、寒い…。 日本は冬真っ盛りですか…」


空港を降り、きょろきょろとあたりを見回す。つい少しまえまで自分のいた空を仰いでみると、真っ白とも言いがたいような・灰色の雲がどんよりと広がっていて、より一層寒さを際立たせるかのようだった。 「――姫さま、こちらです」日本さんのお家の客室乗務員さんがそう言って、車のところまで案内してくれる。外は少し肌寒かったから、暖かい車内に入れて良かった。わたしがそう一息ついていると、 まえの座席からひょっこりと日本さんが顔をのぞかせて「お久しぶりです、」とやんわり笑みを浮かべた。一瞬驚いたも「はい。お元気そうですね、日本さん」と言って、ほっと安堵の笑みを浮かべる。


「元気は元気ですよ、ただ…」
「ただ?」
があまりにも連絡をくれないので、書類の山に埋もれて窒息してないかと心配していました」
「失礼ですね! 埋もれてないですよ! それくらいじゃあ窒息しません! …でも、ご心配をおかけしました」
「いいえ、こうして元気そうな姿を見られただけでも大収穫ですよ。 さあ、行きましょう」


そう話す日本さんの手に引かれて車を降りると、そこはもう日本さんの家の玄関前で、わたしは運転手さんにぺこりと頭をさげてただただ日本さんについて歩いた。 ほんとうはくたびれ始めた手のひらを、そろそろ離してほしいな・なんて思っていたのだけれど、日本さんと手をつなぐのも久しぶりだったので、自分から「離してほしいんですけど、」なんて話を切り出すつもりはない。 そうして日本さんの家に入ると、ぱちぱち・とどこからか香ばしいような匂いが鼻に触れて、思わず歩みを止める。「日本さん、この香は…?」そう首をかしげると日本さんはただ笑って「まあ座ってください」とだけ言った。 いったい、なんなんでしょう?日本さんはわたしが来てからというもの、なんだか笑顔が絶えませんし、心なしか心も弾んでいるように思います。きょうは何か、楽しい催しでもあるのでしょうか。


「これ、焼きたてのおもちなんですよ。 良かったらどうぞ」
「わぁ…ありがとうございます。 来て早速いただいてしまうなんて…良いんですか?」
「もちろんです。そのためにをお泊りに誘ったんですから」


そう言って、満面の笑みを浮かべる日本さんの表情は子供そのもののようで、なんだか見ているこっちまで嬉しくなる。だからわたしは断らずに「いただきます」と日本さんの家でのあいさつをして、おもちにはしを伸ばす。 やわらかくてほくほくのおもちに舌鼓していると、不意に日本さんの姿が見当たらないことに気づく。なんだか不安になってあたりを見回してみるけれども、日本さんの姿はどこにもない。「日本さん?」少し大きめの声で名前を呼んでみても、返答がない。 どうしたんだろう・とさすがのわたしも動かずにはいられなくなって、はしを置く。だけれど、探す間もなく日本さんがひょっこりと台所から顔をのぞかせて「呼びましたか?」と言うので、心から安心した。


「いいえ、なんでもないんです。 あの…なにしてるんですか?」
「それだけじゃあ物足りないだろうと思いまして、新しい品の用意をしていたんですよ」
「そんな!十分おいしいです…! どうかゆっくりしてください、日本さん」
「そういうわけにはいきませんよ、には食べてもらいたいものがたくさんあるんですから」


日本さんはそう言って、またひょこっと頭を引っ込めた。わたしのために忙しくしてもらわなくても…折角久しぶりに日本さんに会えて、ゆっくり出来ると思ったのに。そんな思いから、自然とため息がこぼれる。 だけれど日本さんがあんなに嬉しそうにしているのだから、自分のそんなつまらないわがままを言うわけにはいかないと言葉を飲み込み、振舞ってくれたおもちをきれいに食べる。とてもおいしいのに、なんだか味気がない。 満腹感からだろうか、長旅の疲れからかは分からないが急にまぶたが重たくなり、は意識に任せるまま、ゆっくりと瞳を閉じた。


「ふう、出来ました。、お待たせしまし…あれ、」


おわんを持って戻ってきた日本は、囲炉裏のまえに横たわっているを見つけて、そっと彼女に近寄った。聞こえてくるのは、規則正しい寝息と一定のリズム感だけだった。 よほどぎりぎりまで忙しくしていたのだろう、だいぶ疲れが溜まっていたようだと思った日本は、たんすの中にあった毛布を取り出して、そっとにかけた。「無理をさせてしまいましたね…すみません、」日本は気持ちよさそうに寝息を立てるの寝顔を見つめ、そう呟いた。 これはあしたの朝にでもいっしょにいただきましょうかね、と心の中で呟いて、静かに立ち上がる。ほんとうはもう少し、の寝顔を見ていたかったのだけれど、あのままあの場所にいたらきっと、自分の身が持たないかもしれない・と思ったからやめた。


「まだまだ、たくさんお話出来ますしね…急ぐことはありません」


日本はそう自分に言い聞かせるようにそう言って、冷めかけたぜんざいをなべに戻した。ひやりと冷たい床が、冷めかけたなべがほんの少し寂しく感じたけれど、 ここからでもかすかに聞こえる寝息に耳を傾ければ、心の中も表情も、ほころんでいくのだから不思議だ。それはたぶん、が来てくれたからだと思わずにはいられなかった。




手のひらだけじゃ物足りない
謹  賀  新  年  !