業火・銃声・響き渡る悲鳴。幼いころの記憶が、いまもなお脳内を支配する ―― 奪いきれなかった。たった、ひとつだけ。は寝苦しさから目を覚まし、純白のドレス姿のまま静かに起き上がって寝汗をぬぐい ―― ノックをして訪問者の部屋を訪れた。 「イギリス?」 いまはもう聞きなれた少女の声に耳を傾けながら、だけれど返事をすることなく、イギリスはゆっくりと声のするほうを振り返った。 イタリア製の椅子に深く腰をかけたまま黙り込んだ自分を、彼女 ―― はどう思うだろうか。おびえるだろうか。それとも、いつものように微笑むだろうか。 イギリスは内心、これから起こることを考えないようにしながら、ひっそりと賭けをすることにした。 「どうしたの…?なにかあった?」 「。いや…なんでもない」 シャンパンでも飲むか・とグラスを抱えて、を見据える。はふんわりと微笑んで、「はい」と言った。 そしてちいさなテーブルを囲うようにして、それぞれのグラスにシャンパンを注いでくれるの様子をどことなく伺いながら、拳銃の入ったホルダーに触れる。出来れば、の泣き叫ぶ姿を見たくはない ―― いや、そうさせるわけにはいかない。そうなればほんとうに、だけじゃなく自分自身の命すらも危うくなる。 「イギリス、きょうはどうしたの?まさか杯を交わすためだけじゃないでしょう?」 「もちろんだ。いつも取引に応じてくれるに、お礼をしたくてな」 二口ほどシャンパンを口に含んだを見ながら、イギリスはそう言って腰を上げ、ポケットの中からちいさな箱を取り出した。「これ、なに?」当然のように首をかしげながら、そう呟く。「開けてみれば分かる」イギリスはそう言って、を見た。はまた微笑んで「それもそうね」と言い、疑うことをせずにその箱を開いた ―― その直後。 ぱんぱん、という銃声にも似た爆発音が部屋に響き渡り、その爆発音が消える間際のタイミングを計ったかのようにイギリスは拳銃を取り出し、最期に一度その引き金を引いた。 そしてすぐに拳銃をソファの下に隠し、半ばを押し込むようにしてソファの中に埋めた。「イギリス、なんのつもりです!」の当然のような怒声が聞こえ、イギリスは「うるさい。お前の警護が来たら、うまく言え」とだけ言って、そっと彼女に口付けた。 「お、お詫びのつもり…?」 「分かってるじゃないか。頼んだぞ」 イギリスはひとつ、深呼吸をするとニィ、と意地の悪い笑みを浮かべてを見やった。は「もう!あとでちゃんと説明してもらいますからね!」と言ってドレスの乱れを直した。 そしてイギリスの計算どおり、ものの数分での警備隊が現れ、「どうしたのですか、お嬢様!」と声を荒げた。どんどんどん、というドアの音が止み、警護の男がまじまじとイギリスをにらむ。 イギリスは肩をすくめて、腕の見せ所だぞ・と胸中で呟いた。 「驚かせてごめんなさい。なんでもないんです」 「ですが、銃声のような音が…」 「あれは、イギリスがプレゼントしてくれた箱の所為ですわ。驚かせるためのトラップなんです」 「トラップ…?」 「そうなんです…中には指輪が入っていましたの。ごらんになります?」 「指輪…?」 が見せたとおり、その箱にはクラッカーの破片とその中できらめくシルバーのリングがあった。警護の男は「…分かりました」と半ば腑に落ちない様子を露にしながらそう言って、立ち去った。 完全に足音が消えてから、イギリスはぱちぱち、とに向けて拍手をした。「さすがだな、見事だ」と満足そうに笑みを浮かべて話すイギリスを、は憤慨にも似た気持ちで見つめた。 「茶化すのはおやめになって。こんな子供だましみたいなことまでして、なんだって言うんですか」 「連中を撤収させるためには、これしかなかったんだ…分かってくれ」 「連中?わたしの側の人間のことですか?」 がシャンパンを飲みながら首を傾げると、イギリスは違う違う・と首を振った。「では…あなたの?でも、どうして…」はそう言ってグラスを置き、頬杖をついた。「監視されていたんだ。ちゃんと殺したかどうか…な」イギリスはそう言って、一度を見やり、申し訳なさそうに瞳を伏せてから、シャンパンを口に含んだ。心なしか、ほんの少し後味が悪く感じた。 「殺す…?」 「俺は、俺自身の目的のために組織を抜け出す方法を模索していた」 「なぜ?」 「…奪えなかったものを、奪うためだ」 「?」が分からない、と言うように首をかしげていると、イギリスは静かに微笑んで「直に分かる」とだけ言った。「でも、それと今回のことと…どういう関係があるの?」もとりあえず納得したんだろう、 そんなふうに話を切り替えた。「見つけたんだよ、その方法をな」イギリスはそう言ってわずかに残ったシャンパンを飲み干した。「取引、ですわね」がそういうと、イギリスは「そのとおり」と返答した。 「ですが、わたしを殺してその方々になんの利益が?」 「敵が減るだろう。そうすれば今後の活動も有利になる」 「まぁ…単純ですわね。それでしたら、何も我が砦でなくても良かったのでは?」 「…。取引と言う言葉が出たとたん令嬢口調になったな」 イギリスがさりげなくツッコむと、は少し申し訳なさそうに微笑んだ。「ごめんなさい、なんだか緊張してしまって」は弁明するようにそう言って、イギリスのグラスにシャンパンを注いだ。 イギリスはくつくつとのどの奥で笑って、「すまない」と言うなりグラスを抱えた。の出した疑問についてイギリスは「いまいちばん、強力なファミリーはのところだからな。しかも、お前がボスになってまだ日も浅い」と返事をして、シャンパンを口に含んだ。は「なるほど」と言ってグラスを回し、「これであなたは、ひとりの男性になった・というわけですね」とイギリスを見つめた。彼は動じるふうもなく、「ああ」と淡々と言った。 「これで、心置きなくあのときの仕返しが出来る」 「仕返し…?」 「あのとき俺は、いちばん奪いたかったものを奪えなかった。なんだか分かるか?」 笑みを浮かべるイギリスの、心境がまったく読めなかった。確かに、ずいぶんまえに彼のファミリーを襲撃したことがあった。だからイギリスが「仕返し」と言うにも筋が通っている。 だけれど、イギリスの「奪いたかったもの」というものが連想出来なくて、返答に困ってしまう。権力者の命?次期継承者の命?金目のものすべて?分からない…「分からない…分からないわ、イギリス、」一通り思案をめぐらせたは、そう言って首を振った。 「お前の心だ、」 「…はい?」さすがのでも、いまのイギリスの台詞にはそう返すしか選択肢はなかった。自分が想像していたどれとも違っていて、衝撃が大きかったと言うのがいちばんの理由だけれど、まさかそんなことだったとは。 もっと大きな、組織的なものかと思っていたのに ―― ほんとうに、この男はおかしなことばかり言う。「それなら、あなたの作戦はとっくに成功していますわ」はそう言って微笑み、イギリスがプレゼントしてくれた指輪を薬指にはめた。 「…、愛している。ひと目見た、あの日からずっと」 「イギリス…はい。わたしもです」 赤と黒の駆け引き |