ミ−ンミンミン…。まるでこの静かな時間を邪魔するかのように、忙しく虫が鳴いている。日本にこの虫の名前を尋ねてみたところ、セミというらしい。漢字で書くと、蝉。夏に鳴く虫で、日本の夏の風物詩、というもののようだ。冷たいお茶をすすっていた日本はそう言って、もまた「そうなんですか」と呟いた。いまは短い休暇期間で、おそらくいまいちばん静かにすごせるであろう日本にやって来たわけなのだが、どうやらそうでもないらしい。は少し、落胆にも似た気持ちになった。

「はは、そう思っていただけるのは嬉しいですが…、少しばかり心外です」
「…え?ど、どうしてですか?わたし何か変なこと言いましたか?」
「ええ…、確かにわたしのところがいちばん静かでしょうね。けれどもそれだと暇人だと言っているようなものですよ、の言い方ですとね?」
「うっ…、そういう意味では…ごめんなさい…」
「良いんですよ、そう思うのはきっとばかりではないでしょうし?
 それに、蝉だって夏の間しか生きられないんですから、少しくらいは大目にみてあげてください」

日本はそう言って穏やかに微笑み、またお茶をすすった。はえ、と一瞬目を見開いて、「夏の間って…蝉って、一ヶ月くらいしか生きられないんですか?」と聞き返した。すると日本はさも当然、というように「ええ、たった一ヶ月なんです。人間の一生が蝉にとっての一生分だとすると、すごいことに思えませんか?」と言って、微笑んだ。自分たちにとっては一瞬のようにしか思えない命の短さに、はなんとも言えない気分になった。それならば、長く生きる人間て、それだけで贅沢なんじゃないだろうか?がそう、首をかしげながら言うと、日本も頷いて「ええ…そうですね。だからこそ、わたしたちは自分の一生を最後まで生きなくてはならない」そう、言った。

「なるほど…、なんていうか、奥が深いですね。日本さんの国にはこういう生き物もいるから、価値観もぜんぜん違うんですね」
「命の考え方について言っているのなら、それは大げさだと思いますよ。
 外国にも、わたしのように考えてくれている方も大勢いるはずですし…の国にもいるはずでしょう」
「それは、そうですね…。あれ?それ、なんですか?」
「え?ああ、これですか?さっき取り寄せてもらいました、羊羹です」
「ようかん?」
「わたしの国のお菓子ですよ、和菓子です。良かったらもひとつどうですか?」

甘すぎないですから食べやすいと思いますよ、と日本はそう言って、器を差し出した。濃い光沢を放つそれは、とてもお菓子には見えなかったけれども、は日本に勧められるまま、 その塊を一口含んだ。さわやかな甘さがあっという間に口内に広がって、あっという間にその形を崩して溶けてゆく。「お…おいしい…!」は頬に手を寄せて、そう言った。こんなにも上品でおいしい菓子を食べたのは、実に久しぶりだ。いや、お菓子自体を食べるのもほんとうに久しぶりのように思える。

「日本さんのすきそうなお菓子です…!」
「はは、そう思いますか。どうです?口に合いましたか?」
「はいっ!とてもおいしかったです!見た目のわりに、上品な味がしますね…!」
「見た目のわりにって…まぁ、お気に召してもらえたなら良かったです」

日本はどこか困ったように微笑んで、もうひとつ、と手を伸ばした。もふたつめを口に含む。これなら、いくら食べても飽きなさそうだ。けれども、さすがにそれは遠慮したほうが良さそうだと思ったは、みっつほど食べ終えたところで、箸を置いた。つられるかのように日本も手を止めて「おや?…もういらないんですか?」と言った。は「はい。残りは日本さんがどうぞ。これで良いお土産が決まりました」少し困ったような笑みを浮かべた。 「ふむ、お土産ですか…分かりました」日本はひと思案するかのようにそう言って何度か頷いたあと、最後の羊羹を口に含んだ。

「そうそう、あしたには花火大会もありますよ」
「花火…、日本にも花火ってあるんですね」
「ええ、もちろんです。フランスさんの祭りなんかで見られるような、大規模なもじゃあありませんがね」
「そんなことありません!楽しみです、日本の花火」
「そうですか。でしたら、あしたは浴衣を着ていきましょう。きっと似合いますよ」
「ゆかた…来たときにいっていた、日本伝統の式服ですね。なんだか、贅沢ですね、わたし」

はそう言って微笑み、お茶をすする。生ぬるい風が、ふたりの間をすり抜けるように吹いている。日本はそんなの横顔を見ながら「贅沢?」と首をかしげた。だからも頷いて「だってわたし、たった数日間の間に日本の夏の風物詩を全部堪能出来るんですから」と言い、満面の笑みを浮かべた。するとようやく納得したらしい日本も頷いて、なるほど、と言って頷いた。とても、穏やかだ ―― それでいて、否定しないところが日本らしい。浴衣、花火。あしたの花火大会を心待ちにしながら、は日本の庭に咲くひまわりを見つめて、お茶をすすった。風鈴の音が、心地よく耳に響いた。


世界はやさしくまわっている