「スイスさんに会うのも、お久しぶりですね…」 空港に降り立ち、スイスから見える青空を仰ぐ。異国の少女、・はカ−トを立たせ、背伸びをしながら待ち人を待った。 降機後、スイスに到着したことを知らせた際、仕事がもう少し長引きそうだからと返事があり、30分ほど待っているようにと言われたのだ。 そもそも、何故自分がここにいるのかというと ―― それは数日前にまでさかのぼる。あれは確か、が書類整理に追われていたころ。 珍しくスイスから電話があり、「…、に会わせたいやつがいるのだが」と言われたのがきっかけで、オ−ストリアの音楽祭の帰りに立ち寄ることにしたのだ。 「それにしても遅いですね、スイスさん…、あら?」 不意に、向かいの少女にじい、っと見られていることに気づき、はどうしたんでしょう、と首をかしげた。けれどもそれらしい答えは浮かばず、は結局その少女に話しかけてみることにした。こちらが歩み寄っても、少女は少しも動じず、ただ真っ直ぐにこちらをとらえている。 「あの…、失礼ですがあなたは?わたくしに何か御用ですか?」はそう言って、少女を見やった。すると少女はこくんと頷いて「…、はい。兄様に頼まれて、あなたを探していたんです」と言った。 …お兄様?スイスさんのことでしょうか。そう不思議に思ったは、気になって少女に尋ねてみた。 「お兄様とおっしゃいましたが…、それはスイスさんのことでしょうか?」 「はい、そうです。スイス兄様のことです。様がご存知ないのも無理ないかもしれませんね…」 「そうなのですか…、それよりも…あなたがスイスさんの妹さん…!」 「はい。はじめまして、・様。わたしはリヒテンシュタインと申します」 「ご丁寧にありがとうございます。スイスさんの身内の方でしたら、で構いませんわ」 「では、様。わたしのことはリヒテンなどお好きにお呼びください」 「そうですか、分かりました。ひょっとして…、スイスさんの会わせたいひとって…あなたなんでしょうか」 空港の出口に向かいながら、はリヒテンシュタインが遅れないようにと歩幅を緩めつつ、彼女にそう尋ねた。 リヒテンシュタインは先ほどと少しも表情を変えず、ただ静かに頷いた。あまり笑わない子だな…、それがの、彼女への第一印象だった。 「恐らく、そうだと思います。兄様、お前に会わせたいひとがいるから空港で待ってやっててくれって言ってましたから」とひと息に言い、リヒテンシュタインはふう、と息を吐いた。はそうですか、と言いくすりと微笑んで荷物を車のトランクに載せて、リヒテンシュタインといっしょに乗り込んだ。 「兄様のお屋敷で待っているようにと言伝を預かって参りました」 「そうだったんですか…、スイスさんもお忙しいんですね…。それなのにあわせようとしてくださるなんて」 「…様は、お優しい方なんですね。兄様が気に入るのも分かる気がします」 「気に入る、と言いますのは…?」 がそう尋ねると、リヒテンシュタインは珍しく目を見開いたが、やがてもとの表情に戻し「…いえ、なんでもありません」と言って流れていく景色を眺めた。 それからは会話もほとんどなく、お互いに景色を見てすごした。そうして、車に乗り込んで30分ほどが経ったころ ―― 「様、つきましたよ」と言うリヒテンシュタインの声に、ははっ、と我に帰った。どうやら、居眠りをしてしまっていたようだ。慌てて車を降り、運転手が出しておいてくれたらしい荷物を手に取る。 「すみません、様もお疲れのところを」 「リヒテン…?大丈夫ですよ、これくらい平気です!定期巡回よりは」 「そういえば…様、年に一度、各国を巡回されるんでしたよね。皇室の恒例行事、でしたっけ?」 「はい、そうなんです…。まぁ、視察と言うのが公表している名目ですが、 あんなのは皇室の趣味で回っているようなものですよ。まったく、まともに仕事して欲しいです」 「でも、各国の支援をする者としては、状況を把握しておくことも公務の一環なんでしょうね」 「まぁ、そうなんですけどね。あ、大丈夫ですよ。これくらい持てます…、ありがとうございます」 「はぁ…そうですか、分かりました。そういえば、先ほど兄様から連絡がありましたが、すぐこちらに来られるそうですよ」 リヒテンシュタインの言葉に、は「ほんとうですか?」と瞳を輝かせながらそう言った。するとリヒテンシュタインは少しだけ目を細めて「…はい」と頷いた。 はじめて、笑ってくれた気がした。そのことがとても、とても嬉しくて、はまた笑顔になった。笑顔って、ほんとうに伝染するものなんだと、は改めて実感した。 それからすぐに、スイスと合流をして、ちょうどお昼になったところで三人そろって庭で食事をとることになった。やっぱり、チ−ズが出ている。 「すまない、迎えにいけなくて…先ほどようやく会議が終わったのでな」 「平気です。わたしも昨日オ−ストリアの音楽祭を終えて来たばかりですから…忙しいのはお互い様ですよ」 「そうか…オ−ストリアか。しばらく会っておらんな…」 「そうですね…兄様もオ−ストリアさんも忙しくされていますから…」 「とは必ずすれ違うしな…忙しいと良いことないな」 「仕方ありませんよ、お仕事なんですから。…いただきます」 「それは、日本風のあいさつか?」 「ええ、よくご存知でしたね?」 「が日本好きなのは有名だからな…我輩としては、悔しいが」 「…はい?」 がホットミルクを飲みながら首をかしげていると、スイスが「い、いや、なんでもない!」と言って首を振ったので、深く考えないことにした。 そんなふたりを見ながら、リヒテンシュタインは「…可哀想な兄様」と、ふたりに聞こえないように呟いた。三人はチ−ズフォンデュを食べつつ、 それぞれが二杯目となる紅茶を入れているとき、不意にが「紅茶を飲んでいると、どうしてかイギリスさんを思い出すんですよね」と言ったのを聞いて、 リヒテンシュタインは思わずスイスのほうを振り返っていた。スイスはというと、少しだけ肩を震わせたものの、表情は少しも変えず「…何故だ?」と平静を装っていた。 「あれ、こんなふうに思うのってわたしだけでしょうか。 日本さんだと桜、中国さんだとパンダ、ロシアさんだと雪…、イタリアさんだとパスタ。 ほら、それぞれ連想されるものがあるでしょう?だから、紅茶を見てイギリスさんのことを思い出したんです」 「なる、ほどな…。では聞くが、」 「…はい?」 「その、我輩からは何が連想されるのだ?」 「スイスさん、ですか?…そうですね、」 どきどき。が連想されるものを考えている間中、スイスとリヒテンシュタインの心臓はずっとそんなふうに高鳴っていた。はいったい、自分を何と関連付けているのだろう。 「きれいな景色…、だと大雑把すぎますし」はそう言って、またひとしきり唸った。紅茶をふたりに手渡している間も、はずっと唸っていた。それほどまでに、難しいことなのだろうか。 スイスとリヒテンシュタインが半ばあきらめかけていたころ、はようやく「そうですわ!」と嬉しそうな声を上げた。テ−ブルをたたいた勢いで、紅茶に波紋が生じる。 「チ−ズです!」 「「…はぁ」」 「な…、なんですかおふたりとも?」 「いや…、別にそのとおりだから構わないんだが…」 「何と言いますか…安易ですね、様」 「い、嫌でしたか…?」 「だ、だから構わないと言っただろう。そんな顔をするな」 「ご、ごめんなさい…。でも、わたしはすきですよ?スイスさんのチ−ズも、きれいな景色も」 「のその言葉は、ありがたく受け取っておく。座れ、折角の紅茶が冷えるぞ」 「あ!は、はい」 頷いて、座りなおす。紅茶に砂糖を足し、少し混ぜたところで二口ほどすする。ほんのりとした甘さが、程よく口の中に広がっていく。 ひと息ついたあと、はスイスとリヒテンシュタインを見回して「…でも、きょうはおふたりにお会い出来て良かったです」と言って、また紅茶をすすった。 当人たちはと言うと、意外だったのか目を丸くしてを見ている。いかにも「何故そう思うのだ?」と言いたそうなスイスに向かって、はくすりと微笑んだ。 「だって、これまで回ってきた中でいちばんくつろげましたから」 「そうか…、会って話をする…いわば会談のようなものだしな…」 「はい…。もちろん、みなさんとお会いできるのは嬉しいですが…それでも「お仕事」ですし。 でも…こちらは違いました。ほんとうに久しぶりに、くつろぎながらお話しすることが出来ました」 「様…」 「スイスさんの妹さんともお話出来ましたし…」 「その…、すまなかった。黙っていて…」 「構いません。きっと、いろいろ事情がおありなんでしょう?だから、お会い出来ただけで十分です」 「…」 「さて!そろそろ行かなくては!」 「もう行ってしまうんですか?様…」 「すみません、リヒテン。きょうはフランスさんとドイツさんのお宅に伺うことになってるんです」 「ドイツか…うむ、気をつけるんだぞ」 「はい。スイスさんもお風邪など召されませんよう」 「分かっておる。も、体にも気をつけるように」 見送られつつ、は振り向き際に「…はい」と言って微笑んだ。不意に、寂しそうに――けれどもほんの少し笑みを浮かべているリヒテンシュタインを見つめ、はきょう、彼女と出会えたことを心から感謝した。今度は、自分から会いに行こう。「仕事」ではなく、ひとりの「少女」として ―― 。 光の中で溶けあって |