三月、の国シルヴィスは、普段の穏やかさからは到底想像も出来ないほどの賑わいを見せる。 特に町が活気付くのは多くの花が開花する三月の下旬から四月の上旬にかけてで、その期間中は自然豊かなこの国ならではの「花の祭典」が催される。 国が主催となるため、この国の一手を担うも、準備や手続きに追われる。説明をしているいまも、例外ではない。

「姫様−、招待状届け終わりました。
 それから、こちらが今回参加してくださる国のみなさんのリストになります」
「ありがとうございます。あなたも、ひと段落したらお休みになってください…ほかの方々にもそう伝えてください」
「恐れ入ります。では、失礼します」

そう言って環境大臣は一礼し、皇室の執務室を出て行った。リストは三枚に渡り、そのほかに手紙が一通紛れ込んでいたようだった。は首をかしげつつ茶封筒を開いた。差出人は ―― なんと、日本からだった。「そういえば…そろそろですね、日本の桜が見られるのは…」呟いて、 手紙を開く。手紙には日本らしい丁寧な文体で「お変わりなくすごされているでしょうか。まもなく、桜が開花しますので、そのお知らせを致したく手紙を送らせていただきました。それから、招待状拝見しました。 招待、ありがとうございます。ぜひ、参加させていただきたいと思います。よろしくお願いします」と書かれていた。は日本らしいなあ、と眉を細めた。

「ええと…イタリアさんとイギリスさん、中国さんとスイスさん…ロシアさんも来てくれるんですね!
 みんな遠くからたいへんでしょうね…わたしも頑張らなくては。アメリカさん、ドイツさん…日本さんも」

リストを眺めていると、自然と表情が緩んでいくのが自分でも分かった。国が ―― 自分自身が主催している祭りにいろいろな国が来てくれる、 ただそれだけのことがこんなにも嬉しいことだなんて、ぜんぜん知らなかったし、知る由もなかった。だから、余計にやる気がわいてくる。いくらでも頑張れる気がしてくる。 今回は五十周年記念ということもあって、これまでに来たことのない国々も集まってくれるようだし、なんとしても成功させたい。

「国のみなさんも毎年楽しみにしてくださってますしね…」

もちろん、主催者自身も楽しみにしているが、それは国民たちや他国のひとたちもおんなじなのだ。これが気持ちを分かち合うということにつながるんじゃないかと思うようになったのは、 最近のことで、それがきっかけで毎年テ−マを決めるようになった。今年は五十周年ということでテ−マは「感謝」だ。みんな、テ−マに沿った作品を展示してくれることになっている。 「…楽しみですね−」つぶやいて、リストと手紙を引き出しの中にしまいこむ。そうして、開催日当日。各国の代表や国民であふれる皇室のまえに作られた広場で、は日本を見つけた。日本もすぐこちらに気づいたようで「さん!」と小さく手を振った。遠慮がちなとことが、また日本らしいと思ったのは秘密にしておこう。

「日本さん!はるばる遠くから…ありがとうございます」
さんの招待を断るわけにはいきませんしね、ちょっとした息抜きに良いかと思いまして」
「そうでしたか。ゆっくり楽しんでいってくださいね!…ってどうされたんですか、後ろのおふたりは。怖い顔をして?」
「ああ…、あのふたりは毎度のことなので気にしないでください。そうそう、五十周年おめでとうございます」
「ありがとうございます。こうして毎年続けられるのも国民のみなさんの支持と参加してくださるみなさんのおかげです」
「いえいえ。それはそうと、日本でももうすぐ桜が咲きますよ。ちょうど祭典の終わるころに」
「そうなんですか!今年もぜひ、見に行かせてくださいね」
「ええ。そうだ、さん」

は日本の後ろでぎゃあぎゃあと騒いでいるギリシャとトルコを何となく見つめながら、小首をかしげた。「わたしたち日本からお付き合いのお礼にサプライズがあるんですが…あいさつのあと、よろしいですか?」日本はそう言い、 ニッコリと微笑んだ。それは普段の日本とは何処か違い、明らかに何かを企んでいるのが分かる表情だった。悪いものではないだろうから、は「はい」と言って頷いた。それから始まりのファンファ−レが鳴り響き、 周囲にわあ、っという歓喜の声が沸き起こった。はあいさつのため舞台に立ち、司会者が差し出してくれたマイクを手に取り言葉を述べた。

「きょうは、来てくださってありがとうございます。思う存分、楽しんでいただきたいと思います」

はあいさつの最後にそう締めくくり、マイクをスタンドに立てようとした ―― そのとき、不意に横から手が伸び、は思わず声を出しそうになった。 しかしその正体が日本だと分かった瞬間、安心感が浮き立った。不意に日本が「さんは、わたしの国に咲く桜という花がすきなんですよ。ねえ、さん」と言って、のほうにマイクを近づけた(ほとんど押し付けるような形だったけれど)は少し驚きつつも「は、はい」と返事をした。すると日本はほんとうに嬉しそうに微笑んで、 「そんなにすきなら差し上げますよ、桜」と言った。は思わず「えっ、」と声をもらしてしまいそうになるのを我慢して、日本を見つめた。日本が手を振り上げたと思うと、 その手は真っ直ぐに、広場の外へと続く通路に向けられた。その通路には葉の部分がビニ−ルに覆われた木々がずらりと並んでいるだけだった。…まさか。

「お気づきになられたようですね」

日本はそう言ってマイクを握りなおし「お願いします」と言葉を発した。すると先ほどまでかぶさっていたビニ−ルがいっせいにはがれ、桃色の花が風に舞い上がった。 「…さく、らだあ」がそう、感嘆の声をもらすと、日本は「驚いたでしょう。わたしたちからのお祝いとお礼です」と、満面の笑顔を見せた。桜にも驚いたけれど、 何よりも日本の、その眩しすぎるほどの笑顔に、は目眩を起こしそうになった。その笑顔がとても綺麗に見えたのは、きっと咲き誇る桜の所為ばかりではないだろう。

未完成天国