ことの発端は、日本との会談後にヨ−ロッパ諸国のことについて話が出たのがきっかけだった。 不意に日本が「ヨ−ロッパといえば…ドイツさんはいつも忙しそうですよね…」なんていうことを言い出した。…確かに。 周囲が周囲なだけに、ドイツの苦労は耐えないようだ。ドイツの状況を把握していたは「そうですねぇ…何かお手伝いできると良いんですけど」と言った。

「そうだ。今度、ドイツさんをわたしの家に呼んで温泉にでもつかってもらったらどうです?
 少しはゆっくりしてもらえるように、お手伝い出来ると思うんですが…どうでしょうか、
「それが良いかもしれませんね!でも…イタリアさんがついてくるのでは?」
「…ああ、なるほど。困りましたね…あのひとがいちばんの疲労の原因なんでしょうし…」
「これは、だれかに協力してもらうしかないんでしょうか」
「ん−そうですね…。そういえば今度、イタリアさんて何処かよその国と会談されるんでしたよね」
「日本さん…どうしてご存知なんですか」
「このまえアメリカさんとお話したときに聞いたんです。あちらでもイタリアさんとドイツさんの話を楽しそうにされてましたよ」
「アメリカさん…」

ドイツを哀れに思ってしまったのは、日本には内緒にしておこう。もっとも、日本もおんなじことを思っているかもしれないが。は日本に気づかれないようにこっそりとため息を吐いて、顔を上げた。「それじゃあ、そういうことで…ドイツさんには、なんて言います?」 そう話をきりなおし、日本を見やる。日本は軽く腕組みをして「そうですね…それでしたら、が言ったほうが効果があると思いますよ」と言って含み笑いをした。

「へ…?効果…ですか?」
「ええ。ですから、」

不意に、日本はの耳元でごにょごにょ、と声を潜めるようにして言葉を紡いだ。徐々に、の瞳が見開かれていく。「ええっ?それって恐喝…」そう声を上げると、 日本はふるふると首を振って「これくらいしないと、ドイツさんは来ないと思いますよ。あのひとは硬いですから」と、どこか楽しんでいるかのようにそう言った。は仕方ない、と肩をすくめ、分かりました、と言って頷いた。「では早速、本国に戻り次第送ってみますね。何かあったら責任は取ってくださいね?」そう言い、日本を発った。


日本との国が会談して数日後の、ある穏やかな昼下がり。いつものように仕事をしていたドイツのもとに「ドイツさん、さんからお手紙です」という声が聞こえ、 彼は渋々席を立ってサインを済ませた。デスクに戻るなり「か…久しぶりだな」と呟き、自然と口元が緩むのに気づいたドイツは、ふるふると首を振った。 そうして手紙を開いてみた。内容は ―― イタリアが他国との会談中に、三日間ほど日本へ訪問するように。行かなければわが国と日本の意思に反したとして、武力をもって行使する、 というものだった。ドイツは眉間にしわを寄せて「なんなんだ、いったい…」と言いつつも、上司に許可をとり、日本へ行く(行かされる)ことになった。


ドイツへ手紙が渡って、まもなく。日本の空港に降り立つなり「ドイツさ−ん!」という、何処か懐かしい声に出迎えられた。声の主は、あの手紙を送った張本人、だった。彼女はこれでもかと言わんばかりに右手を振り上げながら、存在をアピ−ルしている。そばには何故か、嬉しそうな表情を浮かべた日本が付き添っている。

「…なるほど、日本に何か吹き込まれたのだな」
「吹き込んだなんて物騒なこと言わないでくださいよ。これもドイツさんのためなんですから…苦渋の選択でしたけれどもね」
「なあにが苦渋の選択だ。イタリアの留守を狙ったんだろう、れっきとした確信犯だ」
「まあまあ、ドイツさん!これも日本さんの配慮なんですから、ツンツンしないでください」
「配慮?」
…余計なことは言わない約束ですよ」
「良いじゃないですか。ドイツさんが忙しそうだから、ゆっくり出来る時間を作ってあげられたらって、
 わたしと日本さんでそういう話になったんです。このまえ、会談したときに。ですから、三人いっしょにどうです?温泉旅行」
「だからって、どうしてまた温泉旅行なんだ」

空港を出、三人そろって日本の用意してくれていた高級車に乗り込む。運転手は日本に行き先を確認すると、再びまえを向いてハンドルをきった。 ドイツの問いに答えたのは日本で、「ゆっくりするのには温泉がいちばんなんですよ」と満面の笑みでそう言った。ドイツはを振り返ったが、 彼女もまた同意見のようで、ニコニコと嬉しそうな笑顔を浮かべている。―― まあ良いか、もいることだし、日本の温泉にも一度入ってみたかったし。 ドイツはそう思うことにして、ふたりが提案してくれた温泉旅行を満喫することにした。こうして、日本ととの温泉めぐりが始まった。

「わ−!湯気がたくさん!実はわたしも、日本の温泉って一度しか入ったことがなくて…。
 だけどこんなにたくさんの湯煙を見たのは始めてですね…!日本さんは見慣れているのでしょうけれど」
「そんなことはないですよ。温泉だってしょっ中入るものではありませんし」
「そうなのか?」
「ええ。ちょっとゆっくり浸かりたいって思ったときに入るのがまた良いんですよ」
「ほお…?」
「とにかく、ドイツさんもどうぞ。奥に絶景の露天風呂があるんですよ−」

日本の言葉に頷いていたは彼の言葉を代弁するようにそう言って、姿を消した。日本いわく、彼女は別のお風呂を楽しみにしていたらしい。の留守を少し寂しく思いつつも、早速絶景が見られるという露天風呂をのぞいてみた。なるほど、海が一望出来る。これは確かに絶景だ。 日本にとっては、これほど贅沢なことはないのだろう。ゆっくりするには温泉がいちばんだと言った彼の心境が理解出来た気がした。 それから日本滞在中は、温泉ばかりに浸かっていた。楽しくもゆったりとした時間はあっと言う間にすぎていき、訪問最終日。 日本での最後の食事を終えて、ドイツを見送るために空港にやって来たと日本は、始終嬉しそうに微笑んでいた。計画が達成されて、満足したのだろう。 実際、ドイツ自身もすごく満足のいくものだったし、ふたりには世話にもなった。何かお礼をしたいと思っていたが、どうにも良い案が思い浮かばない。

「どうでしたか?日本の温泉は」
「うん?よかったぞ、お世辞なしにな。日本に観光客が多い理由が分かった気がする」
「まあ、温泉だけとも限りませんが…ゆっくりしてもらえたなら満足です」
「ああ、こんなにゆっくりした時間をすごせたのは久しぶりだったな…ありがとうな、ふたりとも」
「いえいえ。ぜひまた、いらしてください」
「ああ、そうさせてもらうよ。は、このあと帰国するんだろう?」
「ええ、そのつもりです。三日間とはいえ、国を留守にしてしまったんですから…仕事もたまっているでしょうし」

それはほかのふたりにもいえることで、彼らもおなじ心境なのか「あ−」と、何処か不満そうな声をもらした。それがなんだかおかしくて、が噴出したのを発端に、三人の間に笑いが起こる。それからほどなくして搭乗のアナウンスがかかり、ドイツは荷物を持ち上げた。 「じゃあ、またな。おまえたちも、暇があれば遊びに来ると良い」ドイツはそう言って、エレベ−タ−を降りていった。

「ドイツさん、満足していただけたようですね…日本さん」
「そのようですね。も、手続きを済ませたらどうですか?帰国が遅れてしまいますよ」
「うっ…は−い…」

渋々と言った様子で受付に向かうの背中を見送り、空港の中から見える空を仰いだ。世界中につながっているあの空は、何処までも青く澄んでいた。

めぐるせかいのまんなかで